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[特集]

ベトナムにおけるメーデー(5月1日)の歴史と意義

2021/05/02 10:45 JST更新

(C) dantri
(C) dantri
 5月1日は「メーデー(労働者の日)」で、2021年で135周年を迎えた。この日はベトナムの祝日でもある。

 世界における労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日にアメリカ合衆国・カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟)がシカゴを中心にストライキを行ったのが起源だ。このストライキは、当時の長時間労働に対して「1日8時間労働」を要求するもので、数万人の労働者が40日間にわたり路上で集会やデモを行った。

 その後、1889年7月14日に開かれた第二インターナショナル(国際社会主義者大会)の設立大会で、5月1日を「国際労働運動のための休日」とすることが決議された。翌1890年5月1日に世界各地で第1回のメーデーが実行され、労働者たちが「1日8時間労働」を掲げてストライキや集会を行った。

 ベトナムにおけるメーデーの歴史は20世紀初頭に始まる。グエン・アイ・クオック(故ホー・チ・ミン主席)はマルクス・レーニン主義をベトナムに広める中で、世界の共産主義運動や労働者、労働組合について、特にロシアの十月革命と5月1日のメーデーについてベトナムの労働者が理解を深めるきっかけを作った。

 こうした中で、1925年5月1日、サイゴン・チョロン地区やジーアン鉄道、ダナン地区の労働者らはソビエト連邦を擁護する意志を表すためにデモを行った。

 その後、1930年2月3日にベトナム共産党が誕生した。党の最初の綱領では、ベトナムの労働者階級の役割と歴史的使命を、「工農連盟(労働者と農民による連盟)の枠組みの中核となる革命指導者階級」として定義した。

 同年5月1日には党の指導のもと、メーデーの日に初めて労働者と農民が集ってデモを行い、自らの権利のために戦い、世界の労働者との連帯を表した。この日の労働運動は、1930~1931年に各地で起きた労働者による運動の口火ともなった。

 1946年2月18日、故ホー・チ・ミン主席はベトナムの祝祭日に関する勅令第22c号に署名し、5月1日が正式にベトナムの祝日となった。さらに同年4月29日には、勅令第56号に署名し、労働者はメーデーに給与を受け取る権利を有すると規定した。

 そして1946年5月1日、ベトナムの祝日となって初めてのメーデーを迎え、2万人の労働者が参加する大規模な集会がハノイ市で行われた。以来、毎年5月1日はベトナムの祝日となり、各種活動が行われている。

 1946年6月20日にはハノイ市で救国幹部会議が招集され、以前の救国労働者協会を労働組合に改編し、「ベトナム労働組合総連盟」の設立を決定した。同年7月20日にベトナム労働組合総連盟が設立され、ハノイ市の市民劇場(オペラハウス)で式典が行われた。

 労働組合の設立は、ベトナムの労働者階級や労働運動、労働組合組織が成熟したことを表す出来事であり、ベトナムにとって大きな意義を持つ歴史の1ページとなった。

 その後、第一次インドシナ戦争と南北分断、ベトナム戦争を経て、1975年4月30日にサイゴンが陥落した。以降、ベトナムにおけるメーデーの位置付けは、4月の南北統一と相まって、党や国民、軍にとってさらに意味のあるものとなった。

 南北が統一され、1976年に国名がベトナム社会主義共和国となり、全国の労働組合組織を統一するための基本的な条件が整った。これを受けて同年6月6日、北部と南部の労働組合組織を統一し「ベトナム労働組合」とすることが決まった。この名称は後の1988年10月に、現在の「ベトナム労働組合総連盟」に変更された。

 1986年のドイモイ政策から35年が経った今、ベトナムの労働者階級は数も増え、質も向上している。現在、ベトナムにおける賃金労働者の数は約2450万人で、このうち企業の労働者が60%を占める。この数はベトナムの人口の約14%、労働力人口の27%に相当する。近年は労働者の教育水準や専門性も向上しつつあり、ベトナムの発展にも大きく貢献している。 

[Tuyen Giao 09:54 07/04/2021, A]
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