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[特集]

枯葉剤に侵された女性、曲がった指で紡ぐ詩の数々

2014/05/04 08:37 JST更新

(C)  danviet, ディン・ティ・ホアン・ロアンさん
(C) danviet, ディン・ティ・ホアン・ロアンさん
 車椅子に乗るのもやっとの女性が、紙とペンと格闘しながら、曲がって節くれだった指で美しい詩を紡ぎだしていく。彼女の名前は、ディン・ティ・ホアン・ロアンさん(36歳)。東南部ドンナイ省在住の枯葉剤被害者の女性だ。  初めて彼女に会ったのは、ホーチミン市で開かれた障害者向けの詩の朗読会だった。彼女は発語がうまくできないので、初めは母親の通訳に頼らざるを得ない。額には汗びっしょり、頭をぴくぴくと痙攣させながら必死で話そうとする娘を見て母親は涙を拭った。娘が生まれてからは辛い日々の連続だったという。  彼女の父親は退役軍人だ。1960年代の後半、まだ20歳にも満たない頃に入隊し、第1ドンナイ中隊の一員として戦った後、D戦区に移動。父親はここで米軍が散布した枯葉剤を浴びてしまう。ロアンさんが奇形児として生まれてきた時、皆が彼女の将来を心配したという。両手は曲がり、両足は痙攣し、口の形も歪んでいた。20歳までは家よりも病院で過ごす時間が長かった。生まれつき障害のある彼女にとっては、食事からトイレまで日常生活の全てが困難だった。  ロアンさんが5歳になった頃、2歳年下の妹が同年代の他の子供達と同様に徐々に言葉を覚えはじめていた。妹が喋り出すのを見て、ロアンさんもそれを真似るようになった。言葉を発しようとするだけで彼女は汗びっしょりになり、口元が疲れる。それでも彼女はあきらめなかった、普通の子供が1日や1週間でできるようになることも、彼女には1か月必要だった。そしてようやく「お母さん」と言えるようになったのだ。

 やがて妹が小学校に入学し、嬉しそうに学校に通うのを見て、ロアンさんは「自分も学校に行きたい」と母親に訴えた。それを聞いて母親はただ黙っているしかなかった。彼女は当時を振り返った日記でこう記している。「母は私を抱きしめ、お前が学校に行けるはずがないでしょうと言った。どうして?と聞いても、ただ黙っているだけで答えない。学校に行けたらどんなにいいだろうと想像した。たまに妹が家に本を置き忘れているのを見つけては、中に書かれた文字を眺めた。この文字が読めたらいいのに・・・」  妹は聡明で活発な子供だった。毎日学校から帰ると、友達を誘って縄跳びなどをして遊んだ。それらは当然ロアンさんにはできないことだった。そしてある時、どういうわけか、妹はロアンさんを生徒役にして「先生ごっこ」を始めたのだった。学校の先生がするように、一文字一文字繰り返し読み、学校に行けない姉に教えるようになった。  ロアンさんも必死で覚えようとした。家族が寝静まるのを待って、妹の本を取り出し復習した。妹が韻を組み合わせて単語を教えると、ロアンさんもそれに倣って言葉を発した。こうして妹はロアンさんにとって人生で最初の先生になった。1か月ほど経つと、ロアンさんは徐々に文字を読むことができるようになっていった。その時から、彼女の世界は格段に広がったという。  文字が読めるようになると、今度は無性に書きたくなった。彼女は曲がった指と手のひらを使ってやっと鉛筆を掴むことができる。言うのは容易いが、実際に書くためには肩を上下に動かさなければならないので大変な作業だ。彼女の書く文字は子供が書いたようなバランスの悪い文字だが、その一つ一つが彼女の汗の結晶だ。書くことができるようになり、彼女の人生はさらに明るくなった。  母親はこう語る。「20歳になってようやく車椅子にも乗れるようになりました。以前から昔話を聞いたり、詩を読んだりするのが好きな子供でした。テレビを見るのも好きで、とくに自然の風景が映し出されると食い入るように見入っていました。だからと言って、詩を書くようになるとは思いませんでしたが・・・」

 ロアンさんは打ち明ける。「私は人生のほとんどを家や病院で過ごしてきました。私にとって世界とは何も書かれていない真っ白な本のようなものなのです。そこに私は思う存分美しい地平線や見たこともないような風景を描けるのです。私が詩を書けるのも、自然を愛する心や、無心になれること、母や祖母から聞いた昔話のおかげだと思います。詩は私の心の中にある静かな渇望を表現してくれるのです」  2007年に書いた「私の足」は、彼女が初めて書いた詩だ。その中にはこんな文章がある。「足は曲がり指は小さい/月日が経つに連れ母の目には悲しみが募る/父の額に刻まれた苦悩の跡/口元は笑っていても心は涙に暮れている」彼女はドンナイ省の枯葉剤被害者センターで、この詩を母親の助けを借りながら皆に読み聞かせた。  彼女の詩はそこにいた者の涙を誘った。特に同センターのハイン副所長は、彼女の詩の才能に感銘を受けたという。その後も彼女は詩を書き続け、2009年11月に英越友好協会のレン・アルディス会長の訪問を受けた際、同氏宛てにいくつかの詩を書いた。その一つを紹介しよう。「この両足は困難を恐れない/光り輝く友好の心/一つの心はたくさんの心とつながっている」  2011年には、多くの人の支援を受けて、初の詩集を発行した。また、その年の4月に出版された障害者の作品集「心の詩集」でも、全97本のうち10本が彼女が書いた詩となっている。  詩集を出版する資金は、慈善団体の寄付金から賄われた。2013年9月には2冊目の詩集「車いすの渇き」を発行。彼女が自らパソコンを使って書いた90の詩が収められている。ロアンさんは言う。「希望に向かって手を伸ばし続けることです。たとえ天に手が届かなかったとしても、星には願いが届くでしょう。詩を書くことで、私の心と体は、遠い空に輝く星にだって辿りつくことができるのです」 

[Moc Binh Danviet 01/04/2014 10:27U]
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