[特集]
街を駆ける一本足の配達人
2022/10/02 10:57 JST更新
(C) vnexpress |
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21時30分、スマートフォンの画面に「配達」の文字が光る。トン・タン・クオックさんは、今日1日の仕事をスクロールして振り返ると、画面をタップして、バイクを外に出した。
目的地に着くと、片足跳びで店内へ。食べ物の入った袋を受け取り、配達へ。仕事が終わったのは22時のこと。こうして一本足で街を配達して回って、もう3年になる。
彼が右足を失ったのは2017年、16歳の時だった。激しい痛みが、片方の足を突然襲った。様々な病院にかかったが症状は一向に良くならず、最終的にホーチミン市の病院で、骨のがんであると結論付けられた。医師からは、放射線治療をして、がん細胞が転移しないよう、片足を切断することを勧められた。
事実にクオックさんはショックに打ちのめされ、母親はただ涙を流して、我が子の足を揉むだけだった。「平気よ。病気は治るものなんだから」。
手術前夜は眠れなかった。そして術後に目覚めてみると、消えた片足と骨に染みる痛みに、涙が止まらなかった。2年にわたる放射線治療で髪は抜け落ち、体は瘦せ細り、大学へ行く道も、閉ざされた。
病床のため息を、励ましてくれたのは両親だった。松葉杖は慣れず、進もうとすれば転んだ。一番大変だったのは、三輪バイクから、普通の二輪バイクに乗り換える時だ。そろそろと動き出すバイクの後部座席で足を踏ん張る父の姿が、クオックさんの胸を熱くした。
乗り始めは怖くて時速20kmしか出せなかった。停車するときには、腰をシートにぐっと押し付けて、素早くスタンドを立てる。そうこうして運転に慣れてくると、一生を両親に頼って生きていくわけにもいかないと、何か仕事をすることを考えるようになった。
2019年のある日の午後、クオックさんは、友人から配達の仕事を紹介される。片足の若者が、配達の仕事をしたいと応募してきたものだから、その会社の女性経営者は驚いたが、試しに3日間仕事をさせてくれた。
忘れられない最初の届け物は、南中部沿岸地方フーイエン省トゥイホア市のチェー(ベトナム風ぜんざい)だ。
店に入るや、全ての視線が彼に注がれた。心の準備はしていたつもりだったが、心臓は高鳴り、顔は真っ赤になった。品物の受け取りに来たそんな青年を見て女店主は、椅子を引き寄せて、話を聞いた。
「片足で配達する彼。配達するものがあったら、彼を呼んでね」。
いつの間にか撮られていた写真に、そんな言葉が添えられてSNSに上がっていることをクオックさんが知ったのは、初日の仕事を終えて、帰宅した夜のことだった。
五体満足でないなら、他人の2倍、いや3倍頑張るしかない。彼は自分に言い聞かせ、1日50件、1日50万VND(約3000円)以上稼ぐことを目標に決めた。
朝早くから家を出て、太陽がてっぺんに上って一息。さすがに疲れた時には公園の石のベンチに背を預ける。それも15分、そそくさと仕事に戻る。
大雨のなか、最後の配達を20時頃にしたこともある。雨ガッパは被っていたが、全身ずぶ濡れ。「もう少しでお届けしますので」と配達先に電話を入れ、水が溢れた道を行く。濡れそぼった配達人に客は、代金3万5000VND(約210円)のところ、5万VND(約300円)渡してくれた。彼はその後熱を出し、数日間寝込んだ。
天候は相手ではないが、重い荷物は、さすがに仲間の助けが必要だ。「みんな良いヤツで、いつも手伝ってくれますよ」とクオックさんは言う。
「頑張ってるね!」お客さんからそんな言葉をもらうと、心は温かくなる。時間がある限り、仕事は断らない。いちばん遠いところでは、90km先に届けたこともある。そんな彼の頑張りを応援してくれる人は多く、ご指名も受ける。
1年ほど前、彼の働く会社は南中部沿岸地方ビンディン省クイニョン市に支店を出し、彼も故郷フーイエン省を離れて、そこで働くことになった。毎月、会社への支払い、バイクのローン、生活費を除いて、貯金できた200万~300万VND(約1万1900~1万7900円)は、両親に仕送りしている。
[VnExpress 06:00 23/09/2022, F]
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