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[特集]

阮朝の皇帝廟に暮らす人々、世界遺産フエの片隅で今も仮住まい

2022/12/18 10:33 JST更新

(C) vnexpress
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 北中部地方トゥアティエン・フエ省フエ市アンクウ街区ズイタン通りに、アンラン(An Lang=安陵)と呼ばれる皇帝廟がある。

 ここには阮(グエン)朝(1802~1945年)の第5代皇帝ズックドゥック(Duc Duc=育徳)帝(在位1883年、1883年没)と第10代皇帝タインタイ(Thanh Thai=成泰)帝(在位1889~1907年、1954年没)、第11代皇帝ズイタン(Duy Tan=維新)帝(在位1907~1916年、1945年没)の3人の皇帝が眠っている。

 そして、この40年余り、廟の敷地内では31世帯の一般市民が暮らしている。

 廟の敷地全体の広さは6ha近くあり、皇帝と皇后の墓のほか、皇太子らの墓42基と、阮朝の子孫らの墓121基がある。

 ベトナム戦争が終結した1975年以降、旧ビンチティエン省(現在の北中部地方クアンビン省、クアンチ省、トゥアティエン・フエ省)当局は、省の教育局と工業社の職員にアンランの敷地内の集合住宅を提供した。以来、40年余りが経って定年退職した今もなお、当時のビンチティエン省の職員ら31世帯の100人余りがこの地で仮住まいを続けている。

 上空から見ると、敷地内にはトタン屋根の家屋と放棄された古い工場がある。1993年、アンランを含めたフエの建造物群がベトナムで初めて国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。遺跡の中に建つ家屋は修繕もできなくなるため、住民らは住まいを移し、土地を遺跡に返還したいと考えていた。しかし、それは今も実現していない。

 廟の敷地内の一角では、住民らがスペースを利用して樹を植えている。アンランの裏の出入口付近に建っているトタン屋根の家屋は老朽化して倒壊の危機に瀕しているが、遺跡の中にあるという理由で、修繕もできないままだ。

 雨風をしのぐため、住民らはお金を出し合って古いトタンを買い、共用スペースに屋根を作って洗濯物を干したり、生活したりできるようにした。家屋の広さは約30m2で、居住スペースを確保するため、ロフトを増設したり、キッチンを拡張したりもしている。

 旧ビンチティエン省工業社の元職員であるホアン・バン・フィーさん(男性・74歳)は、かつて広さ30m2の集合住宅の一室をあてがわれた。以来、40年以上にわたり、フィーさん一家はここで暮らしている。

 毎朝、近所の人たちとお茶を飲んでから、フィーさんは木槌を手にして薪を割る。フィーさんは、皇帝廟での仮住まいに飽き飽きしており、一刻も早く引っ越して、遺跡に土地を返還したいと望んでいる。

 旧ビンチティエン省工業社の工場も敷地内にあるが、既に放棄され、老朽化して倒壊の危機に瀕している。安全を確保するため、当局と住民らは「危険エリア」という看板を掲示している。

 1954年にタインタイ帝が逝去すると、遺体はアンランに埋葬された。これに先立つ1945年、タインタイ帝の息子であるズイタン帝は、アフリカでの航空機墜落事故で逝去した。ズイタン帝の遺骨は1987年にアンランの地に移され、父親であるタインタイ帝の墓の隣に埋葬された。

 2019年、フエ遺跡保存センターは、老朽化したアンランの修復工事に着手した。総費用は400億VND(約2億3300万円)で、完了まで5年かかる見通しだ。

 フエ遺跡保存センターのホアン・ベト・チュン所長は、歴史的な事情により多くの人々がアンランの敷地内に居住しているとした上で、多数の世帯が遺跡の土地と景観のために移転を希望していると述べた。

「現在、センターはアンランに居住している世帯の統計を作成しており、近くアンランから移転するための解決策を提案する予定です」とチュン所長は話した。 

[VnExpress 14:31 13/12/2022, 12:12 27/07/2022, A]
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