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[特集]

「異形」のベトナム男児と米国女性の物語

2022/06/05 10:34 JST更新

(C) vnexpress
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 17年前、ホープさん夫妻は、フンという名のベトナム人男児を養子に迎えた。小さく、体中に疥癬があり、そして顔の半分が腫瘍に覆われた男の子だった。

 「サミュエルはもう高校を卒業して、じきに大学に入るんですよ」。米国カリフォルニア州サンディエゴに住む米国人女性ホープさん(51歳)が語るサミュエルというのはそう、17年前に夫妻が養子に迎えたベトナム人男児フンのことであり、渡航して間もなく、米国の医師からも、言葉を話すことができないか、普通の子のように学校には行けないだろうと言われた子のことである。

 1990年代、疫学者であったホープさんは、仕事で東南アジアを訪れていた。貧しく、やせ細った子供たちと毎日接するうちに、彼女の心には、いつかこの子達を養子に迎えることができれば、という想いが募るようになった。

 「いつも神様にお祈りをしていたのですが、ある晩、ホーチミン市を歩いている夢を見たんです」。

 それが、シグナルだった。2005年に彼女と夫ジョンさんは、ホーチミン市ゴーバップ区の孤児院に、養子を迎えたいという希望を伝えた。すると孤児院からは、赤あざをはじめ健康に多くの問題を抱えた子供を紹介された。名はグエン・レ・フン、16か月の子供だった。しかし孤児院から送られてきた写真を見て、ホープさん夫妻は動揺を隠せなかった。子供の状態が、ここまで深刻だとは思っていなかったからだ。

 しかし夫妻はまず、フンのもとを訪ねることにした。書類によると、男の子は2004年に東南部地方ビンフオック省で生まれた。生後16か月であり、もう歩き始めておかしくない年頃だったが、彼はまだ、生まれたばかりの赤ん坊のように、ベビーベッドのなかにいた。

 孤児院の職員によると、フンは双子で生まれたが、病気を抱えていたため、両親は元気な子だけを育て、フンを孤児院に預けた。両親はその後、何度も孤児院を訪ね、やはり自分たちのもとへと引き取ろうとしたが、適切な医療のケアを受けなければフンは死んでしまう、孤児院に預けて、外国で治療ができるような養子の引き取り手を探した方がいい、そう孤児院側が諭したのだった。

 初対面の日、ホープさんは彼のもとに近づき、話しかけた。「この子の笑顔が心に焼きついて、何とか助けてあげなければと思ったんです」と彼女は言う。

 夫妻はフンを養子に迎え、サミュエルと名付けた。米国に帰って2週間後、ホープさんは末娘を生む。4人だった家族に、新しい家族がいっきに3人増えた。生まれたばかりの女の子とサミュエル、そしてエチオピアからやってきた16か月のもう1人の養子だ。

 ホープさん夫妻は、サミュエルに栄養を与え、感染症の治療をし、腫瘍の除去手術に耐えられる健康を保てるよう頑張ったが、最初の数か月はやせ細る一方だった。

 サミュエルの腫瘍には血管が多数通っていたため、出血して死亡に至るリスクがあった。ホープさん夫妻はサミュエルを大小さまざまな病院に連れて行き、何十人もの医者に会ったが、手術をしてくれる人にはなかなか巡り合えなかった。それでもあきらめずに探し、ようやくある医者が、手術に同意してくれた。

 腫瘍の大きさから何回かに分けて手術を行うことになり、顔の手術をすること5回、目の手術をすること2回、ようやくサミュエルは、視力と外見を取り戻した。

 ただ困難はそればかりでなかった。サミュエルは発話が遅く、歩くのも、何かを覚えるのも遅かった。夫妻は、サミュエルに理学療法を受けさせ、運動させ、発話の練習をさせ、発達の遅れを治療するための行動療法を受けさせた。だがホープさん夫妻の心にはある時から、こんな思いもよぎり始めた。「もしかしたら彼は生涯、私たちに頼って生きていかなければならないかもしれない」と。

 毎日サミュエルを治療に連れて行くだけでなく、ホープさん一家は、サミュエルの運命を変えようと力を合わせた。

 「治療に大金をかけてくれただけでなく、家族はみんなで、私の歩く練習をしてくれて、話せるようになるために教えてくれて、本を読んでくれました。みんなのおかげで、私は普通の子供のように成長することができました」とサミュエルは言う。そんな彼は、今や話すことは無論、仕事をして収入も得ている。

 ホープさん家族のなかで、アジア人はサミュエルひとり。よく鏡を見ては、自分が皆と違うことを感じている。住んでいる地域はアジア系が多いわけでもなく、故郷の文化を感じる機会も少ない。息子が自分のルーツとのつながりを失ってしまうことを恐れたホープさんは、米国で開かれているベトナム系の人々の伝統的な祭りに彼を連れ出し、ベトナムのことが書かれた本を贈った。

 2年ほど前、ホープさん家族は、エチオピア人の養子と実の父を再会させることができた。このことがホープさんにとっては、サミュエルの家族探しの大きなモチベーションになった。「あの子も両親を探したいと言っていますし、ご両親もきっと子供を探しているでしょう。サミュエルはベトナム料理が大好きなんです。特にフォーがね」とホープさんは言う。

 何年にもわたって、ホープさんは米国に住むベトナム人を頼ってサミュエルの家族探しをしたが、手がかりはなかった。しかし最近になり、大学時代のベトナム人の友人を通じてインターネット上に情報を掲載したところ、この5月26日に、サミュエルの母親を名乗る、ビンフオック省出身の女性から連絡が入った。いまDNA鑑定などを進めているところであり、「期待通りの結果が得られると思っています。その時がくれば、サミュエルに18歳の特別なプレゼントを贈ることができますね」とホープさんは語った。 

[VnExpress 06:00 27/05/2022, F]
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