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[特集]

両腕のない青年、義父と交わした約束

2020/10/11 05:17 JST更新

(C) vnexpress
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 2020年8月、南中部沿岸地方ダナン市ホアバン郡で、後方にメロンが詰まったかごを2つ括り付け、前方に両腕のない男性を乗せて、女性がバイクを運転している。前方に座る男性がときどき頭を女性のほうに向けて何か冗談を言い、一緒に笑い合っている。

 この2人は、グエン・テー・クオンさん(1982年生まれ、南中部沿岸地方クアンナム省出身)と、妻のチャン・ティ・ミン・トゥーさん(1984年生まれ、南中部高原地方ザライ省出身)だ。

 2004年末、クオンさんは建設現場でのアルバイト中に事故に遭い、両腕を失った。「傷口の感染のために3度の手術を受け、両腕のほぼ全部が切断されてしまいました」とクオンさん。当時、ダナン工科大学の2年生だったクオンさんにとって両腕を失ったショックはあまりにも大きく、家族と一緒に心中することまで考えたが、母親の励ましで前を向くことができるようになった。

 そして、療養のためにしばらく自宅で過ごしている間にふと思い立ち、1人で荷物をまとめてダナン市へ向かった。そして、場所を借りてインターネットカフェとパソコン修理店を開き、お金を稼いで故郷の家族に仕送りをした。当時クオンさんの弟はまだ学生で、父親は何年も前に事故に遭い、身体が麻痺していた。

 クオンさんが後に妻となるトゥーさんに初めて出会ったのは、2005年に義手を製作するためにホーチミン市を訪れたときのことだ。トゥーさんは当時、地元のザライ省で教育を学んでおり、クオンさんと同じく両手がない父親の義手を作るためにホーチミン市まで来ていた。

 3日間一緒に治療を受ける中でトゥーさんの父親はクオンさんに好感を持ち、ザライ省に帰った後もしょっちゅう電話をかけて様子をたずねた。しかし、男同士の会話は数分しか続かず、トゥーさんの父親はクオンさんを励ますためにトゥーさんに電話を替わり、話をさせた。

 若い2人はますます頻繁に電話で話すようになり、初めは10~15分程度だった電話が2~3時間に延び、それでも足りないと感じるようになっていった。電話で会話するだけの日々を続けて3年が経ち、ついにクオンさんは勇気を出してトゥーさんをダナン市へ誘った。わずか数日後、トゥーさんは本当にダナン市を訪れた。初デートのとき、クオンさんはトゥーさんにハート型のキーホルダーをプレゼントした。

 その後、クオンさんは電話でトゥーさんに愛の告白をし、その情報はすぐにトゥーさんの父親の耳に届いた。しかし、トゥーさんの父親は2人の交際に断固反対し、トゥーさんの電話を没収してしまった。それは、自身が戦争で両腕を失い、妻が家族を養うために懸命に働いた末、過労で若くして亡くなってしまったという過去があり、自分の娘には妻と同じように苦労してほしくないという思いからだった。

 トゥーさんの父親が反対していることを知ったクオンさんは、直接会って2人の交際を認めてもらうため、土曜日の朝に600kmの道のりを経てダナン市からザライ省まで赴いた。しかし、トゥーさんの家の門は閉じられたまま、何も反応がなく静かだった。

 仕方なく、クオンさんは家の外でひざまずいていたが、トゥーさんの父親はそれを見て「勝手にしろ」と言うだけだった。それから9週間続けてクオンさんは遠路はるばるトゥーさんの家に行き、家の外でひざまずいていたが、やはりトゥーさんの父親は何も言わなかった。

 2009年7月、父親を説得することができないとわかったトゥーさんは、仕事を辞めて家を飛び出し、ダナン市にいるクオンさんのもとへと向かった。恋人が汗だくで家の前に現れたのを見て、クオンさんはすぐに彼女を故郷のクアンナム省に連れて行き、母親と結婚式について話し合った。

