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[特集]

夫に火をつけられ生死をさまよった女性、復活までの2年間

2021/04/18 05:25 JST更新

(C) vnexpress
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 夫にガソリンを掛けられ、火をつけられたために身体の92%に火傷を負い、生死の狭間をさまよったレ・ティ・キム・ガンさん(女性・34歳)は、その後の2年間に様々な困難を乗り越えながら、新しい生活を築いた。

 ある週末の朝、ガンさんは新しくオープンする店の開店式で使うお供え物を市場に買いに行くため、早く起きた。母親のガンさんが新しい服に着替えているのを見て、2人の息子も一緒に行きたがった。市場に向かう途中、バイクを運転する母親にぎゅっと抱きつき、8歳の息子は「今日みたいにきれいな服を着ているお母さんが好き。昔と同じくらいきれいだよ」とささやいた。

 少し長いため息の後にガンさんは微笑み、2年前の3月の夜に聞いた、夫が手にしていたライターの音を思い出して目を赤くした。当時、重度の結核を患っていた夫は、サッカー賭博で負けて借金の取り立てに追われており、自宅にガソリンを撒いて火をつけ、妻と子供たちを巻き添えにして心中を図った。

 火の海の中でもガンさんは何とか意識を保ち、鍵を探してドアを開け、2人の子供たちを引っ張り外に出て、近所の家に駆け込んだ。ガンさんが着ていた服は燃え尽き、かろうじて2人の息子といくつか言葉を交わして気を失った。その時、ガンさんは「自分は死ぬだろう」とも思ったが、身体の92%を火傷しても奇跡的に生き残った。

 事件後、ガンさんは南中部沿岸地方フーイエン省からホーチミン市に移送され、治療を受けた。最初の10日間、ガンさんは両目以外の身体中の皮膚が包帯で巻かれた状態で、ベッドの上で身動きがとれないまま横たわっていた。1か月間の入院中、ガンさんはほぼ毎晩、自宅が燃えている夢を見た。

 退院後、ガンさんは家族が壁に取り付けてくれた鉄の棒につかまり、子供のように少しずつ歩く練習を始めた。助けてくれる人がいない中で何度も転倒し、身体中の傷跡からは血が滲んでどこもかしこも痛んだが、自分で起き上がるしかなかった。辛い日々の中で、ガンさんは何度も自殺を考えたが、心の奥では生きていつか夫に再会し、「私が何か悪いことをした?なぜあんなことをしたの?」と聞きたい思いもあった。

 最初の4か月間、ガンさんは生活の全てを親族に頼らなければならなかった。当時9歳と6歳だった2人の息子たちも市場に買い物に行き、簡単な料理も練習して母親をサポートした。度々、2人で一緒に母親をトイレに連れて行ったりもした。

 ある日、2人の息子が学校から帰ってきたちょうどその時、ガンさんは火事の後初めて、足を引きずりながらも自分で短い距離を歩くことができた。息子2人は背負っていたリュックを地面に放り投げてガンさんの元に駆けつけ、母親を抱きしめながら泣いて喜んだ。

 「数か月ぶりに息子たちがそれほどまで喜ぶ姿を見て、私はやっぱり生きたいと思いました。また健康な身体になって、2人の息子たちの世話をしたいと強く感じたんです」とガンさんは当時を回想した。

 ガンさんが夫に面会するために拘置所へ行った日、夫もまた火傷を負ったことに気付いた。うつむいて泣いていた夫は、ガンさんの目を見ようともしなかった。その時ふと、長い間抱えていた夫への恨みが消えていった。

 「もしこの痛みをずっと両手に抱え続ければ、やがて疲れ果ててしまう。子供たちの手を取り、別の喜びをつかむために、この痛みを手放そうと思いました」とガンさん。ガンさんの家族は夫に極刑を望んでいたものの、ガンさんは後日こっそりと夫の減刑を嘆願した。

 裁判の日、ガンさんの提出した減刑嘆願書のおかげで、夫には禁固16年の判決が下された。それからガンさんの気持ちは軽くなり、火の海の夢を見ることもなく、よく眠れるようになった。

 2人の子供たちへの心理的な影響を懸念し、また自分自身もより穏やかな生活を望み、ガンさんは子供たちを連れて新しい生活を始めることに決めた。そして2020年のテト(旧正月)間近の旧暦12月27日の夜遅く、家族3人でホーチミン市に向かうバスに乗り込んだ。

