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[特集]

「犬小屋交差点」の由来…ホーチミンで有名な5つの交差点

2015/10/25 05:28 JST更新

(C) vnexpress, 現在のチュオンチョー五叉路
(C) vnexpress, 現在のチュオンチョー五叉路
(C) vnexpress, 1961年(上)と現在(下)のハンサイン交差点
(C) vnexpress, 1961年(上)と現在(下)のハンサイン交差点
(C) vnexpress, 1975年以前のバイヒエン交差点
(C) vnexpress, 1975年以前のバイヒエン交差点
 ホーチミン市の通りには、数多くの交差点が存在している。チュオンチョー五叉路(Ngã năm Chuồng Chó)、ハンサイン交差点(Ngã tư Hàng Xanh)、バイヒエン交差点(Ngã tư Bảy Hiền)など、同市の人々が何世代にもわたり親しんできたこれらの名前は、昔の人物や物の名前に由来している。 チュオンチョー五叉路(Ngã năm Chuồng Chó)  ゴーバップ区3街区にあるこの大きな交差点は、「ゴーバップ六叉路(Ngã Sáu Gò Vấp)」とも呼ばれている。ここはグエンキエム(Nguyễn Kiệm)通り、グエンオアイン(Nguyễn Oanh)通り、クアンチュン(Quang Trung)通り、ファムグーラオ(Phạm Ngũ Lão)通り、グエンバンギー(Nguyễn Văn Nghi)通り、チャンティギー(Trần Thị Nghĩ)通りが交わる地点だ。  フランス統治時代、5本の道が交差する場所に大きなディエップの木(cây điệp、黄色い美しい花を咲かせるマメ科の木)が植えられていたため、この交差点は「ハンディエップ五叉路(Ngã năm Hàng Điệp)」と呼ばれていた。1954年以降、旧政権がここに軍用犬訓練校を建設してから、同市の人々はこの交差点を「チュオンチョー(犬小屋)五叉路」と呼ぶようになった。  この学校は1966年に規模を拡大して訓練及び軍用犬補給センターとなり、米国の訓練技術が取り入れられた。軍用犬たちはパトロールにも役立つよう、遠くから匂いを嗅ぎ分ける訓練も行っていた。東南アジアの全ての米軍基地で、この訓練センターで訓練された軍用犬が活用された時期もある。 オンタ三叉路(Ngã ba Ông Tạ)  この交差点は、タンビン区5街区のカックマンタンタム(8月革命=Cách Mạng Tháng Tám)通りとファムバンハイ(Phạm Văn Hai)通りが交差する地点で、1940年代から形成され今日に至る。オンタ交差点付近に古くから住んでいる住民の多くが北部出身で、そのほとんどがカトリック教徒だ。  この地域は、住民が「オンタ(感謝している先生)」と呼んでいる名医グエン・バン・ビー氏の診療所があることで有名だった。ビー医師は山岳地域で得た知識から、特に子供と女性に薬草を使って治療にあたっていた。  噂を聞きつけて、ビー医師の診療所に来る病人は日に日に増えていった。更に、多くの医師もここに集まるようになり、診療所と薬草販売店が密集する場所となった。ビー医師は良医であっただけでなく、とても親切で、周辺の貧しい人々を進んで助けていた。

ハンサイン交差点(Ngã tư Hàng Xanh)  ハンサイン交差点は、ディエンビエンフー(Điện Biên Phủ)通りとソービエットゲティン(Xô Viết Nghệ Tĩnh)通りが交差する、同市東部の玄関口として重要な交差点だ。非常に交通量が多いため、2013年はじめに渋滞緩和のため陸橋が建設され、立体交差点となった。  多くの研究家によると、ハンサインという名前は1945年以前にこの場所にガジュマルの木(cây sanh)が植えられていたことに由来する。ガジュマルの木は、現在のバクダン(Bạch Đằng)通りから交差点まで、道の両側に植えられていた。そのため、かつてバクダン通りは「ハンサイン(ガジュマル並木=Hàng Sanh)通り」と呼ばれていた。  1960年代の地図によると、ハンサイン交差点の表記は「Hàng Sanh」となっている。長い年月を経て「S」が「X」に変わり、人々は「Hàng Xanh」と呼ぶようになった。 バイヒエン交差点(Ngã tư Bảy Hiền)  ここは4つの大きな道路、チュオンチン(Trường Chinh)通り、カックマンタンタム通り、リートゥオンキエット(Lý Thường Kiệt)通り、そしてホアンバントゥ(Hoàng Văn Thụ)通りが交差する、タンビン区4街区の重要な地点だ。  この交差点の名前について、「クアンナムの人々(Người Quảng Nam)」の著者レ・ミン・クオック氏によると、かつてここでコーヒーを売っていたヒエン氏の名前に由来しているという。この人物は、阮(グエン)朝(1802~1945年)最後の皇帝バオダイ帝(保大)帝(在位:1926~1945年)の夫人であるナム・フオン皇后ことグエン・フウ・ティ・ラン皇后が所有するゴム農園の統括も担っていた。  1940年頃、人々はこの交差点を「オンバイヒエン(バイヒエン氏)交差点(Ngã tư ông Bảy Hiền)」と呼んでいたが、次第に「氏」が省略され、バイヒエン交差点という呼び名となった。その後、交差点周辺の地域は「バイヒエン」と呼ばれるようになった。  バイヒエンは、1954年以降に南中部沿岸地方クアンナム省から移住してきた人々が始めた織物の村としても有名だ。同区12街区のグエンバートン(Nguyễn Bá Tòng)通りには、クアンナム省の料理が売られているバーホア市場(chợ Bà Hoa)もある。 チューイア三叉路(Ngã ba Chú Ía)  ゴーバップ区3街区のこの交差点は、グエンキエム(Nguyễn Kiệm)通り、グエンタイソン(Nguyễn Thái Sơn)通り、ホアンミンザム(Hoàng Minh Giám)通り、ファムバンドン(Phạm Văn Đồng)通りが交差する、常に渋滞している場所だ。  ある研究家によると、1975年以前、ここにヒア氏という華僑が大きな雑貨店を開いていたため、人々はこの地域を「チューヒア(ヒア氏)三叉路(Ngã ba Chú Hía)」と呼んでいた。年月が経って発音が徐々に変化し、現在の「チューイア」という呼び名になった。  現在、チューイア三叉路は六叉路に拡張され、「グエンタイソン六叉路(Ngã Sáu Nguyễn Thái Sơn)」もしくは「グエンタイソンロータリー(Vòng xoay Nguyễn Thái Sơn)」という呼び名に変わった。しかし、人々にはチューイア三叉路という名前の方が親しまれている。 

[Son Hoa, VNExpress, 20/9/2015 | 00:00 GMT+7, A]
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