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[特集]

ハノイの「鍛冶屋村」唯一の女性職人

2022/06/19 10:23 JST更新

(C) vnexpress
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 初夏の午前7時、ドー・ティ・トゥエンさん(女性・57歳)は手持ちの中で一番古い服を選び、ブーツを履き、分厚いグローブをはめ、布の帽子をかぶって、40年物の炉に火を入れる。

 トゥエンさん一家の工房は、刃物作りの伝統工芸村として知られるハノイ市ハドン区の「ダーシー鍛冶屋村」にある。炉に火がつくと、面積20m2余りの工房全体に熱風が広がる。風量を最大にした3つの扇風機は、工房の温度を下げるのに全く役立たない。

 「普通、仕事に行くときは一番きれいな服を選ぶでしょ。でも私は一番汚れている服を着るんです。冬でも夏でも長袖よ」と、トゥエンさんは手に持ったハンマーを、燃えるように真っ赤な刃金に打ちつけながら言った。

 ダーシー鍛冶屋村は北部のデルタ地方で最も古く、最も有名な鍛冶屋村の1つだ。村の人によれば、鍛冶の仕事は北中部地方タインホア省出身のグエン・トゥアンとグエン・トゥアットという2人の老人によって伝授され、16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて形成されたという。

 村で生まれ育ったトゥエンさんは、刃物を作って売ることで生計を立てていた両親の手伝いで、14歳のころから工房に出入りしていた。

 鍛冶の仕事の大変さを目の当たりにしてきたトゥエンさんは、高校3年生のときに学校を辞め、病院で食事の配給をしていたが、1人の友人から西北部地方ホアビン省に仕事を探しに行こうと誘われた。しかし、両親は娘が家から遠く離れることを嫌がった。

 「自宅でできる仕事は最高だぞ。出稼ぎなんてする必要はないよ」と、父親は励ました。以来、若かりしトゥエンさんは、鍛冶の仕事に就き、父親に倣って刃物を作り、市場で売るようになった。

 最初はハンマーが手になじまず、強く叩いていたため刃金はなかなか思い通りの形になってくれなかった。1日中ハンマーを握りしめていたため、腕が疲れ果ててご飯茶碗を持ち上げることすらできないときもあった。両方の手のひらには水ぶくれができ、眠れないほど痛んだ。

 18歳になったトゥエンさんは、同じ村でともに鍛冶の仕事をしていたディン・コン・タムさんと恋に落ちた。「彼は兄の友人で、兄が軍隊に入っているときによくうちに来て重労働を手伝ってくれていたんです。女の私が鍛冶の仕事をこなしているのを見て、いつの間にか好きになったみたい」とトゥエンさんは回想する。やがて2人の恋の炎は燃え上がり、トゥエンさんが19歳になると2人は結婚した。

 茅葺き屋根と土壁の家の中で価値のあるものといえば、鍛冶用の作業着だけだった。トゥエンさんは夫から新しい種類の刃物の作り方を学び、夫婦は鍛冶の仕事で2人の子供を育て上げ、ニュエ川を望む2階建ての家を建てた。

 2006年、夫のタムさんは転職し、妻のトゥエンさんが1人で工房を切り盛りすることになった。息子はしばらく父親の仕事を手伝っていたが、また別の仕事に転職した。

 「ダーシー鍛冶屋村では1000世帯以上が鍛冶に従事しており、このうち13人が職人の称号を与えられています。トゥエンさんは今も鍛冶の仕事を続けている唯一の女性職人なんです」と、ダーシー工芸村協会副会長でハノイ市職人会支部長でもあるホアン・バン・フンさんは語る。

 村の工房はどこも男性1人と女性1人がいる。男性が主な作業を担い、女性が刃物の成形を補助する。しかし、トゥエンさんの工房だけは、主な作業も補助も女性が担っており、トゥエンさんは刃金の切り出しから研ぎまで、通常は男性が手掛ける技術にも精通している。

 トゥエンさんの工房の助手を務めているダン・ティ・カインさん(女性・40歳)は、夫の故郷であるこの村で20年間にわたり鍛冶の仕事に携わってきた。「私はただ作業をするだけで、刃物のことはさっぱりわからないんですよ。でも、トゥエンさんは一目でその刃物のサイズや厚さ、そしてミスしたところまですぐにわかるんです」とカインさん。

 毎日朝早くから夜遅くまでかけてトゥエンさんは20本の刃物を完成させる。トゥエンさんの工房から生み出された20種類以上の刃物や鋏が、世界各地の家庭の台所で使われている。多くの外国人客も刃物を作って持ち帰るため、トゥエンさんの工房を訪れる。

 鍛冶屋にとって一番大変なのは、蒸し暑い夏の日だ。「1日中、水しか飲まないんです」とトゥエンさん。両耳には常に綿を詰めて機械の音や刃金を叩く音を遮っており、またマスクや帽子で身体を覆っていても外せば鼻も手も真っ黒になっている。「冬に工房内の温度が8度しかなくても、炭塵を吹き飛ばすために扇風機は必須です」と、トゥエンさんは黒ずんだ両手を見せながら語った。

 トゥエンさんの長い黒髪がほどかれることはめったにない。さらに、仕事中はいつも顔を覆い隠しているため、化粧っけもない。数年前、首元まで覆える帽子を持っていなかったころ、トゥエンさんの首元は火傷の痕だらけだった。グローブをはめていた手ですら、火の粉が貫通して火傷し、白い斑点の痕が残った。

 2020年、トゥエンさんは仕事中の事故で脚を負傷し、2か月間も入院しなければならなくなった。「座っていても、義母は気が気でない様子でした。回復するとすぐに工房に向かい、そのまま仕事を始めました」と、トゥエンさんの義理の娘であるブー・ティ・タムさんは語る。

 間もなく定年を迎えるトゥエンさんだが、まだ仕事を辞めるつもりはない。トゥエンさんはこの骨の折れる仕事を通じて、自制心と収入を手にしてきた。「どんな仕事にも難しいことと簡単なことがあります。その中で大変なことばかりを見るのではなく、仕事が与えてくれる喜びを考えて、1日をスタートするほうがいいんですよ」と、トゥエンさんは語った。 

[VnExpresss 06:31 09/05/2022, A]
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