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[特集]

ホーチミンの市場とともに生きる:ニティエンドゥオン市場

2025/11/09 10:20 JST更新

(C) thanhnien
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 ホーチミン市の伝統的な市場は、少しずつ過去のものになりつつある。市場では、年を取った商人たちが屋台のそばに座り、にぎやかで慌ただしい現代の中で、記憶の炎を静かに守り続けている。

 タンディン市場(cho Tan Dinh)、バンコー市場(cho Ban Co)、ホアフン市場(cho Hoa Hung)、ホーティキー市場(cho Ho Thi Ky)など、ホーチミン市の多くの市場が、半世紀近く前から存在している。

 多くの市場はひどく老朽化し、屋根は雨漏りし、壁は剥がれ、床は湿っている。「改修するか、撤去するか、保存するか」という問題は、長らく議論が続いている。方針が定まらない中でも、商人たちは毎日黙々と市場で過ごしている。

 かつて、伝統的な市場といえば朝が最もにぎわう場所だった。人々はひしめき合って売り買いし、呼び声に値切りの声が交じり合う。その声は、街に流れる大衆音楽のようだった。市場は、何万もの家庭の食生活を支えるだけでなく、都市のアイデンティティの創造にも貢献してきた。

 しかし、2000年代以降になると、スーパーマーケットやコンビニエンスストア、オンラインショップが登場し、多くの伝統的な市場は徐々に勢いを失っていった。若者はかごを持って市場に出かける代わりに、「クリック」で買い物をする。売り手は座りっぱなしで疲れ果て、買い手はまばら、そんな状況だ。

 そんな中でも、懸命に市場を守り続ける商人たちがいる。利益のためではなく、習慣だから、思い出だから、そして、市場が人生の一部だからだ。

 旧8区(現在のビンドン街区)に古くからあるニティエンドゥオン市場(cho Nhi Thien Duong)は、地元の労働者の生活と密接に結びついている。ここでは、小さな天秤棒のおこわ売り、昔ながらの靴売り、何十年も続く野菜売りと、市場とともに生きる人々が、市場の記憶を静かに守り続けている。

 毎日午前2時過ぎになると、グエン・ティ・ベー・ナムさん(女性・57歳)の狭い台所に火がともる。前日の午後に丁寧に洗い、水に浸しておいたもち米の入った鍋を練炭ストーブに置いて、おこわを炊く。そばでは夫が火を起こし、豆を洗い、ココナッツを削る。

 ナムさんは、「この仕事をしてもう長いので、すっかり身体に染み付いています。起きておこわを炊かないと落ち着かなくて、おちおち寝てもいられません」と、頬を伝う汗をぬぐいながら笑う。

 午前6時ごろになると、湯気を上げるおこわを載せた天秤棒を担いで、市場に向かう。小さな角の定位置に天秤棒を置くと、馴染みの出勤前の人や生徒、工場労働者などが集まってくる。おこわの香りに緑豆や削ったココナッツ、炒ったピーナッツの香りが混ざり合い、通り過ぎる人の足を止める。

 30年間、この生活が続いている。「1日でも休めば、常連さんに『ナムさんはどこ?』と聞かれます。だからと言って長く休んだら、食費も家賃も、子供の学費も夫の薬代も払えません」とナムさんはため息をつく。

 ナムさん一家にとって、このおこわ売りの仕事が家族3人の唯一の収入源だ。夫はかつて整備工だったが、今は病気でナムさんの軽い手伝いしかできない。娘は大学生で、時間があれば母親の仕事を手伝っている。

 「昔の元気だったころは、朝だけで数百食を売って、子供の学費だって十分に支払えました。最近はたいして売れない日もあり、そういうときは家でも白いご飯の代わりにおこわを食べないといけません」とナムさんは話す。

 特に雨の日は売れ行きが悪い。それでもナムさんは、この仕事を辞めようと思ったことはない。「身体が動く限りは天秤棒を担ぎますよ。市場を離れたって、何をしたらいいのかもわかりませんし」。

