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[特集]

森に帰ったゾウ~ベトナム最後のゾウたち~【前編】

2019/05/05 05:30 JST更新

(C) Miwa ARAI
(C) Miwa ARAI
strong>森に帰ったゾウ~ベトナム最後のゾウたち ダクラク省に国内初のゾウ保護観光施設オープン~
(※本記事はVIETJOベトナムニュースのオリジナル記事です。)




 イフン(Y Khun)は思い出しただろうか、この森の匂いを。あの日突然足に掛かった罠、必死で助けようとする母親の悲鳴、あきらめ立ち去っていく家族の後ろ姿。

 今、目の前を歩いているのは、もう60年近くも前にこの森で捕らえられた年老いたゾウ、イフンだ。彼女の足には鎖はない。もう手鉤(テカギ:象使いが持つ鋭い金属フックのついた棒)が振り下ろされる音におびえることもない。長い長い時間がたってしまったけれど、彼女は家に帰ってきた。


ベトナムと野生動物

 ベトナムの自然は豊かだ。南北に長い国土は温帯と熱帯の気候に恵まれ、海と山と、そして乾季でも川の流れる広い森林がある。その森には虎、サイ、熊、ゾウ、鹿や様々な猿類、鳥や昆虫、植物が生息し、世界でもトップレベルの生物多様性を誇っていた。しかし、度重なる戦争や森林破壊、復興による農地宅地開拓で、動物たちは生きる場を追われた(*1)。

 漢方薬や毛皮、肉用の乱獲、密猟の標的にもなり、2010年、ベトナム最後の野生のサイは撃たれ絶滅、虎は数年前にわずか5頭と推定されている。希少なサルや多くの鳥、昆虫までもが次々と姿を消していっている。ニューヨークタイムズ紙は、今日のベトナムの国立公園を、動物も鳥もいない“空っぽの森”と描写し憂いた。

*1:ベトナム戦争時の森林の爆撃や枯葉剤散布、武器資材の運搬時の戦死(ゾウ)、肉を食用とされたことも生態破壊の要因となった。

野生象と使役象

南中部高原地方ダクラク省ブオンドン(Buon Don)観光区の象乗り観光。

 1980年代、国内に2000頭いた野生象は、今日100頭以下と推定されている。30~40年で5%に激減した(*2)。ベトナムの人々とゾウのかかわりは深く、ゾウは昔から労働力として森林の木材けん引、荷物運搬等に重用されてきた。

 その後、運搬車両や機械の導入でその需要が下がると、彼らは観光、つまり動物園やサーカス、観光用の象乗り施設などで使われるようになった。中でも観光客をゾウの背に乗せて歩く“象乗り(エレファント・ライド)”は、ベトナムや東南アジアの定番観光施設となっている。ベトナムにはこうした使役象が88頭いる。

*2:アジア象は絶滅危惧種(国際自然保護連合(IUCN)の評価)。

 ゾウはとても知能が高く繊細な動物で、重労働の使役環境下での繁殖は非常に難しい(*3)。新しいゾウは、よって野生から捕獲調達されてきた。

 大きなゾウは捕獲も調教も困難なので、赤ちゃんゾウを罠で仕留める(*4)。その多くは、ようやく一人歩きを始める3~4歳の子供だ。突然母親を失った彼らは、パニック状態で攻撃的になる(*5)。調教するにはまず、人への絶対服従を理解させなくてはならない。捕らえられた小象はすぐに四肢を縛られ、餌も水もなしに手鉤や刃物で暴力を受け続ける“クラッシュ(破壊)”の洗礼を受ける。数日から数週間続くこの工程で、小象は精神的・肉体的恐怖で完全に“破壊”される。

 ゾウは賢く記憶力が強い。この記憶が彼らを一生支配し、手鉤を見るだけで人の指示に従う使役象とさせるのだ。野生の動物には、人の指示に従う本能も経験もない。“象乗り”のゾウは、優しさや友情で観光客を乗せて歩くのではない。何十年も所有している自分のゾウに乗るときでも、象使いは必ず手鉤を持ち、人が乗っていない間のゾウの足は、重い鎖で縛られている。

