[特集]
14年越しの喜び、自閉症の息子が見つけた「絵という言語」
2025/05/25 10:26 JST更新
) (C) VnExpress |
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自閉症の息子に14年間にわたり寄り添い続けてきたブイ・ティ・ロアンさん(女性・41歳)にとって、息子のナム君が「絵」というコミュニケーションの「言語」を見つけたことは、この上ない喜びとなった。
3月末のある午後、ハノイ市のホアンキエム湖を臨む軒先で、ナム君は白い紙に集中していた。少年が描く一筆一筆を通して、見慣れたロンビエン橋が徐々に姿を現す。外の人々が慌ただしく通り過ぎる中でも、ナム君は絵筆と色彩、そして橋が織りなす世界に没頭している。
その隣では、母親のロアンさんがパレットを手に持ち、誇らしげな眼差しで息子を見守っている。
他の親たちと同じように、ロアンさんもかつては賢くて才能のある子供を持ちたいと夢見ていた。しかしその希望は、ナム君がまだ幼い頃に消え去った。「生後17か月の時、ナムはいつも休みなく走り回っていて、大人2人がかりでやっと止められるという状態でした」とロアンさんは当時を振り返る。
何かがおかしいと感じたロアンさんは、ナム君と双子の兄を中央小児病院に連れて行った。そこで医師から、ナム君には自閉スペクトラム症(ASD)、双子の兄には言語発達遅滞があると告げられた。
言語発達遅延は一定期間の支援により改善が見込めるが、自閉スペクトラム症は生涯にわたる神経発達障害だ。ベトナムには約100万人の自閉症児がいると推定され、中央小児病院の2024年末の統計によると、毎年約1万人が受診しているという。
自閉症は重度から軽度まで様々だ。「ナムが自分で食事も生活もできるという点は、不幸中の幸いです」とロアンさんは語る。
10年以上前は、自閉スペクトラム症に関する情報は限られていたが、ロアンさんは息子に合った療育センターや教師を探し続け、自らも保護者向けの講座に参加して息子をサポートしてきた。
母親の絶え間ない努力にもかかわらず、息子の目に見える進歩はゆっくりかつわずかだった。ナム君は4歳でやっと言葉を話せるようになったが、ロアンさんは息子の行動障害に奮闘する日々が続いた。
ナム君がロアンさんの腕を振りほどき、走って道路を横断するたびに心臓が止まりかけた。また、ナム君が学校で行方不明になり、1人で歩いて帰宅していたことを後から知って、涙が枯れるほど泣いたこともある。
「息子はじっと座っていられず、教室を抜け出して校庭に遊びに行ってしまうので、そのたびに先生方は息子を探しに行かなければならず、毎日のように先生方から苦情を言われていました」とロアンさんは話す。
度々の苦情を受け、ロアンさんは、ナム君の授業に付き添ってサポートしてくれる教師を雇うという条件付きで、別の学校に転校することにした。
ロアンさんはナム君が4歳の時に夫と離婚した。ロアンさんは子供を連れて家を出て、部屋を借りた。苦しい生活の中、ロアンさんは息子の学費を稼ぐために昼夜を問わず働いた。「でも、限界でした」とロアンさんは語る。
ナム君の学費は毎月1000万~2000万VND(約5万5000~11万円)かかり、学費に充てるお金が足りない時は勉強を中断しなければならないこともあった。さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行した時にはロアンさんの仕事も影響を受け、ナム君を田舎の祖父母の元に預けたという。
自閉症児は、毎日適切な療育を受けなければ、行動障害が悪化してしまう。新型コロナの流行が落ち着いた後、ナム君は母親の元に戻ったが、他人の携帯電話を奪おうとしたり、興奮すると手を叩き続けたりするといった行動が癖になっていた。
そこでロアンさんは、ハノイ市ロンビエン区で寄宿型の療育センターを見つけ、ナム君を通わせることにした。センターでしばらく療育を受けたナム君は、多くの進歩の兆しを見せ、自分の要求をたくさん言葉にできるようになった。
毎週の送り迎えで母親と一緒にロンビエン橋を渡っていたナム君は、ロンビエン橋に突然心を打たれた。そんな中、センターの活動の一環として描いた橋の絵が、思いがけず200万VND(約1万1000円)で落札された。
