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[特集]

彼女にフラれてボディビルの道へ、ベトナム人青年が日本でチャンピオンになるまで

2022/01/16 10:52 JST更新

(C) vnexpress
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 今から7年前、ルオン・ホン・ソンさん(男性・30歳)は恋人と別れたモヤモヤやストレスを晴らすため、ジムでのトレーニングを始めることにした。予期せず、この決断が彼の人生の方向を変えることになった。

 東北部地方バクザン省イエンテー郡出身のソンさんにとって最も大きな人生の節目は、日本での7年間におよぶジムでのトレーニングを経て国際ボディビルダーズ連盟(IFBB)のプロカードを獲得し、プロコンテストに足を踏み入れたことだ。

 「2022年の目標は、2023年に米国のラスベガスで開催される世界で最も権威あるボディビル大会『ミスター・オリンピア(Mr. Olympia)』の予選を通過し、ベトナム人初の出場者になることです」とソンさんは意気込みを語った。

 これは、ソンさんが2014年にジムに通い始めた当初は考えもしなかった展開だ。

 当時、ソンさんと恋人は共に日本に留学していた。しかし、ソンさんはアルバイトで忙しく、恋人と過ごす時間も持てなかった。恋人から別れを告げられた時、身長168cmで51kgあったソンさんの体重は47kgまで落ちていた。

 ソンさんは恋人と別れたストレスを晴らすため、また自分自身を磨いて自尊心を高めるためにジムでトレーニングを始めることに決めた。しかし、ルームメイトの友人は、ジムはお金がかかり留学生の生活には見合わないと必死に思い止まらせようとしたという。

 ソンさんはジムでのトレーニング時間を毎日2時間確保するため、夜間のアルバイトを減らした。一方、毎月のジムの費用は生活費のおよそ半分を占めた。パーソナルトレーナーを雇うお金もなく、ユーチューブ(YouTube)や本でボディビルについて独学し、また栄養学やカロリー計算、トレーニングの方法についても学んだ。その結果、6か月後にはソンさんの体重は60kgに増加し、身体も引き締まった。

 体型に自信が持てるようになると、ソンさんは在日ベトナム人のコミュニティに積極的に参加するようになり、トレーニング方法や栄養管理について多くの質問を受けるようになった。

 2016年4月、ソンさんは九州国際大学に合格し、経営学を専攻した。大学に通いながらも、ソンさんの頭の中は常にボディビルのことでいっぱいだった。そして2年生になったソンさんは、ボディビルの分野で早くビジネスを始めるため、大学を退学することを決意した。

 しかし、ビジネスビザで日本に滞在するためには、最低10億VND(約500万円)の資本金で会社を設立する必要があった。家族に隠すことはできず、資金を借りるために故郷に電話したところ激しく反対され、父親のルオン・カオ・コンさんからは「退学するなら二度と故郷に顔を出さないでくれ」と突き放されてしまった。

 最終的にソンさんは親戚や友人から資金を借り、ボディビルダー向けのサプリメントを米国から日本に輸入するビジネスを始めることにした。父親に自分の能力を証明したいと意気込み、初回の輸入分に全ての資金を注ぎ込んで、大勝負に出ることにした。

 しかし、輸入規則を細かく確認していなかったため、商品に含まれる一部の成分が日本で流通が許可されていないものであることが判明し、商品の通関許可が降りなかった。商品を失い、会社は破産の危機に陥った。強制送還の恐怖と10億VND(約500万円)の借金が重くのしかかり、ソンさんは懸命に働いた。

 「ソンはほとんど眠らずに働く日もありました。初めの半年、彼は食費を友人に借りないと生活できない日々でしたが、一度も不満をもらしたことはありませんでした」と、ソンさんの親友であり、一緒に起業もしたグエン・ベト・フォンさんは教えてくれた。

 必死の努力で会社は徐々に軌道に乗り始めたが、それでも利益は少なかった。そこでソンさんは戦略を変え、自分の名前を広めて販売数を増やすことを目指し、2018年6月に大阪で開催された大会に出場した。しかし、初出場となったこの大会で、ソンさんはトップ20にも入ることができなかった。

 「失敗しても、そこから立ち上がらなければ」とソンさんは自身を奮い立たせ、同時にうまくいかなかった原因を探り始めた。それから夜な夜な動画や専門書で研究し、食事の取り方がまだ適切ではなかったことに気づいた。

 出場者は大会の1週間前から水抜きと塩抜きをすることで皮下水分を減らし、大会当日に皮膚が筋肉に張り付いているような、ボディビルダーとしてバランスの良い身体になるよう調整しなければならないのだ。

 2か月後、福岡で開催されたボディビル大会でソンさんは見事優勝した。それからというもの、ソンさんは在日ベトナム人コミュニティの中でさらに有名になり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフォロワーも2~3倍に増え、商品の販売数も増加した。

 そして2019年末には借金の返済も完了し、2人で始めた会社は12人のスタッフを抱えるまでに成長した。

 輸入販売ビジネスで成功を収めたソンさんは、別の分野にも進出し始めた。2019年10月、日本で初となるベトナム人経営の面積100m2のジムを大阪市の中心地にオープンした。また、ジムのほかに理髪店やリサイクルショップなども開き、毎月の総売上高は20億VND(約1020万円)に上り、利益率は35%となっている。

 「ソンさんはボディビルでも仕事でも、何に対しても全力で努力する人です」と、ソンさんの元上司で、一般社団法人日本ベトナム協会の副会長を務めるグエン・ドゥック・ロン氏は話す。

 初めて出場した大会での敗北が忘れられず、ソンさんは2020年10月に再び関西地区から300人の有名選手が集まる同じ大会に出場し、見事優勝した。2021年には「FWJウエストジャパンチャンピオンシップ(FWJ WEST JAPAN CHAMPIONSHIPS)」と「オリンピアアマチュアジャパン(Olympia Amateur Japan)」のメンズフィジーク部門でもチャンピオンの座を獲得し、プロカードを手にした。

 ボディビルに情熱を注ぐ息子を見て、父親のコンさんは「いつ大学に戻るのか」と聞くことはなくなった。ソンさんは現在、サプリメントのオリジナルブランドを、ベトナムのブランドとして日本で立ち上げることを計画している。「オリジナルブランドを持つことは、たくさんのお金を持つことよりもずっと幸せです」とソンさんは語った。 

[VnExpress 07:00 17/12/2021, A]
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