[特集]
屠殺場から牛を救出し育てる男性、「家畜への恩返し」
2025/06/01 10:16 JST更新
) (C) thanhnien |
) (C) thanhnien |
) (C) thanhnien |
) (C) thanhnien |
南部メコンデルタ地方アンザン省チャウタイン郡ホアビンタイン村在住のチャン・バン・フォーさん(男性・64歳)は、過去9年間にわたり自腹で水牛や牛を屠殺場から救出し、世話を続けてきた。これはフォーさんにとって、家畜への恩返しでもある。
かつて貧困時代を共に過ごした水牛や牛への恩義から、フォーさんは農業をやめ、屠殺場から救出した家畜を家族のように世話するという生き方を選んだ。
5月の暑い日、フォーさんは一頭一頭の名前を呼びながら、せっせと水牛や牛を日陰に誘導している。彼らの名前はフォーさんが屠殺場から救出した際に付けたものだ。
フォーさんは、幼少期から田んぼと犂を引く水牛や牛に囲まれて育ち、大人になって家庭を持つと、両親から田んぼを譲り受けた。フォーさんはその勤勉さにより耕作地を徐々に広げ、面積を4haまで拡大した。さらに脱穀機やロールベーラーも導入し、収益を高めた。
2016年、経済的な安定と子供たちの独立を機に、フォーさんは人生を変えることを決意した。菜食主義に転向し、仏法を学び始めた。そして、水牛にまたがり薬草を摘んで、慈善診療所へ届けるようになった。
フォーさんいわく、バイクには乗れないが、水牛に乗ることには幼い頃から慣れており、自分が貧しかった頃を共にした存在なのだという。
フォーさんは、そんな水牛が屠殺場に売られていく様子を目の当たりにし、さらに中にはまるで命乞いをするかのようにひざまずく水牛もいることに悲しみ、心を痛めた。
「無視することはできませんでした。彼らにも感情があります。私にとって彼らを救出するということは、家族が飢えていた時に助けてくれた彼らへの恩返しでもあるんです」とフォーさんは語る。
フォーさんは4haの耕作地をすべて子供たちに譲り、自分の時間とお金を家畜の救出に充てることにした。そして、屠殺場から救出した家畜を育てるため、1.2haの土地に牛小屋と草地を整備した。
フォーさんによる家畜の救出は、アンザン省ロンスエン市の屠殺場で電気ショックを与えられる直前の牛2頭を救い出したことが始まりだ。それ以来、トアイソン郡やティンビエン町、さらに遠方にまで足を運び、場所によっては数十kmもの距離を徒歩で移動した。
「資金が限られているので、『縁』のある子たちだけを救うようにしています。手持ちのお金はすべて差し出して、彼らを買い取るんです。無事に救出できた時は、涙が出るほど嬉しくなります」とフォーさんは話す。
フォーさんがこれまでに救出したのは24頭で、このうち17頭が牛、7頭が水牛だ。しかし、うち2頭は老衰や重傷により死んでしまった。フォーさんは毎日、引き取った家畜たちを大切に世話して、餌を与え、声をかけ、撫でている。
「彼らも私の言葉を理解しているようで、私が近づくと頭を下げて甘えてくるんです。嬉しそうに駆け寄ってくる子もいますよ」とフォーさんは優しく微笑む。
家畜が亡くなると裏庭に丁寧に埋葬し、イラストと名前、命日を刻んだ墓石を立てる。「たとえ短い時間でも、共に過ごした命はきちんと送り出さなければなりませんから」とフォーさん。
費用を捻出するため、フォーさんは収穫後の藁を活用することにし、人を雇って藁を巻いて、キノコ農家に販売している。これにより、以前は年間5000万~6000万VND(約27万6000~33万2000円)の収入を得て、水牛や牛の餌代に充てていた。しかし近年は市場が厳しく、消費が低迷しているため、フォーさんは借金せざるを得ず、返済に追われている。
「農業をやめて家畜の世話をし、借金までするなんてどうかしている、と言う人もいます。家畜を何頭か売って、老後を楽しんだらいいじゃないかと言われますが、そんなことはできません。もし売ったら、また屠殺場に連れて行かれるかもしれない。そうすれば私のこれまでの努力が無駄になってしまいます」とフォーさんは語る。
フォーさんは子供たちに、最後の願いとして「自分が死んだ後は自分に代わって家畜の世話を続けてほしい」と伝えているそうだ。
[Thanh Nien 11:25 19/05/2025, A]
© Viet-jo.com 2002-2025 All Rights Reserved.
このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。