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[特集]

24歳のベトナム最年少機長、夢を叶える秘訣は「自信と訓練」

2015/09/06 05:13 JST更新

(C) thanhnien
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 ベトナムで最年少の機長として、インターネット上で注目を集めている24歳の男性がいる。グエン ・クアン・ダットさんは、1991年生まれ。ハノイ市出身の彼は、格安航空会社ジェットスター・パシフィック(Jetstar Pacific Airways=JPA)の機長だ。  ダットさんは、ハノイ市チューバンアン高校の特別クラスの生徒だった。父親はパイロットで、母親は大学講師。2009年、彼は貿易大学の対外経済学科に合格した。しかし、入学から3か月後には、航空会社のパイロット養成所に転入していた。  「面接は非常に緊張しました。試験を受けに来ていた人はたくさんいて、6次試験の上に健康診断もあったと記憶しています。合格者は私の他に3人で、私が最年少でした」。ダットさんはそう話す。  9割の経費補助を受けてニュージーランドとイギリスで2年間の研修を受けた後、ベトナムへ帰国。4年間は副操縦士として、試験飛行と実際の飛行と合わせて飛行時間計3500時間の経験を積んだ。そして2015年6月末、ダットさんは24歳でベトナム最年少の機長に就任した。  彼が所属している航空会社には、ベトナム人機長は3人しか居ない。他の2人は1974年と1979年の生まれだ。「若いということにはメリットもデメリットもあります。そんなに若くて大丈夫なのかと思う人も多く、だからこそいつでも努力に努力を重ねて、自分自身を肯定しなければならないのです」と彼は言う。  新しいポジションに配置された時には、3kg痩せたこともあったという。「日々4000kmを移動しつつ、600人を超える乗客と数億USDに相当する機体の安全を絶対に守らなければならず、そのせいで痩せてしまったのです」。

 初めてのフライトは、去る7月21日、バンコク~ハノイ間の便だった。天気予報によるとハノイ市の天候は良好とのことだったが、機体がハノイ市ノイバイ国際空港に戻ると滑走路の見通しは良かったものの、豪雨で天候が悪かった。しかし管制塔からは注意喚起の指示しか出ていなかったので、最終判断は彼が下さなければならなかった。  「私は、着陸せずに『ゴーアラウンド』という決断をしました。当時、機体の高度は60mほどでしたが、再度上昇して天候が良くなるのを待ってから着陸しました。客室乗務員からは、乗客たちが心配して安全のしおりを読み返していたという話も聞きました。滑走路に着陸した瞬間には客席から拍手が起こり、子どもたちは歓声をあげていたそうです」と彼はその忘れ難い出来事を語った。  現在は1か月に最大100時間飛行し、ハノイ市とホーチミン市を平均して約50回行き来している。また、生活の便のため、ホーチミン市に住まいを移したという。  24歳にして機長になることができた秘訣について、彼は「自信と訓練に没頭すること」を挙げた。専門知識のみならず、英語やコミュニケーションスキルなど、ソフト面の部分も勉強しなければならいといけない。平常心や規律については、副操縦士の頃に、パイロットの先輩でもある父親から学んでいた。  「こうして子供の頃からの夢がかなったのです。早朝にホーチミン市のタンソンニャット国際空港を離陸し、家々や河川の上空を上昇していく時の感覚は格別です。自分の選択を後悔したことは一度もありません」。ベトナム最年少機長はそう語った。 

[Thuy Hang, Thanh Nien, 27/07/2015 09:59, A]
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