 「雨の中で街灯が灯り、スーツケースの横で2人の息子たちが眠りにつく姿を見て、私自身も11歳の時に同じような状況でホーチミン市に向かった日のことを突然思い出しました。小さい頃から働き、仕立て屋になり、洋服屋の店主になり、2か所のインターネットカフェを経営し、土地を購入して家を建てることができました。健康である限り、失ったものは必ず取り戻すことができるのだと信じています」とガンさんは語る。

 テトが明けると、ガンさんは2人の子供を学校に通わせ、自身は自宅近くの縫製工場で働き始めた。初夏の暑い日差しの中、トタン屋根の工場の中はとても暑く、まだ傷跡が完全に治癒していなかったガンさんは皮膚に痒みを生じたため、自宅で仕事をさせてもらえるよう頼んだ。

 しかし火傷を負った腕では以前のようにミシンを操作することができず、最初の1か月間はすっかり動かなくなった手でミシンを操作することに時間を費やし、生活を賄うだけの賃金を稼ぐことができなかった。それでも子供たちがお腹を空かせることのないよう、ガンさんは深夜まで働き、さらに航空券や商品のオンライン販売も始めた。

 7回の手術の後、懸命なリハビリの甲斐もあり、ガンさんの身体の収縮は徐々に治り、柔軟さを取り戻していった。ちょうどその頃、多くの人がフェイスブック(Facebook)で歌いながら商品を宣伝しているのを見て、ガンさんも歌が上手な障害を持つ友人を何人か誘って、ライブ配信で歌いながら商品の宣伝と販売を始めた。

 しかしそれは簡単なことではなかった。何時間も歌い続け、問い合わせに回答しても商品が1つも売れない日も多かった。そればかりか、「そんな顔をオンラインでさらして歌っているのか」と悪意のあるコメントを書き込んでくる人たちもいた。

 「私は以前の満ち足りた生活から火事のせいで一瞬にして全てを失い、死にかけ、再び生きることを決めたので、人生が無常だということもわかっています。だから、悪意のあるコメントで悲しくなることはありません」とガンさんは打ち明けた。

 ガンさんのライブ配信を見て、同情して寄付を申し出てくれる人たちもいたが、ガンさんは「商品を買ってもらえたら、働く意欲に繋がります。お金をもらうだけでは、使えばおしまいですから」と言って受け取らなかった。

 約半年間で縫製の仕事とオンライン販売の売り上げが安定し、ガンさんの生活も落ち着いたため、店舗を持つことにした。ホーチミン市クチ郡タントンホイ村の国道22号線沿いに位置し、マッサージオイル、エッセンシャルオイル、ミシンなどが置いてあるだけの、広さ10m2程度の小さな店だ。さらにガンさんは息子たちに頼んで、廃品回収や宝くじ売りの人々が通りすがりに無料で飲めるよう、店の前に飲み水を用意している。

 「ここは今後の足がかりとなるお店です。身体障害者や視覚障害者の友人を誘って、ここでマッサージも始めたいと考えているんです。歌が上手な人にはオンラインで歌って商品を販売してもらいます」とガンさんは教えてくれた。

 東南部地方ドンナイ省出身のキム・アインさん(女性・29歳)は、病院でガンさんと1か月近く同室だった、同じく重度の火傷を負った人物だ。「ガンさんはとても強い人だったのを覚えています。彼女は身体中に火傷を負っていたので足の指の静脈から点滴を入れるしかなかったのですが、彼女が泣いたのはその1度きりでした。数か月前、たまたまフェイスブックで彼女が歌っている姿を見て、彼女が生きていること、そして2人の息子たちと新しい幸せな生活を送っていることを知り、嬉しくて泣いてしまいました。彼女を見ると、自分はまだまだだと感じます。私は家族と一緒に暮らしていますが、この2年間、まだ外にも出ていないんです」とアインさん。

 仕事が忙しい中でも、ガンさんは2人の息子を連れて障害を持つ子供たちが暮らす孤児院を訪れている。また、自分と同じように火傷を負った人々と繋がり、無料で手術を受けられるプログラムを探すために病院に連れて行くなど、皆に前向きなエネルギーを与えている。

 ある時、下の息子から、いつか家族3人で故郷に帰りたいと思っていることを聞いた。ガンさんは、古い自宅の焼け焦げた壁を見て逃げたり息が苦しくなったりするのではなく、いつか故郷に戻って、以前のようにインターネットカフェや洋服屋をまた始めるために、今頑張って仕事をしようと考えられるようになった。

 「今は以前よりも身体の状態が良くなく、仕事のスピードも遅くなっていますが、大事なのはまだ仕事ができるということ。仕事さえできれば、いつか必ず失ったものを取り戻せるはずですから」とガンさんは語った。 

[VnExpress 05:05 17/03/2021, A]
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