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VIETJO - ベトナムニュース
[特集]

日常と観光のはざまに生きる、ハノイの線路脇の暮らし

2019/10/20 05:49 JST更新

(C) zing
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 ハノイ市当局はこのほど、同市のディエンビエンフー(Dien Bien Phu)通り~フンフン(Phung Hung)通りの区間に敷かれた線路脇で営業していたカフェを一掃した。コーヒーを飲みながら列車が走る光景を眺めることができるとして線路脇のカフェは同市の観光の名物ともなり、昼夜問わず観光客で賑わっていたが、規定違反であるだけでなく、観光客が写真や動画を撮影するために線路内に立ち入ることも多々あり、安全確保の観点からも大きな問題となっていた。

 この線路脇の家々は、もともと南北統一鉄道の駅の従業員たちの住宅だった。その後、いくつかの世帯が移り住み、片側に家を、もう片側に倉庫や労働者に賃貸するための小さな平屋を建てるようになった。

 家を借りる労働者は多くいたが、彼らのほとんどは季節労働者だった。田舎での仕事がない時期にハノイ市へ出稼ぎに来て、また仕事が見つかると田舎へ帰って行く。こうして徐々に鉄道脇の集落が形成されていったが、以前と比べると線路脇の様相は大きく変化している。

 たった4年前の2015年と比べても、このあたりは大きく様変わりした。当時は線路に石が敷き詰められ、線路の両脇には2~5階建ての家が密集していた。それが、現在のこのエリアは、まるで新しい服を着たようにカラフルで目を引くようになっている。

 「ここはこんなに騒々しいのに、どうして住んでいられるの?ここに住んでいる人々はいつも警戒していなければならないのでしょう?」。これは、鉄道街のことを知ったときに誰もが考えるであろう疑問だ。

 鉄道関係の従業員のための古い住宅街から始まったこのエリアだが、他の地域から移り住んで商売をし、家を建てる人たちが多くなり、賑わいを増して他にはない独自性を生み出した。

 ハノイ市を通る南北統一鉄道は、フンフン通り、レズアン(Le Duan)通りに沿って走り、グエンクエン(Nguyen Khuyen)通り、グエンタイホック(Nguyen Thai Hoc)通り、カムティエン(Kham Thien)通りを横切る。そして、こうした通りを横切って通過していく鉄道を、多くの人々が眺める。中でも外国人観光客が多く、列車を眺めるのがハノイ市の観光名物となった。

 2017年末、レズアン通りからフンフン通りに至るまでの線路脇に住む複数世帯が、カフェなどの店を始めた。店にクラシカルな装飾を施すだけでなく、列車が通過する時刻を店に掲示し、訪れる人が列車を見られるように配慮した。

 小さなカフェのオーナーであるタオ・クアックさんは、デザインを共通の趣味としている友人と一緒に、この場所にアーティスティックなカフェを開くことを決めた。そして2人はアイデアを出し合い、自分たちの手で壁に人物や草花、そして列車を描いた。店名は列車の警笛の音を表す「チューチュー(Choo Choo)」と名付けた。外から見ると薄暗いカフェのようだが、店内の装飾はとても凝ったデザインで魅力的だ。

 タオさんの目標は、オープン当初から一貫して「鉄道街の暮らしを体験したい人々に心地良い空間を提供すること」。こうして彼女の店は、鉄道街にオープンした多くのカフェの中でも早くから知られる存在になった。

 2019年の前半になると、線路脇のカフェは日ごとに増えていった。フンフン通り沿いの鉄道街は全長500mほどだが、どこもかしこも店になった。客は外国人ばかり。住宅街の中を鉄道が通過するという光景は単純だがユニークで、世界でもなかなか見ることができないため物珍しいのだ。

 早朝の鉄道街は信じられないほど静かだ。何人かの老人が習慣にしている早朝の体操に出かけ、何軒かの大衆食堂が昼食に出す料理の準備を始める。時折、お茶を沸かすために火をつけた練炭が煙を上げる様子も見られる。

 月曜日から金曜日までの毎朝6時にチャンフー駅の発車ベルと列車の汽笛が鳴り、ハノイ市から北部紅河デルタ地方ハイフォン市までの旅客列車がガタガタと通り過ぎる。列車が姿を現してから最後尾の車両が鉄道街を抜けていくまではたった1分ほどで、その後はまた普段と同じ静かな朝に戻る。

 ザウさんの家族は35年前にこの線路脇に引っ越してきた。当時、ザウさんは綿工場を退職したばかりだった。ザウさんによると、このあたりはかつて荒れ果てて臭く、住民も少なく、空き地に倉庫が建っているだけだった。

 ザウさんは、引っ越してきたばかりの頃は列車が通過するのが恐ろしく、列車の音を聞くと頭痛がしていたが、数年で慣れてしまったという。「慣れてしまえば、ここでの暮らしも他の人と同じ普通の生活です。犬や猫もすっかり慣れていて、普段はレールの上で日向ぼっこをしたり走り回ったりしていますが、列車が通過するときには家の中に入りますよ」とザウさんは笑いながら教えてくれた。

 ザウさんの家からおよそ20m先の通りの向こうは、植物でいっぱいのクアンさんの家だ。午後になると、クアンさんはよくベランダの椅子に腰掛け、線路を眺めながら、ラジオから流れる昔の歌を聴いている。「ここに住んで30年近くになります。かつてここに住む人は少なく、とても寂しかったのですが、多くの若者がここで店を開き、家の壁に絵が描かれ、とても楽しくなりました」とクアンさん。

 午後の鉄道街は賑やかだ。子供たちは線路沿いで追いかけっこをして走り回り、女性たちは家の外で夕飯の支度をする。線路脇に建つ家は狭いため、各家庭は料理やしやすいように水道や小さなガスコンロ、練炭を屋外に置いて使っている。

 ここに住んでいるアンくんは、線路のすぐ脇で母親と姉に身体を洗ってもらうのが日課だ。アンくん一家は線路脇に建つ面積15m2 の古い平屋を借りて住んでいる。2年前、隣でカフェを開いた数人の若者が、アンくんの家の壁にも絵を描いてくれた。しかし、アンくんの家族はじきに数年住んだこの小さな借家を出て、新しい場所に引っ越さなければならないという。家主が古い家の改修工事を始めるのだ。

 夜の22時、ハノイ駅を出発した最終列車がここを通過すると、線路脇の鉄道街はもとの静けさを取り戻す。観光地として注目を集めたこのエリアだが、ここに暮らす人々の生活は変わらずシンプルで平穏さを保っている。

 線路脇の店の営業が停止されたことで、一部の旅行業の関係者や鉄道ファンからは「ハノイ市の名物がまた1つ消える」、「観光の促進に大きく貢献した」などと残念がる意見も出ている。しかし、ハノイ市当局は観光客にとっても鉄道側にとっても非常に危険だとの強い態度を示し、パトロール隊を配置したり、英語とベトナム語の標識を立てたりして対策に取り組んでいる。 

[Zing 19/10/2019, A]
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