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[特集]

503人の戦争烈士と100人超の「ベトナム英雄の母」がいる小さな村

2025/10/12 10:15 JST更新

(C) daidoanket
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 南中部地方ダナン市ディエンバンドン街区(旧クアンナム省ディエンバン町ディエンナムバック街区)カムサー村の人々は、白い砂丘が広がる田舎の風景と、かつての爆撃の焦げた匂いを今も覚えている。戦争を経験した人であっても、平和が奇跡的な癒しをもたらし、故郷を変えたことに信じがたい思いを抱くという。

 「それは、旧暦の1968年12月8日の夜のことです。コンケー(現在のディエンゴック交差点)から村に大砲が降り注ぎ、子供の泣き声が聞こえました…」と、カムサーの戦争体験者であるグエン・バン・フオックさん(男性・67歳)は、当時の惨状を涙ながらに語る。

 フオックさんは続ける。「翌朝、村じゅうに『猛虎』や『青龍』と呼ばれた韓国軍の兵士が武器を構えて押し寄せてきました。子供たちは母親にしがみつき、老人たちは天秤棒と籠を担いで川を渡り、故郷を離れて避難しました。あのとき、我々の故郷はもう滅びたと思っていました。まさか、今日のような姿に戻ることができるなんて想像もしませんでした」。

 カムサーの地名は今もなお、旧クアンナム省の中で悲劇的で、なおかつその悲劇を乗り越えた村として記憶されている。カムサーは小さな村だが、503人の戦争烈士(戦死した軍人・従軍者)と100人を超える「ベトナム英雄の母」がおり、ほとんどの家庭が革命功労者を祀っている。

 フオックさんの親戚には、母親のホー・ティ・ブットさん、父方の祖母のファム・ティ・チュックさん、叔母のレ・ティ・ホックさん、義叔母のレ・ティ・ヌーさんの4人のベトナム英雄の母がいる。また、実の兄3人のうち、1人は中将で、2人は戦死した。

 ベトナム英雄の母のほかに、祖母の代から平和が訪れるまでの間に戦死した、血縁関係にある14人の戦争烈士がおり、いずれもフオックさんの家族が祀っている。

 14人の戦争烈士とベトナム英雄の母がいるにもかかわらず、フオックさんによると、カムサーの他の家族に比べれば「何ということもない」という。ここでは「外に出れば英雄に会う」というのは冗談ではなく、事実なのだ。

 フオックさんによると、この村はかつて、海の近くにあり、周りを白い砂丘に囲まれていた。人々は貧困に苦しみながらも、革命に対して特別な忠誠心を持っていたそうだ。

 1967年から1968年にかけて、カムサーは激しい戦場となった。兵士やゲリラは村人に紛れて活動し、守られていた。昼間は何事もないかのように畑仕事に出かけ、夜になるとゲリラに変貌した。

 1968年、韓国軍の部隊が掃討作戦のために村に入った。カムサーの住民は生き延びるために互いに助け合いながら、少し離れた村まで避難した。そして人々は、ベトナム戦争が終結した1975年以降にようやく、村を再建するためにカムサーに戻った。

 旧ディエンナムゴック街区人民委員会の庁舎の隣には、戦争烈士の慰霊碑がある。慰霊碑には、戦争烈士やベトナム英雄の母の名前がびっしりと刻まれている。毎日、ここの線香の煙が絶えることはない。

 慰霊碑には毎年、新たな名前が刻まれる。過去には登録されていなかったものの、政策文書の処理後に、戦争烈士やベトナム英雄の母として国から称号を授与されるケースがあるからだ。新しい名前は小さな碑に刻まれ、大きな石碑と一緒に設置される。

 戦争傷病者・烈士記念日である7月27日は、村全体が感謝と恩返しの活動に注力する、最も特別な日となっている。この時期には、中央政府や省レベル、郡レベルなどさまざまな代表団が次々にこの地を訪れる。どの家庭も戦争烈士を祀っているため、通りが車両で埋まることも珍しくない。

 旧ディエンナムバック街区では長年にわたり、7月27日を戦争烈士の「合同慰霊の日」としてきた。この日は村のあちこちで太鼓が鳴り響き、子孫たちが集まって先祖に線香を手向け、供養する合同の儀式を行う。

 爆撃によって一族全員が失われ、後継者がいない家庭は、近隣住民が線香を手向け、一緒に供養する。「我々の家族には14人の戦争烈士がいます。もし、それぞれの命日に供養をしたら、とてもやりきれません。だからきょうだいたちと話し合い、全員の供養を7月27日にまとめて行うことにしたんです」とフオックさんは語る。

 旧クアンナム省には、戦争烈士が6万5000人以上、傷病兵が約3万1000人、化学兵器の被害者が6000人以上、そして革命・抗戦活動に参加して投獄された人が1万2000人近くいるという。さらに、省全体で1万5360人がベトナム英雄の母に認定され、このうち294人が存命している。特に旧ディエンバン町は、戦争烈士とベトナム英雄の母がベトナム国内で最も多い地域だ。

 旧ディエンナムバック街区は、かつて村人たちが戦争を避けて村を離れたため、無人の地となっていた。中でもカムサーは「白い村」と呼ばれるほど、爆撃によって壊滅的な被害を受けた。

 ベトナム戦争の終結後、人々は続々と村に戻り、故郷を再建した。そして、旧ディエンナムバック街区には、ディエンナム・ディエンゴック工業団地が建設され、風景は一変した。無人だったこの地は、旧クアンナム省北部の産業の中心地に発展した。

 戦争は遠い過去になったが、カムサーの人々の心からその記憶が消えることはない。かつて粗末な藁葺きだった家々は今や頑丈な建物に建て替えられ、子供たちは笑顔で学校に通い、道は広くてきれいだ。

 平和の時代を迎えても、残された人々には今も英雄の血が流れ続けている。戦争烈士や傷病兵の子孫たちも成長し、軍や公安の士官として伝統を受け継ぎ、祖国の建設と防衛に貢献している。 

[Dai Doan Ket 15:52 27/07/2025 / Tuoi Tre 06:41 15/04/2025, A]
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