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[特集]

ホアンキエム湖の大亀たち、知られざる受難の歴史

2016/01/24 05:29 JST更新

(C)VTC news, 死去したばかりの大亀
(C)VTC news, 死去したばかりの大亀
(C)VTC news, ゴックソン祠の大亀
(C)VTC news, ゴックソン祠の大亀
 ハノイ市中心部のホアンキエム湖で1月19日、大亀の遺体が市民により発見された。ホアンキエム湖の大亀は、「還剣湖伝説」を尊ぶベトナム国民の精神文化にとって重要で、水面に姿を見せるたびに関心を呼び、「御老体」は生きづらいのではないかと心配する人さえいる。

 今なお語り継がれる「還剣湖伝説」は、こんな話だ。ベトナムが中国の明に支配されていた15世紀、後に黎(レ)朝(1428~1527年、1532~1789年)の初代皇帝となるレ・ロイ(Le Loi=黎利)が、湖の宝剣によって明の駆逐に成功した。平和な日々が続いていたある日のこと、レ・ロイが湖を散歩していると神の使いである大亀が現れ、宝剣を持ち主の竜王に返すように言って、湖の底に持ち帰った。この伝説から、湖は「ホアンキエム(Hoan Kiem=還剣)湖」と呼ばれるようになった。

 ハー・ディン・ドゥック博士は、「御老体」を心配する一人で、大亀に異変があると食事が喉を通らず夜も眠れなくなるという。博士と話をする時、うっかり敬語なしに「カメ」と呼ぶと叱られる。ましてや「あの大亀はシャンハイハナスッポンだ」などと指摘すると、激怒される。しかし国内外の科学者らは、これまでの研究やDNA検査の結果から、ホアンキエム湖の大亀はシャンハイハナスッポンであることを確認している。

 1月19日に大亀の遺体が発見された時は、多くの人々を落胆させた。過去には知られているだけで少なくとも3回、大亀が捕獲され、食用にされたり軟膏作りに利用されたりしたことがある。



 ベトナム戦争中の1967年6月2日の昼頃、湖畔にいる大亀の周りに市民が集まっているのを警察が解散させたが、直後に国営水産会社の一団が現れ捕獲してしまった。当時、ホアンキエム湖での漁業は許可されていたため、警察は何も口出しできなかった。

 ところが、大亀捕獲のニュースがハノイ市人民委員会のチャン・ズイ・フン主席に伝わり、フン主席は警察に大亀の保護を命じた。大亀は傷の手当てを受けたが、傷が深かったためその日のうちに死んだ。

 大亀は甲羅に直径5cmの穴が開き傷が肺にまで達していた。調査の結果、水産会社の職員が以前捕獲しようとした際にシャベルで傷付けていたことが分かった。世論は怒りの声を上げたが、時は戦争中でその後沙汰やみとなった。大亀の大きさは長さ2.1m、幅1.2m、重さ250kgだった。ホアンキエム湖の小島に建つゴックソン祠に現在展示されているのはこの大亀だ。

 1963年の大雨が降り湖があふれた日、チーリン公園にいた大亀を数人の青年が発見し、甲羅の上に乗ってからかったあげくに持ち去り、肉や骨を売りさばいた。骨は軟膏作りに使われたという。

 1956年の嵐の日には、ハンチョン通りを走っていたシクロ(ベトナムの自転車タクシー)が大亀を発見、持ち帰って料理しようとした。しかし通報を受けた警察が駆けつけて救出し、植物園の沼に放したが、まもなく死んだという。

 受難の続いたホアンキエム湖の大亀だが、ハノイ市は、先日死去した大亀をベトナム科学技術研究所傘下のベトナム自然博物館に移管し、研究目的で保存する計画だという。 

[VTC,news,20/01/2016 06:36AM,O]
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