「当時、センターから美術の先生をもう1人雇ってはどうかと言われました。私もぜひそうしたかったのですが、経済的にどうすることもできませんでした」とロアンさんは話す。
2024年の夏、ロアンさんは学費の約1200万VND(約6万6000円)が支払えなくなり、再び息子を退学させざるを得なくなった。当初、ナム君は自宅で行儀良く過ごし、野菜の下処理や掃き掃除など、色々なことができるようになった。
しかし8月になると、ロアンさんは息子の性格が以前よりも怒りっぽくなったことに気付いた。そして、怒ると母親の両腕を引っかくようになった。「一番ひどかった時は、息子が自傷行為をして彼の両手が噛み痕だらけになってしまったんです」とロアンさんは語る。
息子が思春期に入ったのだと察したロアンさんは、適切な環境の必要性を痛感していたが、自分に十分な知識がないことも認めざるを得なかった。専門家によれば、ベトナムでは、自閉症児は幼少期には積極的な支援を受けられるものの、思春期から成人期にかけては支援を受けられるセンターが少なく、保護者も子供を指導する十分な知識を持っていないのだという。
ハノイ市から約70km離れた東北部地方バクザン省にある療育センターを紹介されたロアンさんは、遠方でも試してみることに決めた。ナム君がセンターに入って1か月後に訪ねてみると、ロアンさんは息子がたくさん運動してエネルギーを発散していることで以前よりも痩せ、同時に規律性も向上していることに気付いた。
「先生方は短期間のうちに、息子が絵を描くことに向いていると見出してくれたんです。驚きました」とロアンさんは話し、いつもナム君が描いた絵をもらっているのだと自慢げだ。
センター長のブー・バン・チュックさんによると、ナム君はセンターを初めて訪れた時にかんしゃくを起こし、母親は座って話をすることもできなかったという。ナム君が絵を描くことが好きだとわかると、チュックさんはいくつかの絵を彼に見せて興味を引いた。
当初、ナム君の描く絵は上手とは言えなかったが、好きなことが1つでもあるのならば伸ばしてあげたいという思いで、教師たちは環境を整えたのだった。
「ある時、ビントゥイ橋を渡った時に、ナム君が『橋』という言葉を繰り返し口にしたんです。そこで、その橋の写真を見せて、描かせてみたんです」と、ナム君が橋を描くことが好きなのだと知ったきっかけについてチュックさんは語る。
チュックさんとナム君は、主にユーチューブ(YouTube)で試行錯誤しながら独学で学んだ。ハノイ市にあるテーフック橋、ロンビエン橋、チュオンズオン橋、ビントゥイ橋、それから南中部沿岸地方クアンナム省ホイアン市にある来遠橋(Cau Lai Vien、別称:日本橋、橋寺)、南中部沿岸地方ダナン市にあるゴールデンブリッジなどの絵を、興奮気味に3~5枚も続けて描く日もあった。
ある時、チュックさんはナム君に目隠しをしてみたが、それでもナム君は難なくロンビエン橋を描くことができた。「彼は芸術的な手つきではありませんが、視覚化する能力と空間全体を捉える能力がとても優れているんです」とチュックさんは付け加えた。
ナム君は3か月間で115枚の橋の絵を描き、ベトナム版ギネスブックのベトナム・ブック・オブ・レコード(ベトキングス=Vietkings)から「ベトナムの橋をテーマにした絵を最も多く描いた自閉症の少年−115枚」として認定された。
ナム君の絵と母子の物語は、ベトナム現地紙のニャンザン(Nhan Dan)が3月末に主催した自閉症児に関するシンポジウムで紹介された。このイベントでは、ナム君の作品8点が購入された。
チュックさんによると、センターはナム君を自閉症児向けの絵画指導者として育成するつもりだという。ナム君自身も、引き続き様々な橋の絵を描き、世界ギネス記録に挑戦するとともに、生きる力を発信し、自閉症児に対する社会の認識を変えることを目指している。
母親のロアンさんにとって、ナム君のこの節目は誇りであり、希望でもある。「少なくとも今は、他の子供たちと同じようにナムにも好きなことがあって、追いかけるべき道もありますから」と、ロアンさんは誇らしげに語った。
[VnExpress 06:00 02/04/2025, A]
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