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[特集]

子ども3人を大学院に、夢を実現したシクロ運転手と露天商の夫婦

2022/08/21 10:03 JST更新

(C) vnexpress
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 北中部地方トゥアティエン・フエ省フエ市に暮らすチャン・ティ・ガンさん(女性・55歳)は、長女が小学1年生になると、子供たち全員を大学まで行かせるつもりだと近所の人たちに話した。それを聞いた人たちは、小学4年生の勉強も終えていないガンさんの荒唐無稽な話じゃないかと笑った。

 28年後、ガンさんの長女のクアック・ミー・ウエン・ニーさん(33歳)が日本にある総合研究大学院大学物理科学研究科で博士号を取得し、ガンさんは「やればできる」ことを証明した。長男のクアック・アイン・タイさんは修士課程を首席で修了し、現在はフエにある国際高校で専門助手を務めている。次女のニャット・アインさんはフランスで修士課程を修了したばかりで、引き続き奨学金を得てフランスの大学院で研究を続ける。

 「十分な教育を受けることは、私たち夫婦には叶わなかった子供の頃の夢でした。だから、子供たちにその夢を託したんです」と、ガンさんは困難を乗り越えて成長した子供たちを見つめながら話した。

 ガンさんが11歳の時、ガンさんの父親は亡くなる直前に長女のガンさんの手を握りながら、学校を辞めて母親を助け、きょうだいを育てるように伝えた。「たくさん泣きました。父を亡くして、さらには学校も辞めないといけなかったから」とガンさんは当時を回想した。

 13歳になると、ガンさんはドンバー市場に飲み物を売りに行き、さらに宝くじ、チェー、バインカインなどをフエ市内のあちこちに売りに行って母親を助けた。高校に進級した友達がきれいなアオザイを着て自転車に乗っているのを見かけては、自身を哀れんで涙を拭った。

 結婚適齢期になると、ガンさんは自分より2歳年上で、互いに似た境遇にあり共感し合えるクアック・ソーさんを夫に選んだ。「夫は勉強ができますが、私と同じように家が貧しかったため、ㇱクロ運転手の仕事をしながら学校に通っていました。でも、そのことを友達にからかわれて気落ちし、高校2年生の時に学校を辞めてしまったんです」とガンさん。2人とも学歴はなかったが、子供たちにはきちんと教育を受けさせようと約束した。

 長女のニーさんは、父親の頭の高さほどしかない小さな茅葺きの家で育ち、竹と牛糞を混ぜて作った壁は今にも崩れ落ちそうだったこと、そして雨が降るたびに家族全員で雨漏りをキャッチするための洗面器を配置していたことを今でも覚えているという。「洪水の時期には、両親は私たちを近所の家に預けていました」とニーさんは語る。

 ニーさんが小学1年生になると、ガンさんは近所の人たちに子供たち全員を進学させるつもりだと話したが、近所の人たちはただ笑うだけだった。なぜならこの地域では、子供たちの大半は生活のために幼いうちから学業を捨てて働いていたからだ。

 「他人から褒められようとけなされようと、自分たちの目標を決して諦めませんでした」とガンさん。焼けるような暑い日も冷え込む雨の日も、夫婦は休むことなく働いた。ガンさんはチェーを売りに行き、夫はㇱクロを運転して荷物を運搬した。夫婦が1年間のうちで休むのは、テト(旧正月)の数日間だけだった。

 長男のタイさんは、家から中学校までとても遠かったため、毎日炎天下の中を自転車で通学するのが辛かったという。しかし、友達と通学している時に、遠くのほうで父親が顔の高さほどもある大きな荷物を運んでいる様子を見かけたことがあった。父親のソーさんは、後ろで息子が涙をこぼしていることなど知らずに、必死に一歩一歩進んでいた。

 「その時の光景は、私の心にずっと刻み込まれています。それ以来、人生で困難に遭遇した時はいつもあの光景を思い出し、前に進むためのエネルギーにしているんです」とタイさんは教えてくれた。

 生計を立てるために苦労しながらも、夫婦は子供たちにひもじい思いをさせることはなかった。夫婦は学費の支払いを最優先にして、自分たちの食事や服にはお金をかけなかった。「子供にだって世間体はありますから、恥ずかしい思いをしたら学校に行きたくなくなってしまうでしょ」とガンさんは夫に語りかけた。

 ある時、長女のニーさんが化学で悪い成績を取り、部屋で泣いていたことがあった。夜の9時頃に汗だくで仕事から帰宅したソーさんは、茶碗にごはんをよそいながら化学方程式の覚え方を教えた。ソーさんは白いチョークで床に文字を書きながら口頭で解説した。こうした父親の補講のおかげで、ニーさんは化学が好きになり、その後ニーさんは市の優秀な生徒のチームに選ばれ、さらに大学入試では10点満点中9.75点を獲得した。

 仕事がどんなに忙しくても、夫婦は子供たちの保護者会には必ず出席した。また、交代で子供たちを試験会場まで自転車で連れて行ったりもした。父親のソーさんは今でも子供たちが留学や出張、さらには遊びに行く時にも、駅や空港に送り迎えをしている。

 子供たちにとって、ガンさんは母親であり友達でもある。3人の子供たちはよく学校での出来事をガンさんに話し、ガンさんもまた学校に行きたかったという自分の夢について話した。「私たちは学校に行くことは義務であり、また権利でもあることを理解しています。両親が一生懸命働いて学校に行かせてくれているので、私たちも一生懸命勉強しないといけません」とニーさん。長女としてニーさんは意識を高く持ち、自分の人生を切り開くため、また弟と妹の手本になるため、一生懸命勉学に励んできた。

 2013年、ニーさんは日本で修士課程と博士課程が組み合わさったコースに合格した。しかし、奨学金の残りが少なくなり、さらに手続きも複雑で追加の奨学金を得られず、生活は苦しくなった。経済的なプレッシャーからニーさんは深刻な病気にかかり、一時的に学業から離れてベトナムに帰国することになった。

 娘が日本で病気になったと聞いた日、ガンさんはショックで混乱して大泣きした。しかしその後、落ち着きを取り戻すと娘を励ました。家族全員でニーさんをサポートし、徐々にニーさんは普通の生活を取り戻していった。

 そしてニーさんは博士課程を修了するため、また化粧品のオンライン販売で生計を立てるため、再び日本に戻った。「日本の先生方は、私にはサムライの精神があると言ってくれましたが、目標を諦めない精神は、両親から学んだものなんです」とニーさんは語る。

 長女であるニーさんは弟のタイさんと妹のアインさんの手本となり、2人はニーさんの後に続いた。こうして、ガンさんの子供たち3人は全員が安定したキャリアを築いている。夫婦はもはや子供たちを養うために休みなく働く必要はなくなった。かつての茅葺き屋根の家も4回の修繕を経て、現在は思い出として残しているだけだ。家族5人は新しく2階建ての家を建て、高齢になった夫婦はそこでバラの花や野菜を育てて暮らしている。

 「大多数と比較すればたいしたことは成し遂げていませんが、十分満足しています。私たちはものすごく低いところから出発して、それでも夢を実現することができたんですから。若い人たちでも努力を惜しまず頑張れば、やりたいことは何でも叶えられると思います」と、ガンさんは自らの人生を振り返りながら語った。 

[VnExpress 06:00 27/06/2022, A]
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