[特集]
父親から受け継いでこの道40年、「時」を修理する男性
2025/08/10 10:06 JST更新
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ホーチミン市在住のグエン・クオック・フンさん(男性)は、40年以上にわたって時計の修理を生業にし、家族を養い、3人の息子を大学に通わせ、立派に育て上げた。
フンさんの店の名前が「グエン」(※名字のグエンとは声調が異なる)であることから、人々はフンさんのことを「時計のグエンさん」と呼んでいる。店名の由来についてフンさんは、故郷への想いを込めて、父親の出身地である北部紅河デルタ地方ハイフォン市の「トゥイグエン(Thuy Nguyen)」の地名から取ったのだと語る。
「店」とはいうものの、古びたガラス製の作業台がひとつと、時を経てすり減ったルーペがあるだけだ。
フンさんによれば、彼の父親は1946年に南部へ移り住み、労働者として東南部地方ドンナイ省や南中部地方ラムドン省などのゴム農園を転々とした。
あるとき、西洋人の農園主の息子がひどい歯痛に苦しんでいた。西洋薬を飲んでも良くならず、フンさんの父親は家伝の民間療法での治療を申し出た。するとその薬が効いて、少年の歯の痛みは治まったという。
この恩義に報いるため、農園主は、フンさんの父親が重労働から解放され、家族を養えるようにと、彼に時計の修理の技術を教えた。
1954年、フンさんの父親はホーチミン市のチャンクオックトアン通り(現在のバータンハイ(3 Thang 2)通り)のティエック市場の近くに時計修理店を開いた。器用で勉強熱心だったため、店は多くの客で賑わった。
「父から技術を受け継ぎ、1975年ごろから私が父に代わって店に立つようになりました。当時はまだ人々の生活も厳しく、時計は珍しいものだったので、皆とても大切にしていたんです。オイル差し、時刻合わせ、ベルト交換だけでも仕事が絶えませんでした。手巻き式や自動巻き式の時計は、当時の人々にとっては貴重な財産だったので、修理するなら、高い技術を持った信頼できる店に持ち込むんです。長年にわたりうちの店が選ばれてきたのは、仕事に対する真心があったからですね」とフンさんは語る。
時代の流れとともに人々の生活も変わり、安価な時計もたくさん出回るようになり、客が減って、フンさんの同業者の多くは廃業した。しかし、フンさんは店を守り続けた。
「父から受け継いだのは、時計を修理する技術だけでなく、お客さんや、家族を養っているこの仕事への敬意です。父が築いたお客さんとの信頼を受け継いだ私には、それを守っていく責任があります」とフンさんは語る。
テクノロジーが日々進化するこの時代に、新しい種類の時計の修理にも対応できるよう、フンさん自身も技術を学び、機械設備にも投資してきた。こうした努力のおかげで、これまでの数十年間で手に負えなかった修理はほとんどない。
「高級な時計かどうかは関係ありません。お客さんが私を信じて預けてくれたからには、どんなに難しかろうと、修理する責任がありますから」とフンさん。
時代は変われど、フンさんは、父親が残してくれたガラスプレス機と木製ホルダーの2つを、今も使い続けている。これらの工具は、当時のフランス人の農園主が父親に贈ったもので、50年以上経った今も現役だ。
フンさんによれば、今では誰もがスマートフォンで時間を確認するようになり、時計自体も簡単に買えるため、時計の修理の仕事は徐々に失われつつあるという。
それでもフンさんは、変わらず作業台の前に座り続ける。
40年以上にわたってこの仕事で家族を養い、3人の息子を大学に通わせ、立派に育て上げた。お金に関するプレッシャーは昔ほどないが、客と顔を合わせて話をし、自分がまだ社会の役に立っていると実感するために、フンさんは今日も店を開いている。
[Zing 06:53 07/08/2025, A]
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