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[特集]

ベトナム人最年少でエベレスト登頂、映画「ハイ・フォン」出演俳優の次なる挑戦

2019/05/26 05:12 JST更新

(C) tuoitre
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映画「ハイ・フォン」
映画「ハイ・フォン」
 2019年2月に公開されたゴ・タイン・バン(Ngo Thanh Van)主演のベトナム映画「ハイ・フォン(原題:Hai Phuong、英題:Furie)」。この映画に警官のルオン(Luong)役として出演しているファン・タイン・ニエン(Phan Thanh Nhien)さんは、俳優になる前はスポーツ界で有名な人物だった。

 ニエンさんは、起業家、アスリート、俳優、ツアーガイドと、将来のためにあらゆる経験を積んできた。

エベレストの後は北極

 「ニエン エベレスト(Nhien Everest)」。これはニエンさんが初めて映画に出演した2019年以前に、グーグル(Google)検索でニエンさんに関する情報を見つけることができる最短のキーワードだった。

 ニエンさんは23歳の学生だった2008年、ベトナム人で初めて世界最高峰のエベレストを征服した3人のうちの1人となり、3人の中でニエンさんが最年少だった。

 その偉業の後、ニエンさんは普通の生活に戻り、そして様々な仕事に挑戦してみた。観光ツアーガイドとして働いた後、再びアスリートに戻り、第26回東南アジア競技大会(SEA Games)のクライミング競技で銀メダルを獲得した。そしてその後はビジネスも試みた。

 ニエンさんの名前は、映画「ハイ・フォン」に出演してから日に日に知られるようになり、10年ほど前は体育スポーツ大学の学生だった青年が、今や成功者となった。このような満ち足りた人生を手にしてもなお、ニエンさんは冒険に飛び込むことに躊躇せず、4月には北極マラソンに参加した。

 「普通、人は多くを手にすると、失うことへの不安も大きくなります。でも、私はそのような類の人間ではありません。実は、かつての私は物に満ちた人生を切望していました。そのため、お金を稼ぐためにスポーツの世界に入りました。しかし、エベレスト征服の道のりが私のこの考えを変えたのです」とニエンさんは語る。

5000VNDのためにエベレストへ

 貧しい家庭に生まれたニエンさんがスポーツを始めたのは、純粋に将来を考えてのことだった。「子供の頃、就職するためには大学を卒業しなければならないことは知っていました。勉強の成績があまり良くなかった私は、体育大学で勉強することを選びました。それでも入学試験にはとても苦労し、なんとか合格できました」とニエンさん。そしてエベレスト征服までの道のりも、この現実的な考え方から始まった。

 エベレストに登るベトナム人の募集が始まった時、ニエンさんは友人から選考に参加しようと誘われた。「行きは主催者が車を手配してくれ、帰りは交通費として5000VND(約23.9円)のバス代が出ることになっていましたが、当時のバス代は3000VND(約14.3円)だったので得だと感じ、私はウェイターの仕事を休んで選考に参加することにしました。まさか選考を通過するなんて考えてもいませんでした」。

 こうして、ニエンさんは一歩一歩エベレストに近付いていった。数千人の応募の中から12人が選ばれ、数か月にも及ぶ過酷なトレーニングの末、最終的に4人が選ばれた。

 エベレストに登る前に、ニエンさんとチームのメンバーは、西北部地方ラオカイ省にあるベトナム最高峰のファンシーパン山(Fansipan、標高3143m)、マレーシアのボルネオ島にあるキナバル山(標高4095m)、タンザニアにあるキリマンジャロ(標高5895m)、ネパールにあるアイランドピーク(標高6160m)と順番に登り、徐々に力を試していった。

 1つの山を制覇するたびに、ニエンさんたちは資金を受け取ることができた。このように、当初はニエンさんにとってエベレスト征服は自分の生活を変えるためのものでしかなかった。

死に直面

 これまでの試練を乗り越えてきてもなお、エベレスト征服はニエンさんの想像を超える過酷な闘いだった。統計によれば、エベレスト征服の道中で命を落とした人々は全登山者の6.5%。この数字は「世界の屋根」であるエベレスト征服の道のりがどれほど死と隣り合わせであるかを知るのに十分な数字だ。

 「エベレストの過酷さをうまく表すことはできませんが、毎日、私たちは死に直面していました。長く座りすぎると寒さで死に、また早く歩きすぎても耐えられずに死んでしまいます。酸素ボンベが足りなくなっても死に、足を滑らせても死にます」。

 「普通、人々は『登山』という言葉を使いますが、エベレストは『足を引きずって歩く』という言葉の方がより当てはまります。一歩進むために30分かかることもたくさんありました。エベレストでは酸素が薄く、呼吸をするのも困難です。私たち登山隊の多くのメンバーが登り始めた段階ですぐに後悔し、パニックに陥り、落ち着きを失いました」とニエンさんは教えてくれた。

 ニエンさんの場合、エベレスト山頂に到達する前の最終段階でもっとも恐ろしい感情が沸き上がったという。寒さで全身の感覚がなくなり、また彼のサポートをする人が遅れていたため、酸素ボンベもなかった。そして、疲れ果てて体を休めている時、近くに2人の遺体を発見してしまった(エベレストには多くの遺体が凍ったまま残されている)。

 「私もこうした人々と同じように死んでしまうのだろう、と考えました。その時、私は山頂に到達すること、賞金を手にすること、生き残ることなど、遠く離れた目標について考えることができませんでした。最終的に、私は一歩一歩足を進めること、それだけを考えていました」。

 それからニエンさんに奇跡が訪れ、同行していたインド人の仲間の助けを借りて、彼はエベレスト登頂に成功し、無事に帰還することができた。こうして「エベレストを征服した最年少のベトナム人」が誕生することとなった。

人間とは素晴らしい機械

 エベレスト登頂により築かれたニエンさんのその後の道のりには、色々なことがあった。「エベレスト征服者」として職探しに苦戦したことから始まり、短い期間ではあったがアスリートとしてクライミングで成功を収め、起業し、借金を抱え、裕福になり、そして映画に出演した。しかし、一番重要なことは、エベレストがニエンさんを恐れ知らずの人間に変えたということだ。

 「私のようにエベレストで死の危機に直面した人は、怖いものなどもう何もありません。何かをするときには徹底的に努力をしてきただけです。自分自身を最も困難な環境に置くのが好きなんです。人間とは素晴らしい機械であり、意思と尽きることのないエネルギーを持ち続けることで、その機械の可能性を十分に引き出すことができるんです」とニエンさんは語る。

 そしてその考えとともに、ニエンさんはエベレスト征服後も様々な挑戦をすることに躊躇しなかった。彼はファンシーパン山の頂上に国旗を掲揚するマラソンに参加し、またスタントマンを使わないアクション映画に出演し、北極マラソンにも挑戦した。

 多くの人は、ニエンさんがアスリートとしてではなく、より華やかに見える起業家や俳優として見られることを望んでいると考えるかもしれない。しかし、今年34歳になる彼自身によれば、自分の最大の強みはクライミングであり、最もやりたい仕事は登山ガイドなのだという。

 目標を達成することに加え、ニエンさんは新記録を達成することにも意欲的だ。ニエンさんは再びエベレストに登り、「山頂で最も長い時間服を脱いだ記録」を破ることに挑戦する計画があることを教えてくれた。

 ニエンさんが出演する映画「ハイ・フォン」は、5月22日から映像ストリーミングサービス「ネットフリックス(Netflix)」でも視聴できる。 

[Tuoi Tre 07:03 01/04/2019, A]
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