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[特集]

グエンフエ通り、歩行者天国に生まれ変わった運河の歴史

2016/03/20 05:58 JST更新

(C) vnexpress, グエンフエ通り
(C) vnexpress, グエンフエ通り
(C) VIETJO, フラワーロード準備中のグエンフエ通り
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 ホーチミン市1区グエンフエ(Nguyen Hue)通りは、もともと現在の同市中心部にあたるバットクアイ(Bat Quai)城とサイゴン川を結ぶ運河だった。しかし、後に埋め立てられて花通りとなり、2015年にベトナムで初めての歩行者天国へと生まれ変わった。  歩行者天国となったグエンフエ通りは、ホーチミン市人民委員会庁舎の対面に位置している。毎日何千人もの人々が行き交い、特に夜、週末、そしてイベントの日はとても賑わう。ホーチミン市で最も美しい通りだが、この場所が1790年にグエン・アイン(Nguyen Anh)こと阮(グエン)朝(1802~1945年)初代皇帝ザーロン(嘉隆)帝(在位1802~1820年)によって建設された、サイゴン川からザーディン(Gia Dinh)城(バットクアイ城)に水を運ぶ運河だったことを知る人は少ない。  バットクアイ城の南側、現在のレタントン(Le Thanh Ton)通りにあたる場所には、サイゴン川に向かってカングエン(Can Ngueyn)とリーミン(Ly Minh)という2つの門が設置されていた。そして、船が入れるよう、現在のバクダン船着場からホーチミン市人民委員会庁舎の正面入り口に向けてまっすぐ続くキンロン(Kinh Long)という名前の運河が形成された。  当時、この運河沿いに布を売る多くの華僑が集まっていたことから、政府が決めた「キンロン運河」という名前の他に、人々はこの場所を「布市場」と呼んでいた。またフランス人は、この運河を「グランド(Grand)運河」と呼んでいた。  フランスがサイゴンを占領した後、1861年にフランスのシャルネ(Charner)提督は市町村に関する規定を公布した。キンロン運河は「シャルネ運河」という名前に変わり、運河の両側の通りは「リゴードジュヌイイー(Rigault Genouilly)通り」と「シャルネ通り」(現在のパレスホテル・サイゴン=Palace Hotel Saigon側)と名付けられた。シャルネ通りは中国・広東省出身の多くの華僑が集まり商売をする場だったことから、「カントン(Canton)通り」とも呼ばれていた。

 シャルネ運河の貨物輸送量はとても多く、この運河は時間が経つに連れてひどく汚染されてしまった。1887年にフランス人はこの運河を埋めて、両岸を繋いで「シャルネ大通り」を建設した。シャルネ大通りの一方の端は現在のホーチミン市人民委員会庁舎で、もう一方の端はサイゴン川だった。サイゴンの人々はフランスが付けたシャルネ大通りという名前ではなく、「キンラップ(Kinh Lap)」通りと呼んでいた。  長い歴史の変遷を経て、1956年にシャルネ大通りは「グエンフエ通り」に改名され、「極東の真珠」と呼ばれたサイゴンで最も美しい通りの1つとなった。1960年からは毎年春になるとグエンフエ通りに花市場が現れるようになった。メコンデルタ地方の各地から船で運ばれて来た花々は、バクダン船着場に集められ、グエンフエ通り沿いに広げられた。  人々は花を買うためだけでなく、テト(旧正月)の花市場特有の雰囲気を楽しむためにここにやって来た。1年に1度だけ開かれる市場であるにもかかわらず、グエンフエ花市場とフイントゥックカン(Huynh Thuc Khang)鳥市場はサイゴンのテトを楽しむための名所となった。  1975年以前、グエンフエ通りはとても賑やかで鮮やかな色に溢れた通りだった。ここには多くのレストランやホテルが集まり、米軍兵士を含む上流階級の歓楽街となっていた。1990年代の終わり、市中心部の区画整理のため、多くの人々に惜しまれる中、グエンフエ通りの花市場は9月23日公園に移された。  2004年、花市場は新しい姿でグエンフエ通りに戻ってきた。花を売り買いする場所ではなく、花々や果物が美しく飾られ、訪れた人々が春を楽しめるよう工夫が凝らされた場所となったのだ。そして花市場は正式にグエンフエ花通り(フラワーロード)と改名され、テトの名所となった。

 毎年、テトの時期になると、花通りには新しいテーマが掲げられ、花々と共にベトナム南部の田舎の生活様式を通じて民間文化が再現される。水田や緑豊かなとうもろこし畑の再現は、訪れる人々に面白くも温かい、また新鮮ながらも懐かしい気持ちを抱かせる。  2015年4月、ホーチミン市は4300億VND(約21億6000万円)を投じて、グエンフエ通りを全長670m、幅64mの歩行者天国に改修した。ホーチミン市人民委員会庁舎からバクダン船着場まで続く歩行者天国には、花崗岩のタイルが敷き詰められ、2つの噴水が設置されたほか、街路樹が植えられた。  広場の地下には監視センターと、音楽や噴水、照明の制御センター、近代的な公衆トイレなどが備えられている。毎日数千人の人々がこのグエンフエ歩行者天国を訪れ、遊んだり、写真撮影をしたりして各々楽しんでいる。  2015年5月17日には、故ホー・チ・ミン主席生誕125周年を記念して、歩行者天国に生まれ変わったグエンフエ通りの象徴となる、同主席の新たな銅像の除幕式が行われた。  200年以上にわたる形成と発展の歴史の中で、グエンフエ通りは時代に合わせて変化してきたが、今日もなお、ホーチミン市で最も美しく、近代的な通りとして人々を寄せ集めている。 

[Son Hoa, VNExpress, 25/10/2015 | 07:33 GMT+7, A]
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