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[特集]

親友の母親を介護する宝くじ売りの男性、実の親子のような2人の生活

2023/07/16 10:15 JST更新

(C) vnexpress
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 ホーチミン市在住のグエン・マイ・バン・タムさん(男性・43歳)はこの6年間、親友の母親であり両脚に麻痺を患っているグエン・ティ・ナムさん(86歳)の介護を、親友に代わって続けている。

 6月はじめのある朝、ホーチミン市直轄トゥードゥック市グエンチュングエット通りにある小さな貸し部屋で、タムさんは力を振り絞ってナムさんを抱き上げ、電動三輪車の後部座席にそっと乗せた。自分は前に座り、三輪車を運転して仕事に向かう。

 「ナムさんは私の親友のお母さんなんです。私とナムさんとの間に血縁関係はありませんが、きっとこれも運命なんでしょう」とタムさんは語る。

 タムさんは貧しい家庭に生まれ、小学校を卒業する前に学業を離れた。13歳の時に母親が亡くなり、それからは自分で生計を立てなければならなくなった。最初はホーチミン市中心部の路上で外国人観光客を相手に土産物などを売った。その後は卸売やレストランの接客をし、建設作業員としても働いた。

 今から20年余り前、タムさんはナムさんの息子と知り合った。当時、ナムさんはホーチミン市4区に自宅があり、タムさんはよく遊びに行っては毎週のように泊まったり食事をふるまってもらったりしていた。「ナムさんは私に、家族のように接してくれました。寝るときにクーラーをつけてくれたり、服を洗濯してくれたり。食費も取りませんでした」とタムさんは当時を振り返る。

 その後、ナムさんの家族は困難な状況に陥り、事業で損失が出て自宅を売却しなければならなくなった。娘が結婚して家を出ると、ナムさんはひとり息子と貸し部屋に住むことになった。ナムさんの娘たち3人はというと、1人は交通事故に遭い、1人は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で亡くなり、もう1人は生活が苦しく母親の面倒を見ることができない状況だという。

 そして今から6年前、ナムさんの息子は貧しさからタイに出稼ぎに行くことを決め、タムさんに高齢の母親の面倒を見てほしいと頼んだ。しかし、息子がタイに行って間もなく、ナムさんは脳卒中を起こし、両脚が麻痺してしまった。

 それまでナムさんとタムさんは別々に暮らしていたが、タムさんは介護がしやすいようにナムさんの貸し部屋に引っ越して、一緒に住むことにした。以来、タムさんは毎日、食事や身の回りの世話からマッサージ、おむつ交換まで、ナムさんの世話をしている。その頃から、タムさんはナムさんのことを「お母さん」と呼ぶようになった。

 当初、ナムさんの実の息子は母親に生活費を仕送りしていたが、ここ3年間は新型コロナの影響で仕送りもできず、帰国することもできないでいる。ナムさんを放っておくわけにもいかず、親友との約束も反故にしたくなかったタムさんは、少しでも節約するためさらに小さな貸し部屋に引っ越し、いつもナムさんのそばにいられるよう宝くじ売りの仕事をすることにした。

 「私はまだ独身なので、めいっぱい母の世話ができています。人にはそれぞれ困難があることもわかっているので、親友を責めるつもりはありません」とタムさん。

 「母と子」の1日は、300枚の宝くじとともに始まる。2人はいつもビンチュン通りとグエンドンティエット通りの角にあるお寺か、自宅から2Km離れたところにあるトゥードゥック市のレバンティン病院の周りで宝くじを売っている。道すがらは2人で資源回収(ベーチャイ=ve chai)もする。

 昼になるといったん自宅に帰り、ナムさんを休ませ、午後の仕事に出かける前に食事をとる。休憩中、タムさんはよく携帯電話でベトナム南部の民謡を取り入れた伝統歌劇「カイルオン(Cai Luong)」を流してナムさんに聴かせたり、ナムさんのそばで手足のマッサージをしてあげながら2人でおしゃべりをしたりする。

 貸し部屋の家賃は月300万VND(約1万7400円)だ。部屋は15m2の広さしかなく、ベッド2台が部屋のほとんどを占めている。電動三輪車のほかに家の中で価値があるものといえば、もらいものの冷蔵庫くらいだ。

 高齢の病人を介護するタムさんの毎日は朝から晩までとても忙しい。さらに、食費に加え、ナムさんの薬代やおむつ代でいつも経済的に苦しい状況が続いている。

 6年間の介護生活の中で、大変な状況に陥ったこともある。ナムさんを車椅子に乗せようと抱き上げたところ、タムさんは不運にも脊椎を痛めてしまった。入院費も十分にない上、半月近くかかった治療中には別の友人にナムさんの介護を頼まなければならなかった。

 「あの時は本当にお金がなくて、生活が行き詰まってしまったような感じでした。退院する時に、医師から20kg以上の重いものを持ち上げないようにとアドバイスを受けましたが、母を1か所に寝かせておくわけにもいきませんから」とタムさん。幸い、心ある人が電動三輪車を寄贈してくれたため、車椅子を押して出かけていた時に比べると2人ともずいぶん楽になった。

 貸し部屋の大家もタムさんとナムさんの困難な状況を知っており、家賃を安くしたり、食料を分けたりもしているという。大家は「タムさんにとってナムさんは血のつながった家族じゃないのに、本当の母親のようにナムさんを愛し、献身的に介護していて。タムさんは本当に立派ですよ」と語る。

 ナムさんはベッドに横たわってタムさんを見つめながら、歳をとってもこうしてそばで世話してくれる人がいることは幸運だ、と話す。一方で、実の子供たちからは助けを得られず、他人に頼らざるを得ない状況に当惑し、悲しくなることもたびたびあるという。

 「人生の終盤は貧しい生活ですが、私のことを実の母親のように愛してくれて、残りの人生の面倒を見ると約束してくれたタムに出会えて、慰められています」とナムさんは語った。 

[VnExpress 06:31 07/06/2023, A]
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