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[社会]

ニャーゾン港の秘密~フランス植民地時代のサイゴン~

2016/02/11 06:58 JST更新

(C) motthegioi
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(C) motthegioi, 現在のニャーゾン港
(C) motthegioi, 現在のニャーゾン港
ニャーゾン港の歴史  ベトナム人なら誰でもホーチミン市4区のニャーゾン(Nha Rong)港を知っているだろう。しかし、この港の隣に立つ国旗掲揚台の英雄について知る人はあまりいないかもしれない。  ニャーゾン港は、1862年に赤レンガで建設された。もともとは、フランスの海運企業メサジェリ・マリティーム社(Messangeries Maritimes)が貿易港と倉庫を作る目的で建設したものだ。  港から河口までの距離はわずか83kmで、インドシナ銀行、仏中銀行、香港・上海銀行などが密集する金融センターに隣接している。更に面白いことに、この港はジャン・ジャック・アノー監督の映画「愛人/ラマン」にも登場する。  極東の地域は、メサジェリ・マリティーム社が頻繁に行き来していた場所のひとつで、中でも現在のホーチミン市にあたるサイゴンはフランスのマルセイユの次に到着する場所だった。  貨物を載せた船は、ここから紅河デルタ地方ハイフォン市、現在の東南部地方バリア・ブンタウ省コンダオ島にあたるコンロン島(特に1880年にフランス領ギアナのカイエンヌ刑務所を模倣した刑務所が建設された後)などに向かっていった。 次ページ → トゥーグー国旗掲揚台と英雄の物語

トゥーグー国旗掲揚台と英雄の物語  ニャーゾン港の建設から3年後の1865年10月、フランスは船が港を出入りする際の目印となるよう、トゥーグー国旗掲揚台を建設させた。国旗掲揚台は、壮大且つ苦難を伴ったサイゴンの移り変わりを黙って見つめてきた証人でもあると言えるだろう。  1945年9月23日、簡素な武装のベトナムの自衛小隊が、十分に武装した英国軍の大隊と衝突した。小隊はトゥーグー国旗掲揚台の下で勇敢に戦い、犠牲となった。この時、英国軍の指揮官は、前線で戦った敵側の戦士たちに敬意を表し、英国の旗を掲げる前に銃で礼砲を放つよう大隊に命じたという。  今日、ニャーゾン港は賑やかな貿易港のひとつというだけでなく、かつてと同じく貨物を運ぶ中心地となっている。時折、外国の客船も迎える。今、この場所にベトナム民族の英雄たちと故ホー・チ・ミン主席の遺物はわずかしか残っていない。  トゥーグー国旗掲揚台もまた、戦争の傷跡は残っておらず、世界各国のカラフルな国旗を掲げた船を眺めることもない。いずれも今は曲がりくねって海へと流れるサイゴン川に映し出され、100年前の活気にあふれた月日を忘れてしまったかのように静かにたたずんでいる。 

[Hoang Viet, Mot The Gioi, 13:07 13-07-2015, A]
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