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[特集]

IT学ぶ身長110cmの「小さな孤児」、大学卒業までの道のり

2025/11/02 10:20 JST更新

(C) VnExpress
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 混み合う大学の中庭で、身長110cmのグエン・ティ・フオンさん(女性・23歳)は、まるで小学生が足早に歩く大学生たちの中に迷い込んだかのように見える。

 フオンさんは北部紅河デルタ地方ニンビン省旧キムソン郡出身で、父親はおらず、幼い頃から母親と一緒に、母方の祖父母と叔父の家の近くで暮らしていた。小学2年生の時、まれな病気で身体の成長が止まり、身長は110cmのままで止まってしまった。

 フオンさんは、友人にからかわれることもあったが、母親の愛情とサポートのおかげで劣等感も乗り越えてきた。母親のグエン・ティ・タムさんは、毎日娘を学校まで送り迎えし、食事や睡眠も気にかけた。「母のそばにいると、自分は小さいままでもいいんだと感じられました」とフオンさんは語る。

 しかし、フオンさんが高校1年生の時、タムさんは脳卒中で倒れ、半身不随になってしまった。タムさんの口元は歪み、記憶力も低下し、性格も子供のようになった。「目の前にいるのが自分の母親だと思えず、とてもショックでした」とフオンさんは当時を思い出す。

 フオンさんとタムさんは、親戚や近所から経済的な支援を受けながら、慎ましく暮らした。幼い頃から母親に守られて育ったフオンさんが、今度は母親のために料理を覚え、入浴やトイレの世話をしなければならなくなった。

 タムさんが転びそうになり、助けようと駆け寄ってもフオンさんの小さな身体では支えきれず、一緒に倒れてしまい、涙を流しながら助けを求めたことも何度もあった。

 心配で泣き続ける姪のフオンさんを見て、叔父のグエン・ディン・ティンさん(42歳)は、「自分が恵まれていないなんて、決して思ってはいけないよ。手足があるだけで幸せなんだから。ニック・ブイチチを見てごらん。手足がなくても、何だってできるんだよ」とフオンさんを叱った。

 そしてティンさんは、フオンさんが自分で通学できるよう、三輪車を作った。大学の受験勉強中、フオンさんには補習授業を受けるお金がなく、古い参考書を借りたり、試験問題をコピーしたりして独学で勉強に励んだ。

 日中は母親が寝ている間に勉強し、夜は泣きじゃくる母親を慰めながら、隣に寝転んで勉強を続けた。「あまりにも疲れていて、本を置くと同時に寝落ちしてしまうことも何度もありました」とフオンさんは話す。

 それでもフオンさんは常に成績優秀で、高校3年生の時には共産党員になった。叔父のティンさんは「フオンは幼い頃から勉強が好きで、ほとんど学校を休んだことがありません」と語る。

 2021年、フオンさんは26.15点という高得点で、ハノイ市にある水利大学(トゥイロイ大学=Thuyloi University)の情報技術学部に合格した。

 最初の学期は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックの影響でオンライン授業だった。

 対面授業が始まると、フオンさんは母親のために家に残るべきか、大学があるハノイ市に行くべきか迷った。母親のタムさんは家に残ってほしいと泣きながら懇願したが、叔父のティンさんは「学業でしか人生を変えることはできない」と、大学に通うようフオンさんを励ました。

 最終的にフオンさんはハノイ市に行くことを決意し、週末は家に帰ることを約束した。「将来、母をサポートできるように、しっかり勉強したかったんです」とフオンさんは話す。

 ティンさんは姪の大学入学費用として数百万VND(100万VND=約5800円)を工面したが、半年間の寮費だけで100万VND(約5800円)かかった。フオンさんは毎日、朝食を抜いてお金を節約し、週末はバスに乗って帰省して、母親にちょっとしたお土産も買った。しかし、わずか数か月後に母親は他界した。

 「親孝行できなかったことで苦しみました」とフオンさんは胸の内を明かす。母親を亡くしたフオンさんは、やる気すら失って大学を退学しようとしていた。しかし、近所の人が「両親ともいなくなった今、お母さんを安心させるためにも、ちゃんと勉強して自立しなさい」と励ましてくれた。その言葉にフオンさんは目を覚ました。

 大学に戻ると、フオンさんは勉強方法をひたむきに探した。難しい課題はオンラインで資料を探したり、友人に頼んで解説してもらったり、オンラインの勉強会に参加したりした。空き時間にはクラブの小さなウェブ案件を引き受け、スキルを磨いた。こうして夜中まで勉強することがフオンさんの習慣になった。

 努力が実り、フオンさんは2年連続で毎月150万VND(約8700円)の奨学金を獲得した。そして2025年8月、情報技術学部を優秀な成績で卒業した。

 卒業式で、友人たちのそばには両親がいたが、フオンさんは1人きりだった。それでもフオンさんは孤独ではなかった。政治・学生管理部長のダン・フオン・ザン先生がフオンさんのために特注のアカデミックガウンを仕立て、自らの手でフオンさんに着せ、フオンさんを壇上に導いた。

 「フオンさんには、自分は人と違うのだと思わないでほしい、そしていつもそばにはお母さんがいると感じてほしいんです」とザン先生は語る。

 壇上では、水利大学の学長と共産党委員会書記がフオンさんに花束と卒業証書を手渡し、同時に大学職員として特別に採用することを知らせた。さらにフオンさんは、2年間の大学院の奨学金も受け取った。約100の個人・団体が、フオンさんの学費を援助するために寄付したのだ。

 フオンさんは、ハノイ市で期待通りの結果を残せて幸運だったと感じているが、その姿を母親に見せられなかったことだけが心残りだ。「皆さんからの愛に応えられるよう、もっと努力します。きっと母は遠くから見守り、微笑んでくれていると信じています」と、フオンさんは白い雲が浮かぶ空を見上げながら語った。 

[VnExpress 06:26 25/09/2025, A]
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