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[特集]

1本の親指で生み出すメロディ、事故から再起した音楽家

2024/04/14 10:05 JST更新

(C) VnExpress
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 南中部沿岸地方クアンナム省在住のチャン・ビン・フオンさん(男性・32歳)は、もともと楽器の演奏者だったが、7年前に事故に遭って四肢が麻痺し、今は手の1本の親指しか動かすことができない。

 フオンさんはクアンナム省ホイアン市タインハー街区の農家に生まれ、姉とフオンさんの2人姉弟だ。幼いころから、クアンナム省の民謡や、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産にも登録されているベトナム中部の民俗遊び「バイチョイ(Bai Choi)」の歌に熱中し、様々な種類の民族楽器を演奏することができた。

 2014年、高校を卒業したフオンさんは、北中部地方トゥアティエン・フエ省にあるフエ音楽院の伝統音楽学部に入学し、二胡(ダンニ=Dan Nhi)を専攻した。しかし、2年生のときに家族の問題により退学し、ホイアン市に戻った。それからは、レストランやホテル、リゾートで二胡を演奏し、お金を稼いで家族を支えた。

 2017年11月末、ホイアン市は洪水に見舞われ、多くの道路が冠水した。そんな中、暗い夜にバイクで帰宅中だったフオンさんは事故に遭い、意識を失った。クアンナム省に隣接する南中部沿岸地方ダナン市にあるダナン病院の医師らは、脊髄損傷と診断。手術後は四肢麻痺となり、一生車椅子生活になるだろうとのことだった。

 フオンさんは人生の逆境に直面し、生活のすべてを母親に頼らざるを得なくなった。しかし、フオンさんは日々リハビリに励み、3年後には数歩歩くことができるようになり、親指1本を動かせるようになった。

 「毎日車椅子に座り、母に車椅子を押してもらって家の前に出て、通りを眺めていました。四方を壁に囲まれた部屋の中にいるときは、何をすべきだろうか、このまま家族の重荷になっていていいのだろうか、と自問していました」とフオンさん。

 フオンさんは将来について考え始めたが、方向性がわからなかった。フオンさんは本を書いてみたり、オンラインで商品を売ってみたりしたが、どれも行き詰まってしまった。

 2021年、スマートフォンで作曲アプリをいじっていたフオンさんは、「Ve Thuong Thanh Ha」という楽曲を生み出した。フオンさんは友人に力を借りて歌い手を雇い、レコーディングをしてソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に投稿した。

 フオンさんが生まれ故郷について書いたこの最初の楽曲は、瞬く間に広まり、多くの人々に受け入れられた。

 「信じられませんでした。この曲をこんなにも称賛してもらい、激励してもらえるなんて、誰が予想できたでしょうか」とフオンさんは振り返る。これを受けて友人たちはフオンさんに、コンテストに応募する楽曲を作ってみてはどうかと提案した。

 自分では実際に足を運べないため、フオンさんはインターネットや本や新聞を通じてその土地や人々の情報を集め、作曲に取り掛かった。こうして夜の静かな空間に、メロディが生み出されていった。

 「パソコンでできればもっと便利で簡単ですが、私はスマートフォンしか使えないので不便です」とフオンさん。フオンさんはいつも、スマートフォンで下書きした楽曲を友人に送り、パソコンの専門的なソフトウェアにコピーしてもらっている。

 フオンさんによれば、一般的に音楽家や作曲家といえば楽器を弾きながら曲を書くものだが、フオンさんは楽器を弾くことができなくなったため、楽器を使うことなく、頭の中でメロディをアレンジして書き出しているのだという。

 フオンさんは、作曲そのものを専攻していたわけではないため、自分には楽曲の構成に関する知識があまりないことに気づいた。それを補うべく、フオンさんはインターネットで学び、講師に質問もした。

 時間が経つにつれて、フオンさんはスマートフォンでの作曲にも熟練していった。「私は不便な人間ですが、不幸な人間ではありません。信念と創造的な脳があれば、どんな困難だって単なる挑戦でしかないんです」とフオンさんは語る。

 フオンさんは、歌い手を雇ってコンテストに応募する楽曲のレコーディングに取り掛かった。しかし、4つのコンテストに続けて落選し、フオンさんは借金を抱えることになった。周りの人々も、いつか結果が出るなどとは信じがたかった。

 フオンさんにとって、音楽は幼いころから熱中してきたものであり、障がい者となった今は特に、人生の喜びであり、信念でもある。そこでフオンさんは、他のコンテストを探し、チャレンジを続けた。音楽のおかげで、フオンさんは喜びに満ちあふれ、ポジティブに考えることができ、毎晩の痛みすらも忘れることができるのだ。

 4回の落選の後、フオンさんは身内にお金を借りて「Nhung Doa Hoa Tuoi Tre」という楽曲を制作し、2022年にとあるコンテストで入賞することができた。

 「これは、周りの人たちや家族に認めてもらうための、基礎のレンガのようなものでした。賞状を受け取ったときは、信じられない思いでした。信念を失うということは、すべてを失うということ。でも私には信念があったから、すべてがうまくいったんです。これは、私にとって最も価値のある気づきと学びでした」と、フオンさんは自身の生き方について語る。

 フオンさんは作曲を続け、数々の賞を受賞してきた。フオンさんがこれまでに生み出した楽曲はもう20曲近い。

 「私のような障がい者にとって、音楽は自信とモチベーションを高めてくれて、日々のリハビリも頑張ることができます。今、私の健康状態は徐々に改善していて、手足も回復してきています」とフオンさん。楽曲の印税は、生活費と薬代に充てている。

 2023年8月、フオンさんは6人のメンバーとともに「Tieng Thu Bon」という音楽制作グループを組んだ。フオンさんは作曲を担当し、残りのメンバーが制作を分担している。

 グループには楽曲制作の依頼が多く寄せられている。フオンさんが1本の親指で生み出すメロディは、民族音楽に現代的な息吹が加わった作風で、若者をはじめ多くの人々に支持されている。 

[VnExpress 01:19 23/03/2024, A]
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