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[特集]

戦死した夫が妻に残した10枚の手紙、半世紀経て映画に登場

2026/03/29 10:17 JST更新

(C) VnExpress
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 北部紅河デルタ地方フンイエン省在住のダン・ティ・ソーさん(女性・75歳)は、夫が戦死する前に書いた手紙が、半世紀以上の時を経て映画のインスピレーションの源となり、かつての自分の悲しみが誇りへと変わるとは思いもよらなかった。

 ある日の午後、フンイエン省レロイ村バンハイン村落の奥深くにひっそりとたたずむソーさんの家には、線香の煙が漂っている。ソーさんは、戦死した夫のレ・バン・フインさんの祭壇をせっせと掃除している。祭壇に飾られたガラスの額縁には、フインさんが書いた10枚にわたる手紙が収められている。

 ソーさんは、手で1行ずつ文字をなぞる。読まなくとも、彼女はどこで文が区切られているかを暗記しており、夫がどの段落で何を言い残し、どの言葉を彼女だけに宛てて書いたのかを知っている。「彼が書いたこの言葉が、私の人生をずっと慰めてくれました」と、ソーさんは永遠の24歳の若き兵士の遺影にそっと触れながら語る。

 ソーさんとフインさんはもともと同じ村の出身だった。結婚式は、フインさんが入隊命令を受けた1972年の新暦正月に慌ただしく行われた。3度会って結婚し、新婚の2人が一緒に過ごせたのはわずか7日間だった。その後、ハノイ建設大学の3年生だったフインさんは北中部地方クアンチ省の戦場へと旅立った。2人の間にはまだ子供はいなかった。

 1972年9月11日、タックハン川のほとりに座り、フインさんは自身の死を予感して次のような言葉を書き残した。「私がもし『地中の奥深くでの秘密の調査に行く(死ぬ)』ようなことがあっても、家族がそれを急なことだと驚かないように、ここに座って最後の言葉をいくつか書いておきます」。

 結婚式からちょうど1年後、フインさんは交通壕に降り注いだ爆弾により犠牲となった。彼の軍服はその年の旧暦大晦日の午後に戦友たちによって持ち帰られたが、手紙はリュックサックの底で静かに眠ったままだった。

 家族が遺品を火葬しようとした1975年7月の満月の夜になってようやく、手紙が発見された。それは単なる別れの言葉ではなく、妻が夫の遺骨を探すための緻密な説明書でもあった。「列車でクアンチ町へ行き、タックハン川を渡り...ニャンビエウ1村落を訪ねて...僕の墓はそこにあります」。

 夫の指示を頼りに、30年近くもの間、ソーさんは親戚に頼んで戦地となったクアンチ古城のあちこちを探してもらったが、夫の遺骨を見つけることはできなかった。2002年になってようやく、同級生でありフインさんを直接埋葬したグエン・バン・クオンさん(男性・76歳)の話から真実が明らかになった。

 当時の戦場では、犠牲になった兵士は皆ニャンビエウ村落の端に運ばれて埋葬されていたため、フインさんは自分が死んだ時も同じ運命をたどるだろうと思っていた。しかし、現実はあまりにも過酷で、クオンさんは友人を村落の端にある墓地まで運ぶことができず、予定していた場所から約5km離れた場所に埋葬せざるを得なかったのだ。

 ソーさんに会い、友人の手紙を読み返した時、クオンさんは初めて、フインさんが大学の講義室にいた頃からすでに妻がいたことを知った。クオンさんは家族と共に再びクアンチ古城に入り、遺骨を探した。フインさんと戦友たちが眠る場所は、草木が生い茂るキャッサバ畑になっていた。

 「フインさんの手紙は、単なる個人的な心情であるだけでなく、あの年の何千人もの兵士たちの声と切望を代弁するものでもあります。皆が皆、家族への愛と恋しさを切実に伝えたかったでしょうが、生死の境目で、誰もが紙やペンを持てる幸運に恵まれていたわけではありません」と、国民経済大学の元講師でもあったクオンさんは感慨深げに語る。

 当時クアンチ古城博物館の館長だったチャン・カイン・クーさんも、2002年に初めてこの手紙を読んだ時には感動を抑えきれなかった。クーさんは、家族に遺品を博物館に寄贈するよう説得した。

 「ご家族が持っていれば、これはかけがえのない個人的な思い出になります。しかし、博物館に寄贈されれば、この手紙は永遠の遺産となり、後世の人々が先人たちの犠牲を理解し、感謝することにもつながります」とクーさんは話す。

 家族の同意を得て、クーさんは新聞で紹介するため、また戦友や観光客のために、何部ものコピーを作成した。約半年後、手紙のコピーが博物館で展示されることになった。「クアンチ古城を訪れる人の半数以上が、この手紙を自分の目で見るために来ているんです」とクーさんは語る。

