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[特集]

「オールドマーケット」閉鎖へ、半世紀を市場で過ごした商人たちの記憶

2017/03/05 05:07 JST更新

(C) Ngoc Duong, Thanh Nien
(C) Ngoc Duong, Thanh Nien
(C) Ngoc Duong, Thanh Nien |オールドマーケット<br>の商人たちの記憶
(C) Ngoc Duong, Thanh Nien |オールドマーケット
の商人たちの記憶
(C) Ngoc Duong, Thanh Nien,店頭に座るキムさん |オールドマーケット<br>の商人たちの記憶
(C) Ngoc Duong, Thanh Nien,店頭に座るキムさん |オールドマーケット
の商人たちの記憶
 19世紀からサイゴンの水路の中継地点として商人で賑わい、「お金持ちの市場」とも称されたホーチミン市1区ベンゲー街区トンタットダム通りにあるトンタットダム市場(オールドマーケット)では、幕引きを前に今日も静かに商人と客が売り買いをしている。  ハムギー通りからフイントゥックカン通りまでの区間に広がる同市場は長い歴史を有する。様々な商品を取り扱う約200店舗が立ち並び、地元の人々や観光客で賑わっているが、交通渋滞や火災が懸念されるため、市当局は2009年から立ち退きを計画していた。  1910年頃になると各地の運河は埋め立てられ、物流の運送手段は水路から道路や鉄道に変わり、経済の中心は徐々にオールドマーケットから移っていった。  1914年にサイゴンと中華街チョロン地区やメコンデルタ地方を繋ぐバスターミナルや鉄道駅近くに「新市場(現在のベンタイン市場)」ができてからは、人々がオールドマーケットを語ることはなくなっていった。  それでもオールドマーケットは街の一角でサイゴンの移り変わりを見守ってきた。  かつて市場前の路上のわずかな隙間に座り、カゴに入れた野菜を売っていた人たちの子や孫が、今ではオールドマーケットで店舗を構え商売している。  市内の他の市場で繰り広げられる喧騒とは一線を画して、オールドマーケットは実に静寂で商人たちは親しみがあり客にも寛容だ。商品を眺めてそのまま通り過ぎても、値段を聞いた後で商品を買わなくても全く問題ない。  オールドマーケットはトンタットダム通りの約200m区間に位置し、通りの両脇に店舗が並ぶ。客はバイクに乗ったまま色々な店舗で品定めをし、気に入った店にバイクを着けて品物を買う。

 オールドマーケットで商売をして43年のチャン・ティ・クイさん(65歳)は、22歳の時に嫁いだ先の義父の店を手伝うようになったが、まだ売り場を持っていなかったため空きスペースを見つけては店を広げ、管理者に場所代を払った。  クイさん家族は、他の人が政府から買い、食べ切らなかった缶詰や砂糖、ミルクなどを買い取って商品にしていた。当時のオールドマーケットは今とは違って騒然としていたという。  当時の客は米軍や韓国軍の軍人や、バイクに乗ったベトナム人富裕層で、オールドマーケットは別名「金持ちの市場」と言われていた。  フイン・ティ・キムさん(77歳)はオールドマーケットで商売を始めて57年になるが、かつてオールドマーケット周辺の住民は大半が華僑だったという。そのため、当時は豚やアヒルの丸焼き、豚のモツ料理の店が繁盛していたそう。  また、華僑のカフェではコーヒーを飲む器を選ぶことができた。急いでいる人はコーヒーがすぐに冷めるようにお皿に注いでもらい、時間に余裕のある人はグラスに淹れたコーヒーをゆっくり楽しむ。それが当時の華僑式カフェだったそうだ。  当時、キムさん自身は郊外の農家から野菜を仕入れ、オールドマーケットで売り歩いていた。警察の取り締まりから逃げるため、野菜の入ったカゴを抱えて汽車に飛び乗ることもしばしば。行き交う客のカゴに野菜を詰め込んで、着の身着のまま逃げたこともあったという。  オールドマーケットの閉鎖が決まった今の気持ちを記者に問われたキムさんは、「もう年だから店は止めてもいいんだけどねぇ、とても恋しくなるでしょうね…」とため息をついた。 

[Vu Phuong, Thanh Nien, 09:42 AM 02/03/2017, T]
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