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[特集]

村の皆で「共に働き、共に食べ、共に使う」、伝統を守る村の生活

2025/05/18 10:04 JST更新

(C) VnExpress
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 午前5時。木魚の音が響くと、東北部地方タイグエン省タイグエン市ティンドゥック村の「タイハイ村」にある30軒の高床式住居に明かりが灯る。住民たちは身支度を済ませ、共同の台所に集まり朝食をとる。

 「22年前から、200人以上の住民全員が1日3食を共にしているんです」と語るのは、タイハイ村に暮らすノン・ティ・ハオさん(女性・60歳)だ。

 朝食後、住民たちはそれぞれの分担に従って作業に取り掛かる。ハオさんと夫のハー・バン・キウさん(男性・62歳)は、ダイトゥー郡ラーバン村に行き、お茶の葉を摘んで製茶する。婿は木工を、娘と嫁は村内でのサービスのサポートを担う。

 このほかにも、酒造りや蜜蝋の採取、家畜の飼育や農作業に従事する人もいる。5歳未満の子どもは村内の幼稚園に通い、小中学生と高校生は誰かに送迎してもらうか自力で通学する。

 午前11時、木魚の音が再び響くと、昼休みの合図だ。住民たちは昼食のためにまた共同の台所に集まる。

 ハオさんによれば、以前は大皿を囲んでいたが、今ではそれぞれの仕事に合わせて個別の配膳スタイルに変わった。それでも、昔ながらの習慣を守って全員がそろうまで食べないという人も多いという。

 午後7時以降には各家庭がそれぞれの住居に戻り、家族団らんの時間を過ごす。

 「タイハイ村の特徴は、『同じ鍋から食べ、同じ財布からお金を使う』という原則です」とハオさんは話す。ここでは、自分に合った仕事を自由に選ぶことができる。例えば、ハオさん夫妻は茶摘みと製茶を担当し、他の人が販売して、得た収入は共同の財源に納められる。この仕組みにより、製茶に酒造り、漢方の調合、家畜の飼育、観光サービスといった各家庭の収入が、1つの共有財源に集約されるのだ。

 この共有財源は村長とその他数人によって公開管理され、日々の食費から水道光熱費、仕事用資材、住宅の修繕、子どもの学費、医療費、冠婚葬祭費用まで、住民たちのすべての生活費を賄っている。

 携帯電話やパソコンなど個人で使用する物品が必要な場合は、村長と評議会に申請し、許可を得る。住民の誰も、購入品の価格をうらやんだり、貢献度の差を比較したりすることはない。

 この共同生活のきっかけを作ったのが、ディンホア郡出身で少数民族タイー(Tay)族のグエン・ティ・タイン・ハイさん(女性)だ。

 ハイさんによれば、2000年代初頭に住民が高床式住宅を取り壊して煉瓦造りの家を建て、子どもたちがタイー族の伝統である民謡のテン(Then)や楽器のティン(Tinh)を知らずに育つのを見て、次の世代が民族のアイデンティティを忘れてしまうことを憂いた。

 そこでハイさんは、ソンコン市にある自分の全財産を担保にして、30軒の古い高床式住宅を買い取ったのだった。

 2003年、これらの住居をディンホア郡からタイグエン市郊外のティンドゥック村の広さ20haの土地に移築した。そして、タイー族の伝統的な慣習に従って生活するコミュニティを構築し、2年後にこのタイハイ村が誕生した。

 当初はハイさんの家族とタイー族の文化を愛する10人余りが一緒に暮らした。住民たちは自ら水源を探しに行き、電気を引き、舗装用の煉瓦を焼き、道を切り拓き、まっさらな丘に木を植えた。

 この「すべてを共有する」暮らしは、特に女性の負担を軽減する。ニュンさん(女性・40歳)は、タイハイ村での生活はあれこれやりくりする必要がなく「夢の中にいるよう」と語る。

 朝食の準備も不要で、子どもの登下校も誰かに送迎を任せられる。誰かの結婚式の日には住民皆で準備する。ニュンさんは「私は商売とサービスが得意なので、責任を持って自分の仕事にだけ専念すれば、他のことは誰かが補ってくれます」と話す。

 2014年、タイハイ村はタイグエン省から観光地として認定された。当初は景観目当ての観光客が多く、住民に食事の準備を依頼する程度だったが、ここの静けさと新鮮な空気、そして美味しい料理が評判を呼び、口コミで徐々に観光客が増えていった。こうして住民は部分的にコミュニティツーリズムに転向する一方で、伝統的な生活スタイルを堅持した。

 2022年、国連世界観光機関(UNWTO)はタイハイ村を「ベストツーリズムビレッジ(Best Tourism Villages)」に認定した。

 副村長のレ・ティ・ガーさん(女性)によれば、観光開発が進んでもタイハイ村はコアバリューを失っていない。観光を担うチームがある一方、酒造りやもち米のお菓子「チェーラム(Che lam)」作り、漢方の調合など、伝統的な仕事も各家庭で続けている。

 築90年という家もある30軒の高床式住宅は現在も昔の姿のまま、住民の生活空間として使われ、観光客にも開放されている。子どもたちはテンやティンを学び、高いところにある輪に玉を投げ入れる民俗遊び「ネムコン(Nem con)」を楽しみ、タイー語を話すことで民族のアイデンティティを継承している。

 「タイハイ村は、タイー族の文化と高床式住居を守るために築かれました。私たちは高床式住居の『本体』だけでなく、その中に息づく文化的な生活や精神性そのものである『魂』をも守っているんです」とガーさんは語る。

 ガーさんは、若い世代が村長や長老たちの努力を引き継ぎ、「共に食べ、共に使う」という独自の生活様式を守り続けてくれるだろう、と断言する。

 ただし、タイハイ村のコミュニティは今や、タイー族だけのものではない。現在では、タイグエン省やハノイ市、東北部地方トゥエンクアン省、同フート省、北中部地方ゲアン省、南部メコンデルタ地方キエンザンなどの各地から、キン(Kinh)族、ヌン(Nung)族、サンチャイ(San Chay)族の家族も移り住み、共同生活を送っている。彼らは、幸福を重視し、伝統的な価値観を重んじるこの暮らしに共感し、移住してきたのだという。

 タイグエン市で数学教師として働き、定年退職したレ・ティ・ハオさん(女性)は、タイー族の文化に魅せられ、コミュニティの生みの親であるハイさんに憧れて、2007年に夫と子どもたちとともにタイハイ村へ移住した。養蜂と錦織物作りをしながら暮らしている。

 最初は『共に働き、共に使う』という仕組みに馴染めなかったが、共有することの喜びと貢献することの意味を理解してからは、幸せを感じるようになったという。「食べ物や着るもの、お金にこだわらない生活のおかげで心が軽くなり、自然と一体となって生きている実感があります」と語る。

 冒頭のノン・ティ・ハオさんは、ヌン族の父親とタイー族の母親を持つが、高床式住居で育ったのはまだ幼い8歳までだった。ハオさんは「タイハイ村で暮らすようになって、まるで幼少期に戻ったような、自分の民族の文化に包まれて生きているような気分になり、やっと本当の幸せを感じることができました」と語った。 

[VnExpress 06:19 12/05/2025, A]
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