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[特集]

ホイアンで戦争の悲惨さ語り続ける米退役軍人

2013/05/26 07:38 JST更新

(C)Tien phong
(C)Tien phong
 南中部クアンナム省の古都ホイアンで、ホアイ川沿いのカフェに集まる外国人観光客相手に、戦争について語り続けている80歳近い米国人の退役軍人がいる。彼の姿はすっかりお馴染みになっている。  マヌス・キャンベルさんは、19歳の時に米軍に入隊した。米海兵隊第4海兵師団に配属され、1966年に新兵としてベトナムに送り込まれ、中部のクアンチ、ドンハ、コンティエンと戦場を回った。当時、コンティエン基地などいくつかの海兵隊の基地に囲まれた地域は「海兵隊広場」と呼ばれており、南北ベトナムの境界線とされた北緯17度線の南側に設けられた「マクナマラ・ライン」の重要地域だった。  マヌスさんは占領地域を拡大するための軍事行動に参加した。軍が一般人を虐殺する現場にも居合わせた。涙ながらの命乞い、女性達の絶望、子供達の呆然とした表情などのシーンが今でも目に焼きついている。  マヌスさんの話に耳を傾けよう。「皆さん、19歳の時の自分を思い出してみてください。多くの人はまだ国を出たことがなく、とても無邪気だったでしょう。私もそうでした。自分では何も決定できず、他の人と同じように従軍しました。中にはカナダや欧州に逃げる人もいましたが、ほとんどはあまりにも無邪気でした。戦争ってどんなものだろう、という軽い気持ちで入隊しベトナムに渡りました」

 「皆さんに伝えたいのは戦争の悲惨さです。全てを失い、痛みだけが残ります。どんな侵略にも本当の勝利などありません。何の罪もない人々が常に戦争の犠牲者です。退役軍人の家族はベトナムも米国も別なく、苦しみを背負わざるを得ないのです」  マヌスさんは2007年に初めてベトナムを訪れた時、どういう目で見られるのか心配だった。フエを訪ねた際、夫や子供がベトナム戦争に従軍したという家族と知り合った。おずおずと自分の過去を明かすと、怒るどころか家に招待してくれたという。  彼は2009年に、目に見えない戦争犠牲者を支援する「HIVOW」という非政府組織(NGO)を設立した。枯葉剤(ダイオキシン)被害者を支援することが目的だ。クアンチ省やトゥアティエン・フエ省の経済的に困難な被害者家族に食品や衣類などを贈っている。  マヌスさんは最後にこう語った。「戦争の残酷さや痛みを語り、世界に伝えることでしか我々のような退役軍人が心の傷を癒すことはできません。米国に帰って暮らそうとは思いません。ベトナムこそ私の第2の故郷です」  

[Tien phong online,16:00 | 30/04/2013,O]
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