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[特集]

顔の火傷痕も自分らしさに、過去の悲しみを捨てて夢に向かう女性

2023/02/19 10:09 JST更新

(C) zingnews
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 南中部高原地方ザライ省出身のコー・プイー・トアンさん(女性・20歳)は、4歳の時に負った火傷の痕が今も顔と身体に残っている。そんなトアンさんは、自分自身の愛し方を学び、誰もが1輪の花になる価値がある存在だと信じている。

 トアンさんは2022年、ホーチミン市1区の歩行者天国グエンフエ通りでフリーハグを行う「Chuyen Cai Om」という企画の特別参加者として、行き交う人々の注目を集めた。「何があっても自分自身を愛し、自信を持ち、誇りを持とう」と書かれた看板の横で、トアンさんは恥ずかしそうに腕を広げて微笑み、温かいハグをしてくれる人を待っていた。

 「最初はとても緊張して、足が震えました。でも、皆さんが私のところに走ってきてハグをし、励ましの言葉をかけてくれた時、感情が溢れ出ました。こんなに大きな幸せを感じたのは人生で初めてでした」とトアンさん。見知らぬ人にハグをしてもらったトアンさんは幸せそうに笑い、またあまりに感動してたくさんの涙を流した。トアンさんは自分だって周りの人と同じように、1輪の花になる価値のある存在なのだと信じている。

 トアンさんはザライ省プレイク市で農業を営む両親と3人きょうだいの家族の中で生まれ育った。トアンさんが4歳の時、家の農作業用の小屋が火事になり、トアンさんは顔と身体の一部に重い火傷を負った。

 「まだ幼かったので当時のことはあまり覚えていません。両親の話では、小屋の入口に置いてあったガソリンの缶に父がつまずき、かまどの火にガソリンが飛び散って突然大きく燃え上がったそうです。突然のことに慌てた母は、下の子を抱いて走って逃げるのに精一杯で。後から父に助けられた私は重い火傷を負っていて、顔も衣服も焼け焦げていました」とトアンさんは語る。

 ザライ省の病院で数か月におよぶ治療を受けた後、ホーチミン市チョーライ病院に転院し、幸い一命は取り留めたものの、顔と身体は火傷の痕で見る影もなくなっていた。トアンさんは、中学生になってからも目や腕など身体の一部の再建手術を受けた。

 自分の外見に劣等感を抱きながら成長し、外見のせいでいじめや軽蔑的な扱いを受けてきたトアンさんは、高校1年生の時にうつ病になり、辛い時期を過ごした末に学校を中退することに決めた。

 「正直なところ、火事を起こしたのは父で、すぐに治療を受けさせてもらえなかったことで家族に見捨てられたと感じ、両親をものすごく責め、恨んでいた時期もありました」とトアンさん。しかし成長し、悪意のある噂話や学校での精神的な暴力に耐える中で、両親だけがいつも自分を愛し、守ってくれていることに気づいた。そんな中で、トアンさんも自分自身を愛することを少しずつ学んでいった。

 「今は考え方が変わりました。あの火事は誰も望んでいなかった不運な事故で、苦しい生活の中で両親も私の治療のために多くのことはできなかったのだと。数年前、整形手術のチャンスが得られるコンテストに参加しないかというスカウトの電話をもらった時には、母はお金を借りて私をハノイ市に連れて行ってくれたんです。コンテストでは優勝できなかったものの、その時に両親の気持ちをより深く知ることができました」とトアンさんは話す。

 学校を中退した後、トアンさんはSNSに投稿する動画の撮影の練習を始めた。また、少しの商品を入荷して若者や知人向けにオンラインで販売してみるも、売り上げはわずかで、生計を立てるには十分でなかった。

 トアンさんはファッションや美容に興味があったものの、家族の経済状況を知っていたため、母親に洋服代をねだることもできず、人からもらった古着をリメイクしていた。「誰ともかぶらない、独特で個性的な服が好きなんです。シンプルなシャツやスカートは自分好みにカットして組み合わせ、写真を撮ることが多いですね。田舎では『独特だね』とよく笑われますが、自分のファッションにはとても自信があります」。

 2022年のテト(旧正月)の後、トアンさんは3人のいとこと一緒に仕事を探してホーチミン市に移り住んだ。初めて故郷を遠く離れ、外見のせいでどこにも雇ってもらえないのではないかとトアンさん自身もトアンさんの両親も心配していた。しかし、幸運にもビンタン区にあるプラスチック工場に採用され、毎日19時から翌朝7時まで1日12時間働き続けた。
「夜勤は大変で疲れますが、自分で働いてお金を稼いで、生計を立てられるようになったのはとても嬉しいですし、両親にも仕送りができるように頑張っています」とトアンさん。

 トアンさんにとってホーチミン市は仕事をするところというだけでなく、本当の自分らしく生きることができる場所でもある。田舎で暮らしていたときはいつも自分を嫌い、心を閉ざしていたが、ホーチミン市に移り住んでからはオープンになり、自信を持てるようになり、たくさんの新しい友達もできた。

 「ホーチミン市には社交的な人がたくさんいて、学ぶこともたくさんあります。本来は外交的で新しいことを探求するのが好きな性格なので、ここでは自分らしく過ごすことができています。同じような境遇の人たちと交流を持つことで、自分はラッキーな方なのだと知り、考え方も楽観的になりました」とトアンさんは語る。

 トアンさんは収入の一部を趣味のファッションに充てている。好きなファッションに身を包んだ自身の写真をSNSにアップし、多くの人から褒められると嬉しいという。故郷を離れてからのトアンさんの性格と外見の変化に、トアンさんの両親や知人は驚かされている。今では自信を持ってモデルとしての写真を公開し、様々な活動に参加して自分自身についてもオープンに語っている。

 トアンさんは、モデルとメイクアップアーティストになりたいという自分の夢について語るとき、少し恥ずかしそうな表情を見せた。「私は、過去の悲しみを捨て去る方法を学びました。大事なのは、現実に満足し、幸せを感じるということ。自分の外見の欠点すらも私らしさに変えて、輝いていきたいんです」と、トアンさんは教えてくれた。 

[Zing 19:42 02/11/2022, A]
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