 ナムさんの店からそう遠くないところにある小さな靴屋の横では、ファン・トゥイ・ホアさん(女性・47歳)が静かに座っている。両側には、通路をふさぐほどたくさんの靴がぶら下がっているが、客はほとんど来ない。

 「以前は、朝に店を開けるとひっきりなしにお客さんが来ていました。今は3〜4日に数足売れるくらいです」と、ホアさんは商品の靴を丁寧に整えながら話す。

 20年以上もこの市場にいるホアさんは、ニティエンドゥオン市場の盛衰を目の当たりにしてきた。新型コロナ後、客は一気に減り、今や人々はオンラインで靴を安く購入し、配達してもらうことが主流になっている。

 「1日中店にいても売れないときは、大量の商品を見ては泣きたくなります。でも、この仕事を辞めたところで何をすればいいのかもわかりませんし、この年齢で他の仕事を見つけることもできないでしょう」とホアさんは語る。

 外から見れば、ニティエンドゥオン市場は今もまだにぎわっているように見える。しかし実際のところ、通路は衣類や靴、野菜であふれ返っているが、人影はまばらで、買い手よりも売り手の方が多い。商人たちは座って互いに顔を見合わせ、時折退屈しのぎに雑談を交わして時間を過ごす。

 「朝から晩まで座っていても、お客さんが来ない日だってあります。常連さんは来ても、新しいお客さんはめったに来ません」とホアさん。

 これは、多くの伝統的な市場でよくある話だ。しかし、ニティエンドゥオン市場が他と違うのは、ほとんどの商人がこの市場を離れないことだ。

 「家にいてどうするの?市場に来れば、少ししか売れなくたって誰かしらと会えるでしょう。自分はまだ取り残されてないと思えるんです」とナムさんは話す。

 半世紀以上にわたって存在するニティエンドゥオン市場は、粗末な屋台が並んでいたころから、改修を経て今に至るまで、このエリアの変遷を目の当たりにしながら、昔ながらの「サイゴンの市場」の雰囲気を保っている。

 ナムさんいわく、かつては毎朝数百食のおこわを売っていた時期もあるが、今では数十食しか売れない。それでも、「おこわを売らなかったら、誰も私を『おこわのナムさん』と呼んでくれなくなるでしょう?この呼び名こそが、私の人生なんです」とナムさんは話す。

 ホアさんも同じだ。市場はホアさんが商売を始めた場所であり、子供を育てた場所でもある。「辞めたとしたら、どうやって生きていけばいいのやら。だから、売れなくても市場に来るしかないんです」。

 夕方になると、だんだんと行き交う人もまばらになり、商人たちは片付けを始める。ナムさんは残ったおこわを担いで狭い借家に帰り、翌朝2時からの仕込みに備える。ホアさんは靴を整理して、店を閉める。

 都会の慌ただしい時の流れの中で、こうした人々の人生は続いていく。豊かさを求めるわけではない。ただ生きるのに足りるお金が稼げればいい。翌日も早起きする理由があればいい。そして、市場で自分の人生を生きていければいいのだ。

ニティエンドゥオン市場

 ニティエンドゥオン市場は、ホーチミン市ビンドン街区(旧8区)ホアンミンダオ(Hoang Minh Dao)通りの、ニティエンドゥオン橋のそばに位置する。1960年代に誕生し、タウフー・ベンゲー運河沿いのにぎやかなエリアとともに発展してきた。当初は近隣に暮らす労働者が利用する小さな市場だったが、徐々に拡大し、旧8区の主要な商売の地となった。

 現在、市場では数百の店が軒を連ね、生鮮食品に加えて安価な日用品、衣料品などが並んでいる。また、麺料理やチェー(ベトナム風ぜんざい)など、南部メコンデルタ地方の庶民料理も人気だ。朝から晩まで営業しており、観光客は少なく、主に地元民が利用している。

 スーパーマーケットや卸売市場が増えたことで、以前ほどのにぎわいはないが、今もなお多くの商人が生計を立てている。この市場は、ホーチミン市の川沿いの生活と素朴な伝統的な市場と結びついた、人々の記憶の一部として生き続けている。 

[Thanh Nien 04:30 23/10/2025, A]
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