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[特集]

日本人女性教師、ベトナムへの想いを語る

2011/07/03 10:04 JST更新

(C) Vnexpess, Vu Le
(C) Vnexpess, Vu Le
 20年近くベトナムで暮らした日本人女性、吉井美知子さんはベトナムを第二の故郷のように感じているという。彼女はベトナム人の夫を持ち、ベトナム語を話し、ストリートチルドレンの支援や橋の建設にも携わっている。  ある雨の日、吉井さんは優しそうな笑みを浮かべながらインタビューに応えてくれた。日本語、フランス語、ベトナム語、英語、イタリア語、中国語の6か国語をあやつる彼女だが、その語り口はとても控えめだった。  初めてベトナムへ来たのは1988年だった。初めて来たときから、ベトナムは自分に合っていると感じていたという。当時彼女はパリで学生生活を送っていた。「大学でパリに暮らすベトナム人コミュニティと触れ合う機会がありました。その時趣味でベトナム語を習い始めましたが、いつしか夢中になっていったのです。」  親友がフランス国籍を持つ越僑だったこともあり、彼女は次第にベトナムの文化に触れるようになる。そしてパリで学ぶチャン・バン・ソイというベトナム人男性が、ホーチミン市のストリートチルドレン支援のために募金活動を行っていることを耳にする。その時は話の中の男性が後に人生の伴侶になるとは知る由もなかったが。

 就職して数年たった1993年の1月、彼女は再びベトナムを訪れる。以前は3か月の短期滞在だったが、今度は日系商社の在ホーチミン事務所の所長としての訪越だった。  ベトナムで働き始めてからストリートチルドレンの支援活動に寄付するようになった。またそれがきっかけで、チャン・バン・ソイと結婚する。結婚式の日、真っ白なアオザイを身に纏い教会で式を挙げた。日本人の花嫁がベトナムの伝統的な花嫁衣装で現れたので友人達は驚いたという。  1994年に結婚した直後から、日本におけるストリートチルドレン支援の仕事を手伝うようになる。1998年から2000年の間、彼女の呼びかけに応じたたくさんの日本人、特に女性達がベトナムのストリートチルドレン支援に参加した。  彼女は現在、帰国して三重大学の国際研究センターで英語教師として教鞭をとる傍ら、夫とともに日本に住む越僑団体の代表として、ベトナムの農村地域へ橋を架ける活動もしている。越僑が架けた120を超える橋のうち、彼らは11の橋を建設している。  支援活動を続ける理由について、彼女はこう答えた。「そうするのが楽しいからです。助けた人達が喜んでいると、自分も嬉しくなる。これは自然なことで、自分の心から発したことをすれば、いつも幸福でいられるのです。」 

[V� L� Vnexpress 9/3/2011, 22:49 GMT+7 U]
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