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[特集]

下半身不随でも諦めず、機械工として生きる男性

2021/06/06 10:52 JST更新

(C) vnexpress
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 2歳の時に両脚が麻痺し、小学校3年生までしか学校に通えず、それでも独学で勉強し続けたカオ・コン・タインさん(男性・55歳)は、機械工として働き、数十種類もの農業機械を製造してきた。

 工具が散らかった作業場で自作の電動車椅子の上に胡座をかいて座り、タインさんは顧客の納期に間に合うよう、最後の仕上げとしてニンニクスライサーの細部を丹念に溶接している。

 「若い頃は色々な仕事をしていたけれど、しっかり手に職をつけないと家族を養うことはできないと考え、独学で溶接と各種の機械製造について学んだんです」とタインさんは教えてくれた。

 2歳の時に高熱を出した後遺症で両脚が麻痺し、タインさんは小学校3年生までしか学校に通えず、かろうじて読み書きが身に着いただけだった。家は貧しく、タインさんは13歳の時に独学で自転車修理のやり方を学び、両親を助けるために修理の店を開いた。

 それから10年以上が経ち、近くに別の修理店ができると、タインさんの店の客は少なくなってしまった。客が来ず、手持ち無沙汰にしていると、隣人が殺虫剤噴霧器の修理を頼みに来たため、タインさんはやってみることにした。

 まず噴霧器の本体を分解し、手探りで動作の仕組みを調べてから修理を始めた。修理が終わって使えるようにはなったものの、ポンプが少し弱いと感じ、より強く噴射させる方法を考えた。

 「元の噴霧器は1kg分の蒸気しか圧縮できなかったのですが、2kg分圧縮できるように改造しました。人より仕事が遅い分、新しいお客さんに来てもらうためには工夫しないといけませんから」とタインさん。以来、タインさんの店には自転車修理の他に、農具修理のサービスも加わった。

 その後、25歳で結婚して子供を授かったが、修理店の収入だけでは家族を十分に養えず、タインさんは車椅子で宝くじを売りに行くことにした。宝くじを売りに行くと言いながらも、道すがら誰かが何かしているのを見つけると車椅子を止めて作業を見物し、事細かに質問した。

 色々と見た中で、タインさんが一番気に入ったのは機械の仕事だった。宝くじ売りの仕事で少しばかりの蓄えができたタインさんは、溶接機を購入して独学で機械修理の技術を身に着けることにした。

 「10枚の宝くじを売って1万VND(約48円)の利益を得るのに半日かかることもある。溶接の技術があれば、天候にも左右されず、5~10分の作業で10万VND(約480円)を稼ぐことができる」とタインさんは試算した。

 それから、日中は宝くじを売りに行き、夜は明かりを灯して溶接機のスイッチを入れ、もらってきた鉄くずで溶接の練習をした。当初はまだ安全ゴーグルを持っておらず、タインさんの両目は刺激で腫れあがり、一晩中涙が流れる有様だった。

 最初に受けた注文は、ドラゴンフルーツの栽培用の支柱1000本を作って欲しいというものだった。依頼主の要求は、「見た目はどうでもいいから、しっかりとくっついていること」だった。この注文はタインさんにとって絶好の機会で、1000本の支柱が完成した時には彼のスキルは大幅に向上していた。

 機械工になるという縁は、タインさんにとって自分自身、そして地元の人たちを助けるための道具や機械を作るという本当の情熱を見つけるきっかけにもなった。

 今から4年前、立ち寄ったカフェで店主の女性がココナッツの皮をナイフで割ろうと苦労している姿を見て、すばやく簡単にココナッツを割ることができる道具を作るというアイデアを思いついた。

 そのまま材料を買いに行き、自宅に帰って作業に取りかかった。そして約1か月に及ぶ研究で200個近いココナッツを割り、10枚以上も刃を交換し、ついにココナッツの皮むき機が完成した。タインさんのブランド名がついたココナッツの皮むき機は、これまでに数百台も売れている。

 このように日常を観察することで、タインさんはそれぞれ用途が異なる数十種類の道具や機械を生み出してきた。そして、ニンニクスライサーから障がい者用の電動車椅子まで扱う小さな溶接店は、南部メコンデルタ地方ロンアン省タンアン市で名の知られた機械工場に発展していった。

 「私は父をとても誇りに思っています。父は手に職を持って働き、健常者と同じように収入を得ているんですから」と、タインさんの息子であるカオ・ティエンさん(男性・30歳)は教えてくれた。

 年を重ねたタインさんの両手は、長年にわたる過労が蓄積したこと、また両脚の代わりに身体を持ち上げてきたことで、2年ほど前から関節が痛むようになった。治療のための入院中、タインさんは自分自身が乗る車を作ろうと考えていた。

 レーシングカーのような形を思い浮かべ、頭の中でフレームを描いた。退院すると、設計図やデータを書き出すことなく、すぐに製作に取りかかった。はじめに車のフレーム、そして座席、エンジンルームに加え、ルーフ、ウインカー、マフラーなどの部品に着手し、6か月後にタインさんオリジナルの車が完成した。

 「健康な人にはたくさんの選択肢があり、どんな車でも運転できます。両脚が動かない私にとって、自分に合った車を作り、自分で運転して出かけられるというのは大きな誇りです。好きなことはやってみる。落ち込んだり諦めたりしなければ、成し遂げられます」とタインさんは語る。

 最近、タインさんは車に運転手と車体を上に持ち上げて180度回転させるシステムを追加し、車の方向転換がより容易になった。

 タインさんは車のハンドルについたミラーを見てこう語った。「自分の顔がどう見えるか、時々確認するためにこの鏡を取り付けたんです。振り返ってみると、この仕事のおかげで自分自身が成長し、また子供たちを養って来られたことはとても幸運で、何よりの幸せです」。タインさんはそう言うと、優しく笑った。 

[VnExpress 05:06 05/05/2021, A]
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