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[特集]

1975年4月30日、統一会堂でベトコンの旗を振った兵士の記憶

2025/04/27 10:26 JST更新

(C) thanhnien
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 1975年4月30日、特殊部隊の兵士だったファム・ズイ・ドー上尉(男性・75歳)は、南ベトナム大統領官邸(現在のホーチミン市の「統一会堂」)の2階に駆け上がり、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の旗を何度も振って、官邸に進入する自軍に安全を知らせた。

 南部解放・南北統一から50年を迎えた2025年4月、統一会堂の前に立ったドー氏は、「何かを待っているような」緊張感があると語った。

 身長170cmで小柄な体格、そして背中の曲がったドー氏は、かつて「水上の伝説」と呼ばれた精鋭の特殊部隊の兵士だった。ドー氏は、1975年4月30日11時30分の瞬間と、「自分の命と引き換えに戦い、犠牲になった戦友たち」の記憶を今も鮮明に覚えている。

 「生きて帰還できたことは名誉ですが、心残りなのは、戦場で倒れた戦友たちのことです」と語るその目には、深い悲しみがにじむ。

 19歳で徴兵されたドー氏は、水泳の能力を買われて特殊部隊に抜擢され、トゥイグエン(現在の北部紅河デルタ地方ハイフォン市トゥイグエン市)の水上特殊部隊で訓練を受けた。

 1972年には南部戦線に派遣され、1973年10月には東南部特殊部隊師団の第116連隊第119大隊第1中隊長として、ビエンホア(現在の東南部地方ドンナイ省ビエンホア市)に駐留する敵軍を制圧する作戦を指揮した。

 この激戦で2人の戦友が犠牲になり、ドー氏自身も両脚の太ももに被弾した。ドー氏はさらに倒木により脊椎を損傷し、意識を失った。数か月に及ぶ治療の後、傷は良くなったが、背骨は曲がり、それ以来「ドーグー(曲がり背のドー)」と呼ばれるようになった。

 1975年4月末、彼の部隊はロンビン(現在のビエンホア市ロンビン街区)の補給基地を攻撃し、ビエンホア大通り橋を占拠せよとの命令を受けた。その後、サイゴンへ通じる14の主要ルートの1つであるドンナイ橋を占拠し、自軍がサイゴンに進入するまで死守するというさらに困難な任務を実行した。

 この時点で、敵軍は自軍の前進を阻止できなければドンナイ橋を破壊するという最終計画を立てており、その事態に備えて橋に7個の爆弾を仕掛けていた。

 ドー氏は、橋に仕掛けられた爆弾の遠隔起爆装置を切断する目的で、敵軍の電源設備を破壊する任務に就いた。1975年4月28日未明、彼は5kgの爆薬と銃を浮き輪にくくり付け、それを背負って1km以上離れた反対側の岸まで静かに、音も立てずに泳いだ。そして、敵に気づかれることなく、痕跡を残すこともなく岸にたどり着き、電源設備を破壊することに成功した。

 1975年4月30日の朝、第2軍団所属の第203装甲旅団の戦車部隊がドンナイ橋に到着した。歩兵の進軍が遅れる中、第116連隊は水上特殊部隊の大隊1隊を橋に残し、残りは戦車と共にサイゴンへ向かうことにした。

 その時、司令官が「南ベトナム大統領官邸への道を知っている者はいるか?」と尋ねると、連隊長のボー・タン・シー氏は、ドー氏が官邸全体とその周辺のターゲットを事前に秘密裏に偵察するという任務に就いていたことを報告した。

 こうして、ドー氏は戦車中隊長のブイ・クアン・タン氏と同乗することとなり、4月30日午前11時過ぎ、第203装甲旅団の戦車部隊が官邸に突入した。

 しかし、戦車の進路は決して平坦ではなかった。地面には進撃を阻止するために土嚢が「Z」字型に積まれ、敵軍はブロックハウスから激しく反撃した。戦車が門を突破すると、ドー氏と仲間たちは戦車から飛び降り、AK銃を手に官邸内を捜索した。そして、南ベトナム政府の官僚全員が、政府執務室の楕円形のテーブルを囲んで座っているのを発見した。

 ドー氏はAK銃を向けながら「諸君は包囲されている。武器を捨てて立ち上がり、抵抗せず降伏せよ」と叫んだ。ドー氏は兵士のファム・フイ・ゲ氏に見張りを任せ、「誰も出入りさせるな」と告げてから、官邸2階のバルコニーへ駆け上がった。

 そして、棒を見つけると、ポケットから取り出した南ベトナム解放民族戦線の旗を取り付け、旗を何度も振って、官邸に進入する自軍に安全を知らせた。

 「その瞬間、心は高揚し、興奮していました。言葉では言い表せない気持ちでした」とドー氏は振り返る。

 階下に戻ると、彼は上官に「第1中隊長ファム・ズイ・ドー、任務を完了しました」と報告した。

 1975年4月30日午前11時30分、南ベトナム解放民族戦線の旗が南ベトナム大統領官邸の屋上に掲げられ、「ホーチミン作戦」は完全な勝利を収めた。

 戦後、ドー氏はホーチミン市トゥードゥック区(現在のトゥードゥック市)での任務に従事し、後に第7軍区で新兵の訓練に携わった。1983年に退役し、故郷の北部紅河デルタ地方タイビン省に戻って家庭を築き、現在はボランティアとして農業サービス協同組合の警備員を務めている。

 南部解放・南北統一から50年が経った今、かつて170cmあった身長も背中が丸まり、小柄な身体には戦争の傷跡が残る。それでも鋭い目つきと力強い声は今も変わらない。

 「人生で最も幸運だったのは、祖国の神聖な瞬間に立ち会い、直接戦えたことです。こうして今、統一会堂で戦友たちと再会すると、50年前の4月の記憶が鮮やかによみがえります」と語った。 

[Thanh Nien 13:16 22/04/2025, A]
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