 フインさん夫婦の愛の物語は、もはや彼ら個人のものにとどまらず、クアンチ古城博物館の来館者にとってインスピレーションの源となった。2010年、ホーチミン市の女性団体がソーさんのために家を建設して寄贈した。かつての戦友たちも、手紙のコピーを精巧に復元し、ソーさんが額装して家の目立つところに飾れるようにした。

 半世紀が過ぎ、手紙の「運命」は2025年8月公開のベトナム映画「赤い雨(原題:Mua Do、英題:Red Rain)」でスクリーンに登場し、新たな章へと突入した。

 「赤い雨」は、ベトナム映画として初めて興行収入6000億VND(約36億4000万円)を超えた作品で、最終的な興行収入は7140億VND(約43億3000円)に達し、ベトナム映画歴代興行収入ランキングの1位に立った。

 革命戦争をテーマとした「赤い雨」は、ダン・タイ・フエン氏が監督を務め、フエン監督とともに脚本を手掛けたチュー・ライ氏の同名小説が原作だ。1972年、クアンチ古城を守るため、人民や兵士たちが勇敢に戦い抜いた81日間の出来事をもとにした作品となっている。

 映画に登場する死の予感や妻への墓探しの指示など、いくつかのディテールはフインさんの手紙からインスピレーションを得ている。俳優フオン・ナム氏の演技を通じて、フインさんの手紙の言葉がよみがえり、何万人もの若い観客の心に触れた。

 映画館のスクリーンの前に座り、ソーさんは登場人物のタが妻に手紙を書くシーンを静かに見つめた。映画とはいえ、言葉の端々に彼女は夫の面影を感じ取った。「驚きと誇りでいっぱいでした。戦時中に夫を亡くした妻は数え切れないほどいますが、これほどまでに国中に知れ渡る形見が残っている幸運な人はそう多くありません」とソーさんは言葉を詰まらせる。

 夫が不在となって50年以上、ソーさんは「生涯愛し合う」という誓いを守り、今でも独身のまま夫への深い愛情を貫いている。

 映画「赤い雨」の制作チームが実話のディテールを明かした後、ソーさんの小さな家は突然、感謝の気持ちを伝える人々の集いの場となった。白髪の退役軍人のグループから若い学生のグループ、さらには見ず知らずの在外ベトナム人(越僑)まで、歴史の一部に触れようと人々が訪れるようになったのだ。

 経済的な支援の申し出や映画鑑賞の誘いに対し、ソーさんはすべて巧みに断っている。75歳になった彼女は、今でも伝統的な銀細工の仕事と政府からの手当で、子供や孫たちに囲まれながら悠々自適に暮らしている。

 「あの人は亡くなりましたが、この手紙を通じて、まるで毎日そばにいるような気がするんです」とソーさんは笑う。

 手紙の中で、フインさんはかつて「平和な世の中で生きられるようになったら、僕の功績を思い出してほしい」と書き残していた。映画が大ヒットし、今日人々が訪ねてくるその流れこそが、夫が最も満足する答えなのだとソーさんは信じている。

 「私もいずれは土に還りますが、この手紙の価値と意味は永遠に生き続けるでしょう」とソーさんは語った。



<フインさんがソーさんに送った手紙の一部>

「愛する君へ!

 この手紙が君の手に渡る時、それは君にとってもしかしたら人生で最初の、そして人生で一番の悲しみになるかもしれません。

 僕たちが共に過ごした時間はわずかでしたが、戦争は君からたくさんの優しい愛情を奪ってしまいました。普通、夫を持てばあらゆることで甘やかされるものですが、君にはその幸せがなかっただけでなく、早くも離れ離れにならなければなりませんでした。本当に、出会ったばかりで、永遠に別れなければならないなんて!

 愛する君よ!もし本当に僕を愛しているなら、僕が言い残した通りにしてください。毎年この日になったら、僕を偲んで線香を何本かあげてください。そして、この手紙を受け取った時は、まだ人生は長いのだから、あまり悲しまないでください。もし条件が許せば、まだ若いのだから、ぜひ次の人生へ歩み出してください。僕としては、そうしてほしいと思っています!

 ただ1つ願うのは、僕がまだ生きているかのように、母や兄姉に接してほしいということです。僕の魂が高く舞い上がり、君の優しい夢の中で抱きしめられるよう、君がその務めを全うしてくれることを願っています!

 ...だから、悲しまないでください。平和な世の中で生きられるようになったら、僕の功績を思い出してください。もし本当に僕を愛しているなら、平和になって条件が整った時、僕の遺骨を持ち帰ってください...」。


「列車でクアンチ町へ行き、タックハン川を渡ったところが、僕が1973年1月2日に荷物を川の対岸へ運んでいた時に犠牲になった場所です。町から橋を渡り、引き返して、ニャンビエウ1村落を訪ねてください。そこへ行き、水流に沿って下っていくと、村の端に着きます。そこに行けば、トタンの切れ端に僕の名前が刻まれた碑を見つけることができるでしょう。僕の墓はそこにあります...」。 

[VnExpress 06:31 22/02/2026, A]
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