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[特集]

ベトナム女性バックパッカー、世界を駆ける

2011/05/08 08:45 JST更新

(C) Dan tri, Hai Yen
(C) Dan tri, Hai Yen
 海外での暮らしから得るものは大きい。異文化や風習、その土地の人々と出会い、理解すること、そして言語の習得。ベトナム人女性ラン・アインも、そんな旅の魅力に取り憑かれた若者の1人だ。  彼女はある時期、南米チリにあるチロエ島の旅行会社で働きながら語学を学んでいた。チリは他の多くの南米の国と同様にスペイン語を公用語としている。旅行会社で1日12時間働きながら、帰宅すると自炊をして自習に励んだ。時には仕事の疲れで本を抱えたまま眠りこんでしまうこともあった。 スペイン語を習得したことは、その後数か月、南米で過ごす上で随分と助けになった。ブラジルを訪れた時も、ほとんどの人が話すの公用語であるポルトガル語だったが、 似ている言語のため、大体理解できたという。  南米を旅する者にとっては、一切れのサンドイッチでさえ貴重だ。それほど南米での生活は厳しく、いつもお腹を空かせていた。ベネズエラにいた時は、持っていたATMカードが使えず、お金を引き出すこともできなかった。そんな生活の中で、彼女は何度もアパートの簡易式コンロを使って食べるインスタントラーメンのお世話になった。大家に家賃を下げてもらうよう粘り強く交渉したりもした。ベネズエラを離れ、コロンビアとの国境を越えた時、心底ほっとしたという。  2010年の正月はチロエ島で迎えた。電話で家族の声を聞くと涙が止まらなくなったという。「国境超えの手続きで半日待たなければならなかったとき、ずっと家族のことや、何かに夢中になった時、回りが見えなくなってしまう自分自身のことについて考えていました。母のことを思い、家族のことを思いました。」  

その後、兄の奥さんの出産が近いという知らせを聞き、彼女は帰国を予定より早めることにした。ペルーから飛行機でベトナムへ帰り、ちょうど病院に到着した時が姪っ子の誕生のときだった。南米での長旅を終えての帰郷だった。  彼女は兄と2人兄妹。この4年間は家族と別々の正月だった。正月の度に家族に電話をかけては努めて元気な声を出して母を安心させようとしたが、母親の声を聞くと涙が抑えられなかった。家族のために旅をやめることを考えることもしばしばだという。「アフリカまで到達したら、旅を終わらせて母と一緒に住み、働くつもりです。」と彼女はいう。  彼女は旅の中で様々な経験を得て、今度はその経験を実のあるものにしていかないといけないと考えている。家庭を築いたり、仕事をして安定した生活を送っている友人が多い中、彼女には定職もなく、お金も旅行にほとんどつぎ込んでしまっている。「旅行中には様々な思いがめぐっていました。電話をかけてきたり、気遣ってくれる友人もたくさんいました。どこにいようと、彼らが友達であることには変わりないのです。」  現在、彼女は南アフリカへ旅立つことを計画中だ。「南アフリカからスタートして西アフリカ、アフリカ中部、東部、北部とめぐるつもりです。豊穣で美しいアメリカの大地ですが、危険も多い。何事もなければ、9ヶ月か1年かそれより長く旅を続ける予定ですが、何かあった時には6~8ヶ月で切り上げないといけないかもしれません。」 

[Hải Yến DanTri 18/02/2011 - 14:38U]
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