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[特集]

四肢を切断した女性、家族と歩む新たな人生

2020/06/14 05:57 JST更新

(C) vnexpress
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 「皆さんこんにちは、今日はこの商品を紹介します」。ズオン・ティ・タムさん(女性・29歳)は、ライブストリーミングで動画を配信しながら、商品の箱を胸の前でつかみ、手足がある人と同じように商品を販売する。

 2018年11月17日、東南部地方ビンフオック省チョンタイン郡(huyen Chon Thanh)に暮らすタムさんと夫のチャン・バン・タイさんの間に息子が生まれた。27歳のタムさんにとって、5年間待ちわびた子供は「甘い果実」そのものだった。夫婦は携帯電話用アクセサリー販売店を営み、さらにかわいい息子も生まれ、順風満帆だった。

 しかし、同じ年の12月初旬のある晩、タムさんは突然まったく力が入らなくなり、意識を失った。家族がすぐにタムさんを近所の国際病院に連れて行ったが、タムさんは「予測不可能な危険がある」として、7時間後にホーチミン市のチョーライ病院に移された。

 医師の診断では、胸部膿瘍により敗血症性ショックを起こしたということだった。数日後、タムさんは腸管感染症や腎不全に苦しみ、人工呼吸器をつけて透析を受けなければならなかった。手足はあざができたようになり、壊疽を起こしていた。

 産婦が乳房膿瘍で痛みを起こすことはあるが、タムさんほど重症化することはない。「お医者さんいわく、妊娠中から身体に菌が潜んでいたようです」とタムさんは語る。

 チョーライ病院の医師は、タムさんが入院したときから「運が良ければ命を救うことはできますが、手足は救えません」と言っていた。以来、夫のタイさんは、妻がもう元のようには元気にならないという状況を想像していた。

 「いくらでも払いますから、妻に最良の薬を使ってください」と、医師が治療スケジュールを提示するたびにタイさんは訴えた。タイさんはまた、少しでも手足を残せればという望みをかけて、高気圧酸素治療を受けさせるために妻を別の病院にも連れて行った。

 入院から15日目。これ以上、タムさんの回復を待つことはできなかった。手足の指は紫色に変わり、手のひらも足先も乾燥しきっていた。紫色の斑点は肘や膝まで広がり、医師らはこれ以上の壊死を防ぐために四肢を切断しなければならないと言った。

 タイさんが手術の書類に署名するために勇気を振り絞ろうとしていたときのことだった。いつから目を覚ましていたのか、タムさんはタイさんを呼んで、「あなた、私の手足を切り落とす書類にもう署名したの?」とたずねた。タイさんは「まだだよ、他に何か方法がないか探しているんだ」と答えた。

 タムさんは落ち着いた声で言った。「もうどうしようもないわ。書類に署名して。もし署名しなければ、子供の顔も見られなくなる」。

 手術室に入ったタムさんの頭の中には、たった2週間しか抱っこできなかった幼い息子の姿だけが浮かんでいた。「ケン」。麻酔で意識を失うまで、タムさんは息子の名前を呼び続けた。

 心の準備はできていたが、手術が終わって目が覚めたとき、タムさんはやはりショックを受けた。タムさんの脚は膝上から切断されていた。右腕は肘上から、左腕は肘が少し残るくらいのところからなくなっていた。

 「見ると脚が短くなっていて、落ち込み、深い穴の中に転げ落ちた悪夢を見ているような気持ちでした」とタムさん。当時、タイさんは時おりタムさんが空しい思いで涙を流している姿を目にすることがあった。

 そんなとき、タイさんは病室と自宅をビデオ通話でつなぎ、タムさんに息子の姿を見せるしか術がなかった。タムさんが息子に微笑むと、タイさんはそばで「がんばらないとね。息子はまだ小さいんだ、お母さんを失わせちゃいけないよ」とささやいた。

 2019年1月末、タムさんは退院した。このとき息子は生後2か月。帰宅したばかりのころは、疲労困憊した。病院では24時間誰かが世話をしてくれたが、自宅では何かを食べたり飲んだり、トイレに行ったりしたければ、家族に頼らなければならなかったからだ。

 タムさんは自己憐憫に駆られ、「自分は役立たずだ」と感じた。1か所に寝転んでいることしかできず、日に日に落ち込み、夜な夜な涙を流した。

 妻を自宅に連れて帰って数日経って、タイさんは借金を返済するために仕事に戻らなければならなかった。タイさんは毎朝早く起きて妻に朝食を食べさせ、妻の気が紛れるよう姉か祖母の家に連れて行った。

 タイさんの仕事場は自宅から60km離れたところにあり、携帯電話用アクセサリーの事業もまだ軌道に乗っていなかったため、それと別に広告や不動産などの仕事もしていた。

 それでも夜になるとタイさんは妻のところへ帰った。自宅に着くのが朝の4時になることも少なくなかった。タイさんはめったに甘い言葉をささやかないが、妻には自分の行動からいつも気にかけていることをわかって欲しいと望んでいた。

 退院してから1か月後、手術した切断部の包帯が外れ、タムさんは携帯電話を操作することができるようになった。以来、タムさんと息子は「同じ発達段階」に入った。

 息子が寝返りを覚えると、母親であるタムさんも一緒に寝返りを練習した。タムさんは徐々に起き上がることができるようになり、小さな子供のように1つずつ練習し、できることを増やしていった。4月末、タムさんは腿を使って座り、両腕で息子の頭をはさんであやす動画を撮った。息子はけらけらと笑っていた。

 5月上旬になると、タムさんはオンラインビジネスを始めた。動画の中でタムさんは、健康食品などの商品の箱を両腕で胸の前に掲げ、視聴者に向かって笑顔で紹介した。多くの人は、タムさんがほんの3か月前まで寝たきりだったなんて信じられなかった。

 タムさんは自分の新しい姿をさらすことにも尻込みせず、時にユーモラスに「2年前は、髪の毛を短くしたい、二の腕を細くしたい、足を小さくしたい、顔を小さくしたい…色々望んだけれど、今は全部実現できたわ」と自分をからかった。

 そして、タムさんは電動車椅子のおかげで移動もできるようになった。毎日タムさんが電動車椅子に乗ると、息子も一緒によじ登り、タムさんの背中にくっついて遊んだ。

 今、タムさんはシャワーを浴びたり着替えをするときだけは家族の助けが必要だが、自分で食べたり飲んだり、移動したりできるようになった。さらにオンラインビジネスで月に約100万VND(約4600円)を稼ぎ、息子にお菓子を買ってあげることもできるようになった。

 「息子のおかげで、普通の人と同じように楽しく暮らそうと決心できました」とタムさんは笑う。

 タイさんも安心し、今はより多くの時間を仕事に費やしている。今から4か月前、タイさんは携帯電話用アクセサリー販売店を新たに2店舗オープンし、同時に多くの他店の代理店も務めている。一家の経済状況も、タムさんが入院していたころのような苦しさはなくなった。

 今、タムさん夫婦は、成長する我が子とともに元気に過ごせることだけを願っている。 

[VnExpress 06:01 07/06/2020, A]
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