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[特集]

米国青年と盲目のベトナム女性、8年越しの愛実る

2008/02/17 08:32 JST更新

 彼女と結婚するまで、地球を半周するだけでなく、8年の歳月が必要だった。アメリカ人のジョージは幾多の困難を乗り越え、ようやく愛する人のもとにたどり着いた。  1999年の冬、ジョージはフロリダのハドレイ大学で学んでいた。そのころは、まだ顔を合わせたこともないチエウ・グエン・フオン・ランというベトナム人女性にただ「勇敢な女性」という印象ぐらいしかなかった。ランは同大学の通信制コースで心理学を勉強していた。  ランは生後2カ月で高熱を出して視力を失った。7歳になったとき彼女が学校に行きたがったので、母親は受け入れてくれる学校を方々に探し回った。9学年まで終えたのち、夜間学校に通いながら芸術学校で楽器を学んだ。その後、翻訳家になりたいという夢をかなえるため、ホーチミン市師範高等学校の英文科に入学。そして1999年にハドレイ大学の心理学科で学び始めた。  そのころ彼女はまだパソコンもインターネットも使えなかったので、教師とのやり取りはすべて郵便で行なっていた。教師たちは、盲目というハンデを背負いながらがんばる彼女のことを、他の学生たちにも話して聞かせた。ジョージはそれに感銘を受け、彼女の手紙の「中継ぎ人」を志願し4年間やり続けた。毎月、点字に訳された学習資料をベトナムの彼女のもとに送るうち、彼は次第に彼女のことを愛するようになっていった。  一方、ランは彼の気持ちを受け入れる気になれなかった。彼女は自ら開設した視覚障害者用の職業訓練センターの仕事で日々忙しく過ごし、あいた時間にはもうすぐ西洋人と結婚する女性に英語を教えたり、外国人にベトナム語を教えたりしていた。  ランは地球を半周するというその距離だけでなく、気持ちの面でもなかなかジョージに心を開けなかった。それでも、手紙のやり取りに始まり、次第にメールを送りあうようになり、しまいには毎日電話するようになっていった。2人は互いに自分の趣味や好きな音楽、人生観、仕事のことについて話した。停電や忙しくてメールが送れない時、ジョージは彼女の不安を取り除くため、何とかして連絡しようと努力した。  ジョージは生活に変化が起きるたびにランに連絡した。母親が亡くなった時、自分のレストランを開店した時、その店に強盗が入った時…、どんな時にも彼はランに連絡した。荷物をすべてなくした時は、たった1枚残ったランの写真を抱いて眠った。2005年のバレンタインデーには、ジョージはランにハートを持ったクマのぬいぐるみを贈った。プロポーズの代わりだった。ジョージはその年のクリスマスまで辛抱強く返事を待ち、ついにランの家族の了承を得ると、すぐに2カ月の休みを取ってベトナムへ渡った。  そして2007年9月20日、2人は結婚した。結婚式はレストランで行なわれた。西洋人の花婿と盲目の花嫁がケーキカットをするのを、多くの人が見つめた。ジョージは汗びっしょりになりながらもうれしそうだった。ランは数カ月後に夫と共にアメリカへ渡るつもりだ。ジョージはコックの仕事を再開し、ランはベトナムの伝統楽器を教える予定。こうして8年越しの愛が実を結んだ。  

[VnExpress, Thu bay, 3/11/2007, 09:35 GMT+7]
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