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[特集]

「ベトちゃんドクちゃん」のドクさん、日越交流と平和教育に意欲 コロナ禍とウクライナの戦火に思いも

2022/04/10 10:30 JST更新

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(C) Southern Breeze
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small>(※本記事はVIETJOベトナムニュースの取材によるものです。)

 ベトナム戦争時に米軍が散布した枯葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれたグエン・ドクさん(41歳)は、ウィズコロナ時代の日本とベトナムとの文化交流、そして平和教育の活性化に意欲を示している。新型コロナ禍では、感染者治療の現場に関わり、自らも新型コロナ感染を2回も経験した。その後遺症が残る中、ウクライナでの戦火を憂慮し、戦争被害者としての経験を語り継ぐ決意を新たにしている。



 ドクさんは、日本で「ベトちゃんドクちゃん」の愛称で呼ばれていた双子の弟になる。1981年、南中部高原地方コントゥム省で兄のベトさんと下半身がつながった状態で生まれたが、1986年にベトさんの容態が悪化。日本に緊急搬送され、大きく報じられた。

 2人はその後、1988年にベトナムで分離手術を受ける。兄のベトさんは長く寝たきりの状態が続き、残念ながら2007年に亡くなった。ドクさんは職業学校でコンピューター関連の技能を習得し、医療事務職に就いた。2006年には結婚し、2009年に男女の双子が誕生した。いまもホーチミン市に家族で暮らしている。

 取材場所でドクさんは「初めまして、きょうはよろしくお願いします」と、流ちょうな日本語で挨拶してくれた。元気そうな様子だったが、実は新型コロナウイルスに2回も感染し、外出できるようになったばかりだという。

新型コロナ禍での苦闘

 最初の感染は、ドクさんの仕事が影響したとみられる。ベトナムで新型コロナ感染が急速に拡大した2021年、政府は8月から厳格な社会的隔離措置を実施した。その間もドクさんは医療事務の従事者として、新型コロナ患者のための臨時病院で医療事務に従事した。感染の拡大防止のため、帰宅もできず病院に泊まり込む日々が1か月も続いた。

 新型コロナ対応の最前線、ドクさんは「仕事そのものよりも、心理的な苦しさがあった」と話す。自身も、分離手術の前後は当然のこと、その後も腎臓や尿管などの病気で手術や入院を繰り返してきた。医療現場には慣れているはずだったが、「そんな自分でも、新型コロナ感染者の苦悶する姿や、死者が増えていく状況を目の当たりにするのは辛かった」(ドクさん)という。

 その後も、PCR検査チームの一員として、感染爆発が起きた地区への派遣などで忙殺され、就寝は夜2〜3時の生活が2か月半も続いた。落ち着きが見えはじめた10月、自らの新型コロナ感染が分かった。さらに今年2月には、数か月ぶりに登校を再開した子どもを介し、再び感染してしまった。

日越交流にかける思い

 2回の感染とも自宅での投薬治療で治癒できたものの、現在も不眠や背骨の痛みなどの新型コロナ後遺症が残っている。まだ体調は万全ではないものの、そんな状況下でも日越の交流と平和教育に意欲を示している。

 日本とベトナムの交流は、新型コロナ禍で縮小を余儀なくされたが、ドクさんは常に日本のことを考えていた。分離手術などで支援を受けた日本への思いは強く、子どもたちの名前も男の子は「フー・シー(富士)」、女の子は「アイン・ダオ(桜)」と命名したほどだ。

 日本で新型コロナの感染拡大が続いていた2020年7月には、日本ベトナム友好協会大阪府連合会に不織布マスク1万2500枚を寄付した。当時のベトナムは新型コロナ抑え込みに成功しており、日本の感染拡大を知って胸を痛めたという。

 ドクさんは新型コロナについて、医療現場を知る経験からみても「当面は終息しない」と感じているが、渡航制限の緩和による日越往来の拡大には期待を寄せる。新型コロナ前より旅行会社と提携し、日本からの修学旅行生や観光客、在越日本人向けに、交流会や講演会を実施してきた。戦争被害者としての思いや平和への願いを伝えていくことは使命だと感じているようだ。

戦争で犠牲になるのは子どもたち

 ウィズコロナ時代での平和教育に意欲を示す中で、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった。ドクさんはまず、子どもたちが犠牲になっている状況に「自分の心が痛い」と話した。戦火の最中でも、現地では新たな生命が生まれたという報道には「とても感動した」というが、喜び以上に「その子の将来がどうなるか、とても心配になった」という。「自分自身の(戦争被害者としての)経験もあるし、今は自分も親の立場だからこそ、強く思う」。

 また、「世界は、武力ではなく対話で問題解決できるようにならなければならない」と強調。ウクライナの戦火も「早く終わらせなければならない」と、いつも朗らかな表情を硬くしながら話した。

 ドクさんは今後、ホーチミン市の戦争証跡博物館で、枯葉剤被害の深刻さを伝える語り手としての活動も毎週末に行う予定だ。 

[2022年4月4日 ベトジョーニュース A]
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