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[特集]

サイゴンの歴史と共に残る6つの橋

2015/08/16 06:07 JST更新

 ホーチミン市交通運輸局は、同市8区に架かる第1ニティエンドゥオン橋の取り壊しを決定した。多くの市民が取り壊しを惜しんでいる。ホーチミン市には、300年以上にわたり発展してきた都市の歴史と共に人々の記憶に深く刻まれた、大小200の古い橋が数多く存在する。 モン橋(Cầu Mống)  同市1区と4区を結ぶタウフー・ベンゲー運河に架かるモン橋は、フランスの海運企業メサジェリ・マリティーム社が投資し、ルヴァロワ・ペレ社が1893年から1894年にかけて施工した橋で、西洋風の外観をしている。  長さ128m、幅5.2mで、強固な鋼鉄でできている。もとは黒いペンキが塗られていたが、今は緑色になっている。半月型の形が虹に似ているため、人々はこの橋を「モン(ベトナム語で短い虹の意味)橋」と呼ぶ。  東西大通りとサイゴン川トンネルの工事のため橋は解体され、工事が完了した後に改めて組み立てられた。現在100歳を超えたこの橋は、歩行者専用に改修され、人々が結婚写真を撮ったり、夜景を眺めたり、祝日やテト(旧正月)の打ち上げ花火を見たりする場所となっている。 ティゲー橋(Cầu Thị Nghè)  サイゴン川下流のティゲー運河に架かるティゲー橋は、1区とビンタイン区を結んでいる。この橋は、広南国(1558~1777年)の将軍の娘グエン・ティ・カイン女史が夫の通勤路として18世紀(1725~1750年頃)に建てたもの。カイン女史の夫は書記官で、当時「ゲー(ベトナム語で科挙の進士試験に合格した者の意味)氏」と呼ばれていたため、人々はカイン女史を「ゲー女史」と呼んでいた。  橋は1867年に鉄橋へ、1970年には鉄筋コンクリート橋へ架け替えられた。19世紀半ばから今日まで、「ティゲー(ベトナム語でゲー女史の意味)橋」と呼ばれている。  ティゲー地域には、チェン社(現在のティエンタイン陶磁器社)、ティゲー鉄線工場(現在の郵政物資社)、フーミーオイル社などの工業施設があった。また、ジョセフ・グエン・バン・ベトが1917年に始めたサイゴン初の印刷屋兼本屋もこの地域にあった。

ビンロイ鉄橋(Cầu sắt Bình Lợi)  1902年に完成したビンロイ鉄橋は、サイゴン川に初めて架けられた鉄道橋だ。この橋は、鉄鋼のアーチと木材で構築され、ホーチミン市と東南部ドンナイ省ビエンホア市を結ぶ鉄道の線路が通っている。橋げたは、フランスのルヴァロワ・ペレ社によって建設された。  113年が経って老朽化が進んでいる上、水面から橋げたまでの高さはたった1.8mしかないため、水位が上がった時には多くの船が橋の下で動けなくなってしまう。  交通運輸省は現在、古い橋の近くで新たなビンロイ鉄橋を建設している。新ビンロイ鉄橋は、水上交通に影響が出ないよう、旧ビンロイ鉄橋から下流へ12mの位置に架ける。完成後、鉄道は時速100kmで通過することが可能となる。 チューイー橋(Cầu chữ Y)  チューイー橋は、1938年末から1941年にかけてフランス人により建設された。5区と8区を結び、グエンビエウ通りとグエンティタン通り、フンフー通りの三叉路に架かるY字形の橋だ。3つの通りを合わせた橋の全長は913mに達する。水面からの距離は6.3m。建設工事では、鉄鋼800tと鉄骨コンクリート4000m3が使われた。この橋は1948年、1957年、そして1992年に大規模な補修が行われた。

ボン橋(Cầu Bông) ※別名:カオミエン橋(cầu Cao Miên)  資料によると、ボン橋は18世紀(1736年)に建設されたという。この橋は木材でできており小さくて短いが、古くて有名な橋だ。  ボン橋という名前の由来については諸説あるが、有力説は次の通り。レ・バン・ズエット(1763~1832年)率いる軍が橋の近くに花壇を造ると、人々はこの橋を「ホア(ベトナム語で花の意味)橋」と呼び始めた。しかし、「ホア」は阮(グエン)朝(1802~1945年)第2代皇帝ミンマン(明命)帝の皇后と同じ名前であったため、この呼び名を避けて「フエ橋」と訛って呼ぶようになった。その後、南部の言葉で花を意味する「ボン橋」に変わった。  200年以上の歴史の中で、ボン橋は何度も崩壊したが、同地域の要となる橋だったことから、すぐにもとの場所に再建されてきた。2013年10月、ボン橋は解体後に再建され、新たなボン橋として生まれ変わった。2014年6月には、車両の通行が再開された。 ニティエンドゥオン橋(Cầu Nhị Thiên Đường)  ニティエンドゥオン橋は、1925年に建設された。長さは約1kmで、8区とチョロン地区(5区・6区・11区の一部)の運河を結んでいる。この橋は長い歴史を持っているだけでなく、国道50号線に通じ、チョロン地区と南部及びメコンデルタ地方の各省を結ぶ門戸としての役割を果たしてきた。  この橋の建築の特徴は、橋の上に立つモスグリーン色の柱と、ヨーロッパの昔の橋と共通するアーチ状の橋げただ。また、鉄橋の全盛期に建設されたにも関わらず、ニティエンドゥオン橋は例外的に全て鉄骨コンクリートで設計された。  90年が経った今、老朽化が進んでおり、ホーチミン市交通運輸局は約1630億VND(約9億2000万円)を投じて第2ニティエンドゥオン橋と同じように再建する計画を提案している。 

[Huu Nguyen, VNExpress, 28/6/2015 | 02:00 GMT+7, A]
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