*3:ベトナムでは使役象の出産の記録は40年間ない。    
*4:罠は、落とし穴や、茂みの中に仕込んだリング式ワイヤーで足を挟むものが多く、発見・保護されても足の傷のせいで死に至る例も多い。象の狩猟・捕獲は、1996年以来法律では禁止されている。
*5:アジア象の家族の絆は強く、メスは寿命約60~70年の一生を、家族の群れと共に過ごす(雄は8~13歳で独立する)。妊娠期間は約22か月(哺乳類の中で最も長い)で、一度に一頭しか出産しない。2年近くお腹の中で育まれた赤ちゃんは、半年以上母乳で育てられ、乳離れには3~5年かかる。母親はその間は次の妊娠をせず、小象は群の全員に守られ、大切に育てられていく。知能の高さだけでなく、社会性や仲間の死を悼む行動等、感情的にも高度な繊細さを持つことが確認されている。




象乗り観光 歩かない間のゾウは鎖でつながれている。
このゾウは、左右の前足に鎖をかけられ全く動けずにいた。


象乗り(エレファント・ライド)ツアー

 野生のゾウは、暑い日中は木陰で涼み、水浴びをして体温を調節し、日に150Lもの水を飲む。

 南中部高原地方ダクラク省にあるブオンドン(Buon Don)観光区。取材の日の午後1時半、35度の灼熱の太陽の下、象乗り施設のゾウたちは、重い椅子と客を背負い、同じコースをひたすら歩き続けていた。歩けば歩くほど売上は増えるので、どんなに暑い時刻でも、どんなに年老いたゾウでも、客があれば休みなくツアーは出る。コースの合間も彼らには、一杯の水さえ与えられていなかった。

 長い一日が終わると、再び短い鎖で足を繋がれ、身動きできないままにじっと朝を待つ。テト(旧正月)等の観光シーズン中は、日に15時間以上歩き続け過労死するゾウもいるが、それを規制する法律はない。

象乗りのゾウは皆、幼時に家族から引き離され、過酷な調教を受ける。

手鉤で打たれて傷だらけのゾウの頭。象使いは手鉤を常に手に持っている。

ヨックドン国立公園の決断

 2018年7月、ベトナムの南中部高原地方ダクラク省と同ダクノン省にまたがるヨックドン(Yok Don)国立公園は、この象乗りをやめた。

 ゾウの主要な生息地であるこの森林は、ベトナム第二の広さがあり(*6)、園内には象乗り施設もあった。ゾウは、この地方の文化であり主要な観光ツールでもある。激減する野生象、劣悪な環境で繁殖しない使役象、こうした状況に危機感を抱いたベトナム当局は、この国立公園内での象乗りサービスを止め、ゾウを保護しながら観光と両立させる、新しい方策を打ち出したのだ。

 2018年10月に始まった“象体験(エレファント・エクスペリアンス)”国際動物保護団体アニマルズアジアが支援・助言するこのツアーでは、誰もゾウに乗らないし触らない、餌やりもない。森は整備され、元象使いらは研修を受け、ゾウのケア係として雇用されている。

 「この国立公園で象乗りに使われていた4頭が森へ戻り、自ら餌を探し自由に生きています。見学者は森を散策しながら、自然の中で彼らがどのように行動しているのかをそっと観察します。彼らを脅かすことのないよう、見学グループは5人までで、ゾウと森をよく知る現地の少数民族であるエデ族のガイドが歩いて森を案内します。ゾウの行動を決して邪魔しない、エレファント・ファーストに徹した、ベトナムで初めての試みです」(アニマルズアジア 動物福祉マネージャー ディオンヌ・スラグターさん)。

*6:11万5千haの広さの森林で、カンボジア国境に接する。二国の比較的広い保護域を移動できることで、ベトナムに残る野生象のほとんどがこの国立公園内に生息している。

右:ディオンヌ・スラグター(Dionne Slagter)さん(国際動物保護団体アニマルズアジアの動物福祉マネージャー)。
左:象ケア係のムクドー(Y Muc Kdoh)さん。
ヨックドン国立公園の試みはベトナム初で唯一。



【Text & Photo by Miwa ARAI(ライター)】


後編へ続く~象体験(エレファント・エクスペリアンス)ツアー、森へ帰ったゾウ~ 

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