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[特集]

事故で両腕失った青年、足で絵を描き見つけた生きる道

2019/11/03 05:02 JST更新

(C) vnexpress
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 自分が描いた絵の対価として初めて20万VND(約960円)のお金を受け取ったとき、「自分は生きている!」と震えた。腕を失い、絶望のどん底に突き落とされてから6か月後のことだった。

 午前8時、グエン・バン・タイさん(男性・32歳)は椅子に座り、「仕事」を始める。足の指で鉛筆をつかみ、紙の上を滑らせる。しばらくすると、1人の男性の姿が徐々に浮かび上がってきた。

 ホーチミン市ビンタン区のアトリエで安定した仕事をするなど、2年前の恐ろしい事故の後は夢にも思わなかった。

 2017年8月、建設現場で作業員として働いていたタイさんは、中電圧線の放電により重度の火傷を負った。目が覚めると両手はなくなっていて、左腕の肘から少し先までが残っているだけだった。タイさんは自分の将来がどうなるのか見当もつかず、おびえ、混乱した。

 タイさんは、健康な身体から一転、食べることも飲むことも、排泄すらも他の人に頼らなければならなくなった。息子が取り乱すのを恐れて、タイさんの母親のチャン・ティ・ファットさん(64歳)は息子の前では涙を見せず、病院の廊下で泣き、ただただ息子を励まし続けた。

 病院で2か月を過ごす中で、自分よりももっと重度の火傷を負った人が、それでも生きようとする姿を何度も目の当たりにした。タイさんは、落ち込んでいてはいけないと、「自分にはまだ両足がある」と自分に言い聞かせた。

 自宅に帰ると、タイさんは子供のように歩く練習をした。何度もつまずき、母親が助けようとしても「お母さん、自分で立たせて」と言って、自分で立ち上がろうとした。タイさんは両親が不在のタイミングを狙って、自分のことを自分でする練習をした。自分でTシャツを着られるようになるまでには10日かかった。

 2か月後、タイさんは自分で歩くことができるようになり、「次はどうやって生きていこうか」と考えた。ネガティブな思考を止めるため、タイさんは足で字を書く練習をしてみようと思いついた。「いつか書類にサインをする必要があるかもしれないし」と。

 初めて足の2本の指の間にペンを挟んでみると、足はブルブルと震え、硬直し、キープしていることもできなかった。タイさんは疲れ果て、何日間も一文字すら書くことができなかった。

 そんなタイさんに、母親のファットさんは「神様はあなたから何かを奪ったけれど、他の何かを授けてくださるから。ゆっくり、少しずつでいいのよ」と慰めた。ファットさんはタイさんを励ますためにこう言ったのだが、実はファットさん自身はそんな風には思えなかった。

 毎日4時間の練習を繰り返して、足の2本の指でペンをコントロールできるようになり、2週間後についに自分の名前を書くことができた。

 字を書くことができてすぐに、タイさんは足で絵を描くことを考えついた。絵を描くというのは、長いこと忘れていたタイさんの才能でもあった。そしてこれは「自分で喜びを生み出すために何かやる」という単純な欲求だった。タイさんは、もしここで立ち止まったら絶望に飲み込まれてしまうと恐れていた。

 一番初めに小さな葉っぱを描いた。まだ描き切らないうちにペンは落ち、何度頑張っても掴めない。その時、タイさんは2日間休まなければならなかった。痙攣を起こし、痛みで眠れなかったのだ。

 タイさんは、焦れば焦るほど足の指が硬直しコントロールできなくなることを思い知った。数日後、脚の筋肉は柔らかく、またペンは柔軟に動かせるよう、一生懸命に練習をした。

 最初に描いた肖像画は3日で仕上がった。モデルと比べると70%くらいの完成度。母親のファットさんはその絵を手にして、「本当にそっくりよ!」と言った。タイさんも「まさかこんなにもすぐに絵が描けるようになるなんて」と驚いた。

 タイさんが自分のフェイスブック(Facebook)ページに描いた絵をアップすると、何人かの友人から肖像画を描いて欲しいと頼まれた。そして数日後、1人の友人が絵の報酬として20万VND(約960円)をくれた。事故から6か月後のことだった。

 「心が燃えるようでした。それが、自分の足で初めて稼いだお金だったんです。自分はまだ役に立てる人間なのだとわかり、母も涙を流して喜んでいました」とタイさんは振り返る。

 絵画を専門に学んだことがなく、感覚だけで描いていたタイさんは、ある客から家族14人の絵を依頼され、レイアウトがうまくいかず途方に暮れた。実に100枚以上も描いては捨てる、を繰り返した。

 別の客は、タイさんが送った肖像画が気に入らず、送り返してきた。2枚目もまた満足できないと送り返され、タイさんはどうしてかもわからず不安になった。他になすすべもなく、できる限りの力を出し切って、3枚目は目から手のしわまで細かく、何時間もかけて慎重に描いた。

 客はコメントこそしなかったものの、ようやく満足してその絵を受け取った。そしてタイさんは、送り返された2枚の絵には魂がこもっていなかったと気づいた。お金をもらって描く絵と、友人にプレゼントするために遊びで描く絵とは全く異なるものだということがわかったのだ。

 「障害はありますが、お客さんに同情で商品を買ってもらうためにそれを盾にすることはしません。自分が生み出すものは、品質と価値で勝負しなければなりませんから」。それ以来、タイさんはゆっくりと線を描き、濃淡を慎重に表現して、絵に精神を吹き込んでいった。特に目は肖像画の魂だからと重きを置き、最も時間をかけて描いた。

 タイさんは3か月余りにわたり水彩画の練習をしたこともあるが、うまくいかなかった。ある時は、突然筆を握っていられなくなり、落ちた筆で絵具が飛び散り、完成間近だった絵が台無しになってしまった。以来、タイさんは、鉛筆だけで描くことに決めた。

 2019年6月、タイさんは仕事のために故郷の東南部地方タイニン省からホーチミン市に移り住み、実家から離れて生活の全てを自分でしなければならなくなった。それでも、鉛筆削りはまだ自分1人でできないため、同じアトリエの友人に頼むのだった。

 これまでにタイさんが描いた100枚以上の絵が国内外の客の手元に渡った。現在は毎月10枚余りの絵を描いており、その稼ぎで生活を賄えるくらいになった。

 もし事故に遭っていなかったら、タイさんは変わらず工事現場の作業員として働いていただろう。そして、自分が絵を描いてお金を稼ぐ画家になるとは考えもしなかったはずだ。

 タイさんは、「皆、足で描いた絵のほうが手で描くよりもうまいと褒めてくれます。多くの人が私のことを画家と呼びますが、もし過去に戻れるとしても、両手と引き換えに画家になろうなんて絶対に思いませんよ」と苦笑した。 

[VnExpress 14:27 31/10/2019, A]
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