[特集]
障がいを持った捨て子を育てて25年、宝くじ売りの女性の願い
2025/03/09 10:11 JST更新
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南部メコンデルタ地方カントー市出身のルウ・ティ・キム・リエンさん(女性・59歳)は、16歳の少女が生んだという、身体の麻痺と聴覚障がいのある幼い子供を貸し部屋(下宿)に連れて帰った日、近所の人たちから「クレイジー」とあだ名をつけられた。
首が片側に曲がり、手足がひきつり、よだれが垂れ、非衛生的なその子供を見て、誰もが10歳まで生きられないだろうと思っていた。
しかし、あれから25年が経った今、彼らはホーチミン市ビンタン区の下宿で暮らしている。仕事から帰ってきたリエンさんの気配を感じるや否や、その「子供」ことフイン・ニュット・ラムさんはすぐに首を上げて手を伸ばし、口は何やら楽しそうに話しながら、台所の裏のほうへ這って行った。
ラムさんはテーブルに置いてあるインスタント粥の丼に目をやり、自分でお湯を注いで作ったのだとひそかに見せびらかした。「すごいじゃない」とリエンさんは褒め、ラムさんの髪を撫でた。
2000年半ば、リエンさんと夫はカントー市ニンキエウ区に部屋を借り、宝くじを売って生計を立てていた。しかしあるとき、リエンさんは倒木の下敷きになって足を骨折してしまった。以前のように歩けなくなったリエンさんは、身体の麻痺と聴覚障がいのある生後4か月の赤ちゃんの世話をしないか、知人からと紹介された。その赤ちゃんがラムさんだ。
リエンさんの記憶では、赤ちゃんの母親はフオンといい、南部メコンデルタ地方キエンザン省出身で、16歳になったばかりの色白の美少女だった。フオンさんの当時の話によれば、彼女は1人で子供を育てながらカフェで働いていたが、赤ちゃんはずっと病気がちで、乳母に預けても数週間で戻されてしまうのだということだった。
リエンさんは、泣いている赤ちゃんを抱きしめ、かわいそうに思い、月60万VND(約3500円)で世話を引き受けることにした。
しかし、その若い母親が60万VNDを支払ったのは最初の1か月だけだった。ラムさんに会いにくることも次第に少なくなり、ついには全くなくなった。リエンさんは、ラムさんを抱えてフオンさんの勤務先のカフェを訪ねてみたが、フオンさんはすでに辞めており、どこに行ったのかも誰も知らなかった。
数か月が経ち、リエンさんはフオンさんの行方捜しを諦めた。しかし、痩せこけて熱にうなされ続けているラムさんを見るにつけ、かわいそうでたまらなかった。「頭が混乱して何も考えられませんでしたが、ただ彼を愛しているということだけはわかっていました」とリエンさん。
リエンさんの夫であるフウ・トゥーさんも、数か月にわたり世話してきたラムさんに対する気持ちは妻と同じだった。
ラムさんの実の母親を見つけることができず、夫婦は、地元のニンキエウ区アンホア街区人民委員会でラムさんを養子にする手続きを行った。
以来、リエンさん一家はラムさんを含めた5人で支え合い、懸命に働いてきた。リエンさんは、ラムさんが日差しや雨に耐えられないのではないかと心配し、いつも朝の4時に起きてお風呂に入れ、おむつを替え、口の中をきれいにしてから、部屋のドアを閉めて宝くじを売りに出かけた。その間、夫婦の子供2人にラムさんを預け、時には近所の人たちにも頼った。
こうしてラムさんは、ニンキエウ区アンホア街区グエンバンクー通り156番地の路地裏に住んでいる人たちからもらったおむつや牛乳、お菓子で育った。
ラムさんが3歳のとき、夫婦の長男が突然行方不明になった。夫婦は宝くじを売って稼いだ全財産を費やして息子を捜したが、見つからなかった。
夫婦は息子を捜す時間を確保するため、ラムさんを孤児院に預けることにした。リエンさんは孤児院に預ける準備をしながら一晩中泣いた。しかし、いざ預けるときになって「子供への訪問禁止」という規則を読んで思い直し、ラムさんを連れて帰った。
ラムさんを施設に預けようとした2回目は、身を乗り出してリエンさんの手を握り、泣いているラムさんの姿に耐え切れず、やはり連れて帰った。3回目は、バイクのエンジン音が聞こえて目を大きく見開き、うずくまるラムさんを見て、リエンさんは彼を抱きしめた。
「もう彼とは離れられない、と思いました」とリエンさんは語る。
2004年末、一家はホーチミン市ビンタン区に引っ越した。宝くじを売りながら行方不明になった息子を捜し続け、ついに2年後に再会を果たした。
ちょうどそのころ、ラムさんは物心がつき、認知機能も発達しつつあったが、再び大小様々な病気にかかるようになった。
歯髄炎を患い、歯茎が腫れて食べることも飲むこともできなくなったこともある。そのとき、リエンさんは病院に連れて行こうとバイクタクシーを探したが、誰にも乗せてもらえなかった。仕方なく、自分のバイクで前にラムさんを座らせて病院まで連れて行き、手術を受けさせたのだった。
あるとき、リエンさんが血液の感染症にかかり、自宅で療養しなければならなくなった。リエンさんはラムさんに「もしお母さんが死んじゃったら、どうやって生きていく?」とたずねてみた。するとラムさんは「一緒…に…死ぬ」と、どもりながら答えた。リエンさんは泣き崩れ、自分がこの子に生きる方法を教えなければ、と思った。
その後、毎日午後になると夫婦はラムさんを学校の空き地に連れて行き、這ったり、掴まったり、物を掴んだりする練習をさせた。良い療法があると聞けばすすんで受け入れた。
2019年半ば、リエンさんがばたばたと野菜の下処理をしていると、背後に座っていたラムさんが突然「お母さん」と口にした。リエンさんは驚き、笑いながら涙を流した。ラムさんは少しずつ、自分で這ってトイレに行けるようになり、自分でごはんを食べたり、携帯電話でいたずらをしたりできるようになっていった。
リエンさんによれば、ラムさんを育てて25年が経った今、一家の生活は豊かではないものの、不足していることもなく、医療費や米の支給も政府の支援を受けているという。
リエンさんのたった1つの願いは、1度でいいからラムさんが実の母親に会うということだ。リエンさんは毎晩、自分は養母で、生みの母親が別にいるのだとラムさんに声をかけている。
「ラムの実の母親のことを責めたり怒ったりはしません。きっと彼女だって、血のつながった子供と離れるのはとても辛かったはずですから」とリエンさんは語った。
[VnExpress 06:00 28/02/2025, A]
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