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[特集]

父親に火をつけられた子供が人生を取り戻すまで

2023/08/06 10:27 JST更新

(C) vnexpress
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 火傷の痕ですっかり変わり果てた姿で退院したブー・クオック・リンさんの人生は、もはやそこで終わったかのように思われた。しかし、人生を有意義に過ごしたいという夢とエネルギーによって、リンさんの人生は再び幕を開けた。

 12年前、3歳になったばかりのリンさんは父親にガソリンをかけられ、火をつけられて身体の87%に火傷を負った。リンさんの上半身はボールのように縮み、首と肩が癒着して顔も変形してしまった。口は引き裂かれ、顔の皮膚は萎縮してしわになり、指は癒着して動かすことができなくなった。入院した時点で医師は、生存は難しいだろうと予想していた。

 それでもリンさんは最も厳しい時期を乗り越え、現在まで元気に暮らしている。リンさんの母親であるレ・ティ・ハーさんにとって、それは奇跡のようなことだった。

 「4か月間の入院を終えて帰宅することになった時、リンが自分の姿を見たら泣いてしまうのではないかと心配で、家中の鏡をしまいました」とハーさんは語る。しかし、成長するにつれてリンさんは自信を持って鏡の前に立つようになり、「僕、宇宙人みたい?」とよく母親に冗談を言った。

 そして癒着した指で櫛を持ち、頭頂部に残っている髪にブラッシングをしながら、「SF映画に出てくる宇宙人はどれも頭が大きくて、皮膚はしわだらけで、僕みたいだから」と説明した。とはいえ、リンさんがいつもこの調子でポジティブなわけではなかった。

 何度も皮膚移植手術を受けてきたが、リンさんの身体には今でも多くの火傷の痕が残っている。リンさんは以前、自分の容姿のせいで人から指をさされるのが怖くなり、外に出る時はマスクをしてタオルで顔を覆っていた。

 そんな息子の姿を見て、母親のハーさんは「他人があなたを見捨てているんじゃなくて、あなた自身が自分を見捨てているのよ」とリンさんを諭した。ハーさんはどんな状況であっても、息子には勇気を持って現実に向き合ってほしいと願っていた。

 通りに出るたびに多くの視線を受けるリンさんは、母親のアドバイスを実践して、相手に視線を返すことにした。そうすると、リンさんを見ていた人は気まずそうに目を逸らしてどこかへ行ってしまうのだ。リンさんを見て怖がって泣き出した子供には、自分の顔や腕にある蜘蛛の巣のような火傷の痕を見せて、「スパイダーマンみたいでしょ?」と話しかけた。

 実際のところ、リンさんが耐えなければいけない痛みは、身体の一部に火傷を負った患者に比べるとはるかにひどいものだった。母親のハーさんは過去12年間、壊死した部分の処置、癒着した指の付け根の剥離と皮膚の移植など、数えきれないほどの手術を受ける息子を見守ってきた。

 最も痛いのは、癒着した皮膚の層を切って縫合する処置だ。手術は何十時間にも及び、ハーさんにとって、手術が終わるのを待つ時間は拷問のようだった。リンさんは痛みのあまり、何度となく病院のベッドで泣き叫んだ。そのたびにハーさんは息子を慰めようと「欲しいものを何でも買ってあげるから」と約束した。

 ゲーム機、おもちゃ、ヒーロー人形などは、リンさんの手術の「戦利品」だ。リンさんは手術を繰り返す中で痛みに慣れ、慰めの言葉もいらなくなったが、それでも母親に甘えるようにした。「手術の前になると母はいつも大泣きするんです。でも、僕がご褒美をねだると泣き止んで、笑ってうなずいてくれるから」とリンさん。母親に甘えるということは、母親を悲しませないためのリンさんの気遣いだったのだ。

 9年前、リンさんは同級生と同じように小学校1年生になった。周りに後れをとらないように、ハーさんはリンさんに付き添って文字を書く練習をさせた。韓国での3回の手術を経て、癒着していたリンさんの指は離れたが、指の関節は1つずつしかなく、右手には4本の指しか残っていなかった。「初めてペンを握った時、息子の手からは膿が滲み出て出血していました。痛みで息子はずっと泣いていました」とハーさんは当時を振り返る。

 リンさんの短い指で長いペンを持つと、すぐに滑り落ちてしまった。ハーさんは、リンさんが必死でペンと格闘し、ノートに一画ずつ練習している姿を見て、何度も涙を流した。最初は落書きのような文字だったが、だんだんとペンをしっかり握れるようになり、きれいに並べた文字を書くことができるようになった。

 リンさんは小学校と中学校の9年間で毎年、優秀な生徒として表彰された。何よりも学校に行くのが大好きで、学校を休むのは古傷が痛む時だけだった。

 想像を絶する痛みを経験したリンさんだが、しばしば自分が障がい者であることを忘れているかのような行動力を発揮する。4回目の手術の後、首が自由に動くようになり、腕も曲がるようになったリンさんは、自転車の練習をしたいと言い出した。

 息子の願いを前に、母親のハーさんは不安を感じた。なぜなら以前、医師からリンさんは毛穴がなく十分に汗をかけないため、運動を制限するよう忠告を受けていたのだ。それでも、クラスメイトが皆自転車に乗って通学しているのを見ると、リンさんは気持ちを抑えられなかった。

 毎日午後になると、母親の指導を受けながらリンさんは自転車に乗る練習をした。最初の頃、特に日差しの強い日は頭が燃えるような暑さを感じた。ペダルを漕ぐほど暑くなり、顔は赤くなった。疲れると、息を切らしながら休憩した。

 「テレビを観ていたら、自然界には汗腺を持たない動物がいて、暑い時は体温を下げるために舌を出して口で呼吸する、というのを知ったんです」とリンさん。以来、リンさん自身もその方法を応用しているという。1週間の練習を経て、リンさんは上手に自転車に乗れるようになった。リンさんが7歳になったばかりの時だった。

 15歳になった今もまだ火傷の痕は残っているが、リンさんは若者の流行りのファッションを楽しんでいる。リンさんはスポーツ系の服を着て、韓国の音楽グループの曲に合わせて踊るのが好きなのだという。

 自宅ではお兄ちゃんとして、母親が外出している時は弟の面倒を見たり、食事の支度や掃除をしている。9歳の弟は、もしリンさんが火傷を負わなかったらどんな顔だったのだろうかと想像し、兄の絵を描いたりもする。弟の絵では、兄は大きな丸い目をしている。弟の絵を見るたびに、リンさんは笑いながら「何はともあれ、生きているだけで幸せだよ」と、自分自身にも言い聞かせるかのように弟に伝えている。

 リンさんは中学4年生(日本の中学3年生に相当)の時、消防士になりたいという夢を母親のハーさんに語ったことがある。しかしハーさんは、リンさんの身体では消防士になることはできないと諭した。母親の思いを理解し、さらにシングル家庭で生活が苦しいという事情も理解しているが、それでもリンさんは大学進学を目指して勉強を続けている。

 リンさんは、もうじき再び韓国で大きな手術を受ける予定だ。ハーさんはこれまでと同じようにリンさんが手術前にご褒美をねだり、手術から目覚めた時、隣に立っている母親の姿を見て明るく微笑んでくれることを望んでいる。 

[VnExpress 06:31 14/06/2023, A]
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