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[特集]

元米軍兵士と戦争の落とし子、40年の時を経て再会

2014/06/15 08:16 JST更新

(C) VN Express, クインさんとブランディ
(C) VN Express, クインさんとブランディ
(C) VN Express, クインさんとファンさん
(C) VN Express, クインさんとファンさん
(C) VN Express, 息子ゲーリーさんと
(C) VN Express, 息子ゲーリーさんと
 麦わら帽をかぶった背の高い年配の米国人男性が、手にアルバムを携え、ホーチミン市の狭い路地を行き来する。ジェリー・クインさんは、まだ見ぬ息子を探して40年ぶりにベトナムへ戻ってきた。  クインさんは、ベトナムに送られた200万人に上る米軍兵士の一人。当時、ベトナム人女性と米軍兵士の間におよそ10万人もの子供が生まれたと推測されている。最近、歳を重ねた元米軍兵士たちが、罪の意識を感じたり、子供のその後の人生を知りたいという思いを募らせ、我が子を探しているという。  「40番地に住んでいたことは覚えているのですが」。クインさんがかつてベトナム女性と生活を共にしていたあたりの道を探したが、40番地の家はない。通訳のフン・ファンさんと共に、小さな路地の一軒一軒を虱潰しに回った。  ファンさんはこれまで20年にわたり、数十人の元米軍兵士の子供探しを手伝ってきた。彼の所属する非営利団体「ファーザーズファウンデッド(Fathers Founded)」を運営するデンマーク人のブライアン・ヨートさんは、1980年代にベトナムを訪れたとき、米軍兵士が残していったベトナム人女性との混血児たちが路上で生活している様子を目の当たりにし、心を痛めたという。  子供たちの中で、父親の写真を持っている子や、名前を覚えている子については、米国に照会してすぐに父親を特定できたという。だが、電話して子供の存在を伝えた時の父親の反応に、しばしば驚かされた。「なぜ電話してきた、金が目的か」、「ベトナムとは関わり合いたくない」、「そいつは俺の子じゃない」と、大声で怒鳴られたという。  だが、クインさんは違う。彼は牧師で、現在は台湾に住んでいる。アジアへの派遣が決まったとき、「神が、自身の過ちを悔い改め、父親の責任を果たすよう告げている」と感じたという。

 1973年、ブランディと呼んでいたベトナム人の恋人が妊娠したため、二人は混乱した状況の中、結婚手続きを行う方法を探していた。だが当時、米軍兵士に帰国命令が出始めており、クインさんも帰国せざるを得なくなってしまった。  「私は1年間、彼女に毎月100ドルを送り続けました。でも、彼女の手元に届いているのかどうかもわかりませんでした」。ブランディは彼に3枚の写真を残した。40年たった今、彼はその写真を会う人会う人に見せている。1枚は背の高い20歳前後の美しいベトナム女性のポートレート、1枚はアオザイ姿でクインさんと写っているもの、もう1枚は白いカーデガンを羽織っている写真だ。  情報を何も得られず何日か過ぎ、クインさんが絶望を感じ始めた時のこと、クインさんたちがかつて住んでいた家の近くの麺屋の主人に会うことができた。彼女はアルバムのページをめくって眺めていたが、写真に写っていた別の女性を見つけて手を止めた。  「彼女はこの辺に住んでいたよ。今はアメリカに住んでいるけど、時々ベトナムに戻ってくる。彼女の娘が昨日うちに食べにきたばかりだよ!」と言い、写真に写っていた女性と連絡を取ってくれることになった。  麺屋の店主が店に呼びだしてくれたキムという女性は、米国人の夫と共に近くのホテルに宿泊していた。アルバムを見てもらうと、彼女はブランディの写真を見て叫んだ。「彼女と大の仲良しだったの! 彼女が男の子を出産するのを手伝ったのよ」。残念ながら、息子の名前までは覚えていなかった。  クインさんは、目に涙を浮かべながら彼女の手を取ってこう言った。「私はもう二度と息子に会えないかもしれない。せめて、息子を抱いたことのある手を握らせてください」と嗚咽した。ベトナムの小さな麺屋で大きな米国人が女性の手を取って泣いている姿を周囲は驚いて見守る。このシーンで、クインさんの息子探しの物語は終わるかと思われた。

 その後クインさんは、ブランディの写真を自分のフェイスブックページに掲載し、彼の息子が現在40歳で、「ブイ」という苗字であることを書きとめた。すると、米国のニューメキシコ州アルバカーギという町に住むゲーリー・ブイと名乗る男性から連絡があった。この男性は40歳で、自分が息子である可能性が高いという。  クインさんはアルバカーギへ向かう道中、「彼は私を受け入れてくれるだろうか。抱かせてくれるだろうか」とずっと考えていた。ゲーリーさんが電話で、「人生で感情を抑えることを学んだ」と言っていたのが心にひっかかった。  タクシーがゲーリーさん宅につくと、家の外でゲーリーさん一家が揃って待っていた。少し似たところのあるゲーリーさんの顔を見た瞬間、息子だと確信した。クインさんはタクシーから転げるように出ると、我が子を強く抱きしめた。ゲーリーさんもそれに応え、二人で泣いた。  ゲーリーさんは、自分の生い立ちを噛み締めるように話した。米軍兵士を父に持つ子供の身を案じ、ブランディは知人に子供を預けて、サイゴンから脱出させたという。 「ジャングルの中で粘土の小屋を作って暮らしていました。食べ物にはいつも困っていた」。ゲーリーさんは他の混血児と同じく差別を受けながら生きていた。4歳のときに孤児院に収容され、その4年後に米国政府が実施した米軍兵士の子を救済するプログラムでニューヨークに渡り、米国人家族の養子となった。ゲーリーさんは、クインさんが持っているものと同じブランディの写真を大事に持っていた。  「まさか一人ぼっちでいたとは。母親と一緒にいるとばかり思っていた」。息子のこれまでの苦労を知ったクインさんは、罪の意識で押しつぶされそうだった。「でも、私はお前のことを知ることができて本当に良かった。これからのお前の人生に、この私も加えて欲しい」。40年間交わることのなかった父と子の人生が、ようやく繋がった瞬間だった。 

[Nhu Tam, VN Express, 29/4/2014, 15:34 GMT+7 S]
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