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[特集]

新型コロナ禍で失業した夫婦、深夜の資源回収で生活支える

2021/03/21 05:28 JST更新

(C) thanhnien
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 ベトナムでも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の打撃は大きく、特に今年のテト(旧正月)前に発生した第3波の影響により、テト明けに多くの人々が失業した。

 ほとんど教育を受けておらず、ホーチミン市で5人の子供を育てなければならない上、テト明けに2人揃って失業してしまった夫婦にとって、生活は以前の何倍も厳しいものとなった。

 ザイン・クアさん(男性・46歳)とティ・ミー・ズンさん(女性・37歳)の夫婦は、毎晩幼い子供を連れて資源回収(ベーチャイ=ve chai)に出かけ、夜通しホーチミン市をバイクで走り回る。

 クアさんはれんが職人として働いていたが、新型コロナの影響で工事がなくなり、失業した。妻のズンさんも勤め先の会社が解散し、職を失った。

 午後11時、クアさんはホンダのバイク「ドリーム(Dream)」を走らせ、ズンさんはクアさんの後ろに乗り、廃品を探して周辺を見回す。そして、クアさんの脚の間に乗せたビニール袋の上に4歳の息子が座る。こうしてクアさん夫婦の1日の仕事が始まる。

 ごみの山を見つけるとバイクを停め、夫婦でごみの中から段ボールやビン・カンなどの資源を探す。両親の仕事中、息子はそばに立って待っている。通行人は、人通りも少なくなった深夜の道路に小さな子供が立っている姿に目を留めるが、息子は見られることにも慣れていて、時にバイクのそばで踊ったり、歌ったりしている。

 ズンさんによると、夫婦揃って失業したため、家計は会社勤めの19歳の長女に頼らざるを得ないという。しかし、娘の月給も450万VND(約2万1200円)程度しかなく、野菜や米を買うお金を稼ぐために夫婦も資源回収に出なければならない。

 「末の息子は私につきっきりで、家できょうだいと留守番をしたがらず、私が出かければついて来ます。皆が寝静まった深夜に資源回収に連れて行き、夜更かしをさせてしまって、息子に申し訳ないと思っています」とズンさん。

 たくさんのごみの山を5分ほど探しても2~3本のペットボトルしか収穫がないこともあるが、時々飲み屋のそばを通り過ぎると数十本のビールの空き缶を集められることもある。

 多くの人が夫婦の顔を見知っていて、夫婦が通りすがる際に声をかけ、資源を持って行ってもらうという人もいる。一方、夫婦の事情を知らず、子供がかわいそうだと声をかけ、どうして家で寝かせないのかと夫婦を責める人もいる。

 「最近は同業者が多くて、1日に2~3本のボトルしか集まらないこともよくあります。道すがら、私と夫は代わる代わる息子に眠くないかたずね、息子が大丈夫と言えばまたバイクを走らせます」とズンさんは話す。

 こっちのごみ山からあっちのごみ山へ、ゴーバップ区から12区まで走ってまた戻り、それでも大した数の資源は集まらない。クアさんはこう語る。「週7日、夜通し出かけて集めた資源を売って、20万~30万VND(約940~1400円)程度の収入になります。多い週で40万VND(約1900円)もいけば大喜びで、野菜などを買うのにも十分です」。

 クアさん夫婦は2014年に仕事のためにホーチミン市へ移り住んだ。クアさんはれんが職人としての経験があり、仕事も容易に見つけられた。毎月1000万VND(約4万7000円)以上稼ぎ、子供たちの養育費も田舎の両親に送る仕送りも賄えていた。

 妻のズンさんは会社に工場労働者として勤め、月給は残業なしでも500万~600万VND(約2万3600~2万8300円)ほどあった。しかし、2020年の初めに体調を崩し、数か月休職した。ズンさんは新型コロナが落ち着いてから復帰するつもりだったが、復帰を申し出る前に会社が解散してしまった。ズンさんは失業手当も受け取れなかった。

 19歳の長女は中学1年生(日本の小学6年生)に上がると学校を辞め、家で3年を過ごし、下のきょうだいたちを養う両親を助けるために15歳で就職した。上の息子は身体が弱く、小さいころには何度も発作を起こした。その下の子供は田舎にいる母方の祖母に預けられ、きょうだいの中で唯一、今も学校に通っている。

 「私と妻がまだ働いていたときは、家族の中で(長女を含めて)3人が収入を得ていたので、家族の生活費は足りていました。でも、新型コロナのせいで私も妻も失業し、今は長女だけが働きに出ています。その給料で米を買い、お金が余れば野菜も買いますが、他に充てる余裕はありません」とクアさん。

 ズンさんもこう続ける。「長女は結婚してもいい歳ですし、もし長女が家庭を持つことになったら我が家の生活はどうなるのかと不安もあります。娘は『両親ときょうだいの面倒を見てから結婚すればいい』と言っていますが、とにかくこの新型コロナ禍を乗り越えられるよう願っています」。

 失業して数日の間、クアさんは仕事仲間たち皆に電話をかけ、人手不足の現場がないかたずねた。仲間たちの間でも仕事がないとわかると、今度はバイクを走らせて現場を探して回ったが、やはり仕事は見つからなかった。

 クアさんは「私は文字があまり読めないので、配車アプリのバイクタクシーの運転手もできません。昔ながらのバイクタクシーの運転手も、道がわからないので無理でしょう。そうなれば、妻を手伝って資源回収をするしかないんです。幸い大家さんが良い人で、3か月家賃を滞納していますが、それでも住まわせてくれています」と吐露した。

 田舎に帰らず、厳しい生活を送ってまでなぜホーチミン市に残るのかとたずねられると、ズンさんは苦笑しながら「ホーチミン市にいれば仕事はなくても資源回収はできます。田舎に帰っても資源回収では稼げません。だから、ここに留まるしかないんです」と語った。

 時計の針が、新しい1日が始まる時間を指した。クアさんたちは深夜のホーチミン市をバイクで走りながら、自分たちの生活のためにあちこちのごみの山を探している。 

[Thanh Nien 11:31 14/03/2021, A]
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