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[特集]

日本語教育に尽力して25年、竹山杉良太郎日本語センター長の思い

2017/12/03 05:19 JST更新

(C) Ngay Nay
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 2017年はベトナム国内の日本語教育機関や、第1外国語または第2外国語に日本語を導入する教育機関が増え、ベトナム人にとって日本文化が非常に身近な存在になりつつある。

 そのなかで、忘れてはならないのが日越文化交流協会直属の竹山(ヌイ・チュック)杉良太郎日本語センターだ。同協会は俳優で歌手の杉良太郎氏が設立したことでも知られ、ハノイ市で11月26日に創立25周年記念式典が開催されたばかり。

 同センターで長きにわたり日本語教育に携わってきたのが、同協会の会長とセンター長を兼任するブー・カック・リエン博士だ。1960~1969年までの9年間、旧ソ連でテクノロジーを学び、帰国後は造幣工場に工員として勤めた。その後、転職や人事異動を経て1983年に当時の文化副大臣に就任し、14年間にわたり4人の大臣を補佐してきた。

 リエン博士は日越文化交流協会の設立者であり、会長として桜祭りやビルラ孤児養護村、竹山桜よさこい踊りチームなどの支援を続け、日越文化交流に多大なる貢献をしてきた。

 また、塩野義製薬株式会社(大阪市中央区)と連携し、ベトナム国内の貧困省における14の病院に対して支援金や数十台の救急車や消防車を寄付するなど、社会活動にも取り組んできた。これらの活動が評価され、リエン博士は2009年に旭日章を受賞している。

 同センターは日越の若い世代がより強固で仁愛的な関係を築けるよう、長期的な計画としてリエン博士や杉氏を始めとする同じ志を持った人々と言葉の架け橋を構築する所となった。開校当初は日本人教師2人、生徒20人と小規模な日本語教室だったが、現在の生徒数は1600人に上る。

 リエン博士によれば、日本側の支援により現在同センターの生徒向けオンライン日本語教育のソフトウェアが研究開発されているという。「私はもう高齢ですが、終わりはないんです。国際社会で競争できるよう発展し続けなければなりません。私はただ、若いみなさんと共に前進するために健康でいられるよう願っています」とリエン博士は笑う。

 リエン博士はセンター運営で誇りとしていることがある。それは、リエン博士には副センター長や秘書がいないにもかかわらず、リエン博士が不在時も職員たちによりセンターは順調に運営されていることだ。リエン博士はセンター職員と自身の関係性を、上司と部下ではなく互いを思いやる絆で結ばれた第二の家族だと話す。

 センターにはベトナム在住10年以上という年配の日本人教師がいる。日本語教師の住宅はセンターがサポートしており、病気になれば職員がお見舞いにも行く。また、ある若いベトナム人女性教師は、ホーチミン市で新しい仕事のチャンスに恵まれたがリエン博士の元で働き続けることを選択した。その後、この女性教師の子供たちも同センターで日本語を学んだという。

 開校当初の生徒たちは現在では同センターで教育に携わる人、新天地で新たな「言葉の架け橋」をかけるべく奮闘する人、それぞれが自分なりの形で外国語分野で活躍している。 

[Quynh Hoa, Ngay Nay, 21/11/2017 12:35, T]
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