 3日後、結婚式が行われた。招待したのは100人ほどだったが、「腕のないクオンと急いで結婚するという花嫁の顔が見たい」と、200人以上の人々が興味津々で集まった。結納はせず、花で飾られた車もなく、新郎新婦の衣装を1着ずつレンタルしただけの簡素な式だった。

 新婦側の親族が誰も出席していないことについて、クオンさんの母親は近隣の人々に、新婦の家が遠く離れているため、後日新婦の家でも別に結婚式を開くのだと説明した。結婚式の後、若い夫婦は毎日クアンナム省からクアンさんが営むダナン市のお店まで、18kmの道のりを行き来するようになった。

 娘が駆け落ちして結婚したことを知ったトゥーさんの父親は、娘を勘当した。トゥーさん夫妻が母親の命日に帰省しても「おれにはもう娘はいない」とぶっきらぼうに周囲に話した。クオンさんとトゥーさんは、父親がまだ怒っていることを知っており、非難されることもわかっていたが、たびたび父親を訪ねて帰省した。

 それからの2年間、トゥーさんの父親は2人が存在しないかのように過ごし、夫婦が帰省しても一言も発しなかった。食事時になると、クオンさんは父親と同席するのを避けるために庭へ逃げた。

 2011年、トゥーさんは男の子を出産し、子供を連れて父親を訪ねた。孫が来ると事前に聞いていたトゥーさんの父親は、孫のためにオムツや離乳食などのベビー用品を大量に買い込んだが、娘の前では自分が買ったことを決して認めなかった。

 ある昼下がり、トゥーさんが外で洗濯をしているときに子供が目を覚まし、激しく泣き出した。すると、トゥーさんの父親は「赤ちゃんが泣いているぞ」と思わず口にした。それは、父親が数年ぶりに娘に話しかけた言葉だった。

 トゥーさんの父親は、「お父さんはどこだろうね」と話しかけながら孫をあやしていた。妻から父親の様子を聞いて、父親が心を開いてくれたことがわかったクオンさんは、翌日にザライ省へ駆けつけ、ようやく父親と2人で話をすることができた。トゥーさんの父親は「おれの娘を苦しませるなよ」と静かに伝え、クオンさんは「お義父さん、約束します」と誓った。

 2015年、夫妻はお金を借りて面積140m2の土地を購入し、家を建てた。2人目の男の子が生まれ、家族はよりあたたかく賑やかな空気に包まれた。クアンさんのインターネットカフェ経営の稼ぎは、家族が楽しく生活し、子供を育てるのには十分だった。

 しかし、2017年初めにクオンさんは店を妻に任せ、クリーン農業を学ぶために東南部地方ビンズオン省と南中部高原地方ラムドン省ダラット市に出かけて行くようになった。そして土地所有証明書を抵当に入れて銀行からお金を借り、ダナン市ホアバン郡にある3haの土地を借りて、ハイテク技術を用いた野菜やメロンの栽培を始めた。

 1年目は赤字、2年目は五分五分となり、2020年には2億~3億VND(約92万~140万円)の利益が出る見通しだったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で先が見えなくなってしまった。農作物の主な販売先であるレストランやホテルが閉業に追い込まれ、行き先を失った大量の農作物が手元に残った。

 こうした中、クオンさんのところで野菜を買ったある客が、クオンさんの農場の熟したメロンの写真をインターネットに投稿したところ、ダナン市に住む多くの人々がメッセージや電話を通じて購入を申し出てくれた。これを機に、夫妻は毎日約120kgものメロンをバイクに積んで、市内のあちこちへ配達に出かけるようになった。平均して1日に約200kmの距離を移動し、100件を超える注文を受けている。

 2人に苦労は多いが、夫妻の幸せな笑い声は今日も通りに響いている。 

[VnExpress 05:05 11/09/2020, A]
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