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[特集]

中国に売られた女性の22年ぶりの帰国、母と涙の再会

2016/12/18 05:58 JST更新

(C) vnexpress, Tien Hung, バウさん(右)と夫のヤンさん(左)
(C) vnexpress, Tien Hung, バウさん(右)と夫のヤンさん(左)
(C) vnexpress, Tien Hung, バウさん(左)と母親のグーさん(右)
(C) vnexpress, Tien Hung, バウさん(左)と母親のグーさん(右)
 ファム・ティ・バウさん(女性・52歳)は今から22年前、商売に行く途中で見知らぬ女性に催眠をかけられ、そのまま中国に売られて若い中国人男性の妻となった。幸いにも買い手の男性はバウさんを心から愛してくれたが、それでも22年が経ってようやく故郷に戻ることができた。  4月末のとある日、南中部沿岸地方クアンナム省ヒエップドゥック郡タンアン町にあるレ・ティ・グーさん(女性・86歳)の小さな家には、にぎやかな笑い声が響いていた。行方不明になっていたグーさんの娘であるバウさんが22年ぶりに帰ってくるとの知らせを聞いて、近所に住む人たちや親しい人たちが集まって喜び合っていたのだ。  1994年の4月中旬、バウさんは北中部トゥアティエン・フエ省に果物を売りに行き、自宅のあるクアンナム省へ向かう車に乗って帰ろうとしていた。フエとクアンナムの間に位置するハイバン峠に差し掛かった時に車が故障し、乗客は皆車を降りなければならなくなった。  「その時はちょうど15時頃で、私は他の多くの乗客と一緒に道端に座って水を飲んでいました。すると突然、近付いて来た女性に肩を叩かれて、私は頭が真っ白になりました。魂を抜かれたような状態で、抵抗もせずにその女性に着いて行き、北に向かう車に乗り込みました」とバウさん。  道中どこに立ち寄ったのかは覚えていないが、意識が戻った時には中国の広西省にいたという。「目覚めた時、1人の女性から『あなたは中国に売られた。もしベトナムに帰りたいのなら2000人民元を支払わなければいけない。もし払えないのならここに留まり買い手が来るのを待つしかない』と言われました」とバウさんは回想した。  その時、バウさんと同様に監禁されたベトナム人女性が10人近くいた。お金もなく頼れる人もいない中で、バウさんと他の女性たちは中国人男性が買いに来るのをただ座って待っているしかなかった。バウさんには当時、夫と2人の息子がいた。  「たくさんの男性グループが私たちを見に来て、女性を選んでから女主人に支払いをしていました。私たちは商品の様に売られたのです。皆とても恐怖を感じていましたが、そこから逃げる術もなく、どうすることもできませんでした。誰も中国語を話せなかったし、道もわかりませんでした」。

 中国に連れて行かれて10日近く経ってから、1人の中国人青年が2000人民元を支払い、バウさんを妻として連れて帰った。その青年の名はヤン・チャンフェンといい、当時バウさんよりもひと回り年下の19歳だった。  ヤンさんはバウさんをバイクに乗せて、広西省北流市にある自宅に連れて帰った。ヤンさんの家は人里離れた貧しい地域にあり、そこに着くまでに半日かかった。「私を売った人は、もし妻になることを拒めば叩かれる、と言いました。実家も家族も恋しかったですが、耐えるしかありませんでした」とバウさん。  ヤンさんの家はとても貧しく、小さい頃から両親もいなかったため、3人兄弟で互いに庇い合いながら育った。貧しい上に仕事もなかったためヤンさんに恋人はできず、妻を買うためにお金を捻出した。妻を連れて帰った翌々日、ヤンさんの家族は結婚式の代わりにお祝いの食事の席を設けた。  「言葉がわからなかったので、初めの頃私たち夫婦はジェスチャーでコミュニケーションを取っていましたが、なんとなく理解できていました。半年くらい経つと少しずつ中国語がわかるようになり、話せるようになったので、生活は少し楽になりました」。  バウさんいわく、中国に妻として売られた女性の中でも、夫に可愛がってもらえたバウさんは幸運なケースだという。売買で結婚することになった2人だが、短い期間のうちに愛情が生まれ、互いに愛し合うようになった。数年後には2人の男の子にも恵まれ、バウさんもリー・トゥーという名前で中国籍を取得した。  「ヤンは私をとても愛してくれて、私は中国に売られた他のベトナム人妻のように叩かれたり罵倒されたりすることは一度もありませんでした。ヤンはとても穏やかで、私が叱ることの方が多いくらいです」とバウさんは笑いながら言い、隣の若い夫を抱きしめた。  中国ではたくさんのベトナム人女性が妻として売られ、虐待に耐えかねて逃亡している。初めの頃、バウさんも逃げたかったというが、ヤンを愛するようになり、2人の子供が生まれると、ベトナムにもう1つ家族がいることを忘れてしまうことすらあった。  「もちろん故郷も子供も母も恋しかったですが、ヤンの家族の状況も苦しく、またヤンとの間に生まれた子供2人も育てなければいけなかったので、帰国は先延ばしにするしかありませんでした。その後、夫の家族にも余裕ができて、夫婦だけの家を持つようになり、子供たちも自立したので、ようやく夫婦でベトナムに帰ることを考えられるようになりました」と、バウさんはこの22年間一度も連絡できなかったことを家族に説明した。

 バウさんがベトナムに帰国する意志を伝えると、ヤンさんは妻が中国に二度と戻ってこなくなることを恐れて、一緒にベトナムへ行くことにした。そして、バウさんは22年ぶりに故郷のタンアン町に帰った。しかし、故郷に着いても道を覚えていなかったため、市場に行って自分を知っている人を探すか、知人に出くわすのを待つしかなかった。  幸運なことに、村の多くの人々がバウさんのことを覚えていた。22年間も行方不明になっていた女性が戻ってきたという知らせはすぐに村中に広まった。母親のグーさんもその知らせを聞き、大喜びで娘を迎えた。グーさんはここのところ体も弱り病気がちだったが、娘に会えたことですっかり健康を取り戻した様子だ。  22年ぶりに娘と再会したグーさんは、声を震わせて話した。「バウがいなくなってから、私は2か月以上あちこち探し回りましたが、見つけることはできませんでした。占いで見てもらうと、娘は死んだので仏壇を置きなさいと言われましたが、私は信じませんでした。生きている予感がしたのです。この22年間、私は娘が帰ってくるよう毎晩祈っていました。そしてついに、私たち親子は再会することができたのです」。  バウさんがいなくなってからベトナム人の前夫も姿を消してしまったため、グーさんが孫2人を育てていた。しかしながら生活は厳しく、数年後にグーさんは泣く泣く孫2人をカナダ人夫婦に養子縁組に出した。現在2人は海外で安定した暮らしをしており、時々グーさんを訪ねに帰って来るという。  年老いた母から2人の息子の話を聞き、バウさんは涙を流した。「この22年間、母と2人の息子に会いたいと、それだけを切望していました。今は息子たちとも離れ離れになってしまい、いつ会えるのかもわかりません。私の顔を覚えているかどうかもわかりません」。  バウさんは数週間後に中国に戻り、その後また機会があれば故郷を訪ねるつもりだと教えてくれた。「きっと次に娘が戻ってきた時には、私はもう死んでしまっているでしょうね」。グーさんは娘の隣に座りながら、かすれ声で言った。 

[Tien Hung, VnExpress, 24/4/2016 | 08:13 GMT+7, A]
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