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[特集]

「象の足」と共に生きる女性、母親としての願い

2022/03/27 10:35 JST更新

(C) vnexpress
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 夫が亡くなった日、ファム・ティ・ティンさん(女性・43歳)は出産間近のお腹を抱えながら、自分も夫の所に行ってしまおうかという考えがよぎった。しかし、3歳になったばかりの上の娘の泣き声を聞いて我に返った。

 当時、近所の人の中には母子の苦しみを和らげるためにと、産後に赤ん坊を手放すよう勧める人もいた。足の皮膚が「象の足」のように肥厚・変形する病気のため、常に這うようにして移動しなければならないティンさんは頷いた。

 しかし、子供を引き渡す日が来るとティンさんの母性愛は高まり、子供は手放さないと決心した。「母と子が一緒にいられれば、どうにでも生きていけます」と、ティンさんは涙ながらに伝えた。

 北部紅河デルタ地方フンイエン省ティエンルー郡アンビエン村ノイレー村落に住むティンさんは、14歳の時から「象の足」と共に生きなければならなくなった。その年、ティンさんの足に突然黒いあざが現れ、徐々に大きくなって潰瘍化し、皮膚が剥がれていった。国立マラリア・寄生虫研究所の医師は、治癒が見込めないフィラリア症と診断した。

 ティンさんの足は日に日に大きくなり、ひだになって垂れ下がり、度々真っ赤に腫れ上がった。「きちんと薬を飲まないと高熱が出て、蛇の皮のように皮膚が剥がれるんです。見た人は皆怖がってしまいます」とティンさん。発病してから、ティンさんは家と畑を往復するだけの生活を送っていた。畑に行く時は、子供が怖がって泣かないようズボンの裾を捲り上げないようにしていた。

 ノイレー村落の人々は当時、村の外から野菜や豚を担いで帰って来たティンさんが、子供たちに「象の足」とからかわれ、泣いているところを何度も目撃していた。「でも時間が経つにつれて、人から何を言われても気にしなくなりました」とティンさんは当時を回想した。

 青年期に入っても、ティンさんは畑、養鶏、養豚などの農作業しか知らず、近所の人の結婚式に招待されても自分が哀れになり、家の裏手に逃げて泣いていたという。

 28歳の時、ティンさんは隣村に住むグエン・バン・ティエンさん(当時40歳)を紹介してもらった。2人とも貧しい中で結婚し、ティエンさんの両親が住む広さ20m2程の古びた家で生活を始めたが、新婚夫婦の部屋はベッド1つを置くといっぱいで、残ったスペースは狭い通り道だけだった。

 雨季には雨漏り対策でベッドの上部に防水シートを張らなければならなかったが、夏の夜は壊れたタイルの隙間から月と星を眺めることができた。がらんとした部屋の中に貴重品は何もなく、2人にとって困難な生活を満たすことができる唯一のものは、愛だけだった。

 2009年に第1子となる娘のキム・アインちゃんが誕生した。子供の笑い声で家の中はにぎやかになり、生活の苦しさや悲しみは減っていった。2012年、ティンさんは2人目の子供を授かった。しかし、出産の準備を進めていた矢先に、突然夫のティエンさんが亡くなった。

 ティエンさんが亡くなった2週間後、ティンさんは家に残っていた80万VND(約4200円)をカバンに入れて病院に行き、出産した。第2子のトゥー・ハーちゃんは無事に生まれたが、父親の顔を知らない。

 1人で2児を育てるため、広さ720m2程の畑作業に加えてハスの実の皮を剥く仕事にも出かけ、ティンさんは毎日3~4時間しか眠らなかった。以前はティンさんの母親が畑作業を手伝ってくれていたが、夫のティエンさんの1周忌の直後に母親も亡くなり、ティンさんの足も日に日に腫れて痛むようになってきたため、畑は放置せざるを得なくなった。

 稲を植えることができず、親子3人は米を買わなければならなくなった。蓮の実の皮を剥く仕事は1日2万VND(約106円)程度の収入で、それ以外に国から支給される障害者手当70万VND(約3700円)に頼る生活を送っている。

 毎日の食事は村の人が安く売ってくれる数切れの豆腐と野菜だけだ。以前は3羽の鶏を飼っており、法事などの際には食事が豪華になった。その度に2人の子供は大喜びで、母親のため息を聞きながら台所の隅で忙しなく食べていた。

 リュウガンの季節になると、ティンさんはリュウガンの皮を剥く仕事にも出かけ、日中では時間が足りず家に持ち帰って夜も仕事を続ける。「座り続けると足がとても痛くなりますが、米櫃が空になることを考えると心配で、自分を奮い立たせています」とティンさん。

 今年、ティンさんの娘はそれぞれ13歳と9歳になり、学校から帰るとハスとリュウガンの皮を剥いて母親の仕事を手伝っている。この仕事の稼ぎで、食費の他にティンさんの薬代も賄っている。母親が体調を崩して稼ぎがない日々は、姉妹は冷たい白米にヌクマムだけの食事を取ることもある。

 新型コロナ禍になり自宅でオンライン学習をしなければならず、親戚が2人にスマートフォンをくれたものの、1台を交代で使うため、1人が授業を受けている間はもう1人は休まなければならなかった。

 数か月後、姉のキム・アインさんの学校がアインさん家族の状況を知り、パソコンを貸してくれたため、姉妹は2人とも休むことなく授業に参加することができるようになった。

 姉妹は13歳と9歳になっても未だに新品の服を着たことがなく、制服も含め、いつも寄付してもらった物を着ている。2人の服に穴が開いているのを見たティンさんは何度も市場に服を見に行ったが、その値段が10回分の食費と同じだったため、ため息をついて何も買わずに帰宅した。

 暑い夏の午後には、親子は誘い合ってよく木陰に座って涼んでいる。姉妹は水蒸気を噴出するミスト扇風機を夢見たことがあるが、その電気代を計算したティンさんは「誰かがミスト扇風機をくれたとしても、電気代がかかるから使うつもりはないわよ」と舌打ち交じりに伝えたのだった。

 ティンさんは、金欠で苦労しながらも近所の人に借金をする必要がほとんどないことを誇りに思っている。ティンさんは自分の病状をわかっており、どれだけ生きられるかもわからないため、誰からも借金はしたくないのだ。「もし自分が死んでしまっても、子供2人はまだ小さくて借金を返すことができず、申し訳ないですから」とティンさんは語る。

 村落長のグエン・ティ・ホアさんによると、ティンさん家族は村の中でも特に困難な状況にある家庭だという。2017年にアンビエン村の女性協会と祖国戦線が共同でティンさん家族への寄付金を呼びかけ、老朽化した広さ20m2の家の修理とベッド、椅子、テーブルなどを購入してくれた。それ以来、ティンさん家族は雨が降るたびに家の中を行ったり来たりして雨水を集める必要がなくなった。

 新型コロナ禍のこの2年間、ティンさんはハノイ市の病院を受診することがほとんどできず、足が痛んだり発熱したりした時には自分で薬を買って飲んでいる。ティンさんの1番の心配事は、病気が進行し悪化しているものの治療のためのお金はなく、子供たちが孤児になってしまうかもしれないということだ。

 「もし奇跡が起こるなら、2人が学業を途中でやめざるを得なくなることのないよう、2人を育てていくための健康な身体がほしいです」と、ティンさんは胸の内を明かした。 

[VnExpress 07:00 22/02/2022, A]
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