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[特集]

生死の境を越え…ハワイアンギターで人々の魂を救う85歳の老婦人

2026/06/14 10:31 JST更新

(C) thanhnien
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 ハノイ市ドンダー街区イエンラン通りにあるカフェ「モーフォー(Mo Pho)」のドアを開けると、店内は静まり返っている。人々の視線は、教師でありアーティストでもあるブイ・バック・リエンさん(女性・85歳)の、楽器のフレットの上を滑るしわの刻まれた両手に釘付けになっている。

 ステージの中央に立つリエンさんは、シミが浮かぶ両手を震わせながら、指ほどの大きさの金属片を握り、ハワイアンギターの弦の上を滑らせている。リエンさんが弾くハワイアンギターは、水平に寝かせて置いたギターの弦を金属製のバーで押さえ、スライド演奏する「スティール・ギター」だ。

 ヘチマの花のような鮮やかな黄色のアオザイの裾の下で静かにリズムを刻む足首には、1.5kg近くある2つの重い鉛のおもりがしっかりと縛り付けられている。事情を知らない人は気にも留めないだろう。しかし、その背景を知る者は皆、胸の痛みを隠せない。かつて事故で砕けた両足でバランスを取って立ち、ギターの音色を響かせるため、リエンさんはこの鉛のおもりを身に着けなければならないのだ。

 今日のように穏やかな佇まいでギターを奏で、優しい笑顔を見せるようになるまでの間に、リエンさんは何度か死の淵をさまよった。運命に降伏するしかないと思われた瞬間に、リエンさんをこの世に引き留めたのは、まさにそのギターの音色だった。

秘密の楽譜と、病床での決断

 リエンさんは、女子学生だった半世紀以上前、ギターを習うために「マイ・ラン」という偽名を使っていた。当時はまだ「歌手や音楽家は身分が卑しい」という偏見が色濃く残る時代だった。音楽家のドアン・チュアン氏が奏でるハワイアンギターの音色にすっかり魅了されたリエンさんは、家族に隠れてわずかな小銭を切り詰め、こっそりと習いに行っていた。

 リエンさんは、音符を逆向きに書き写した楽譜ノートを宝物のように大切にしている。ある時、師であるチュアン氏が「素晴らしい曲があるんだ。君だけにプレゼントするよ」と耳打ちしてくれたのだとリエンさんは語る。

 それはボレロ(1975年以前に流行した歌曲)の曲「Thuo Tram Cai(『かんざしを挿していた頃』の意)」の、この世に1つしかない楽譜だった。親にばれるのを恐れ、なおかつ自分だけの宝物として残したかったため、当時のリエンさんは暗号のように音符を1つ1つ逆向きに書き写したのだった。

 今では、そのノートとハワイアンギターは、リエンさんの青春時代を物語る証となっている。それは、華やかでありながらも、音楽の道を志す女性に対して厳しい偏見が満ちていた、かつてのハノイ市の姿そのものでもある。

 1992年、交通事故に遭ったリエンさんは、脳損傷を負って植物状態となってしまった。家族は葬儀の準備すら進めていたという。生死の境をさまよう中、リエンさんの冷え切った手が宙をさまよい、偶然にもギターの弦に触れた。その金属の弦から伝わる冷たさがリエンさんの魂を目覚めさせ、リエンさんをこの世に引き戻したのだ。

 2004年、再び試練がリエンさんを襲った。今度は肩甲骨と肋骨が折れ、両膝も粉砕骨折した。リエンさんの伴侶である作家のカオ・ソンさんは、かつて心を痛めながらもこう例えたことがある。「妻のギターへの愛は、病をも超越する。詩人フン・クアンが詩を愛したように」。

 デンマークにいる娘は、母親が手術を受けられるようにと、お金をかき集めて4000USD(約64万円)を送ってきた。しかし、リエンさんは砕けた両足を見下ろし、それから部屋の隅に置かれたままのギターに目を向けると、きっぱりとこう言い放った。「私は手術なんてしません!」

 「この足のままでも大丈夫。そのお金で音響機材を買って、自宅で『ハノイ・ハワイ・ナイト』という倶楽部を始めて、みんなが活動できる場にするわ。音楽がなければ、私はきっと生きていけないもの!」と、リエンさんはあっけらかんと言った。リエンさんにとって、音楽は自分自身の身体よりも尊いものなのだ。

消えゆく炎を再び灯す

 最近では、音楽学校でハワイアンギターを見かけることはなくなった。若い世代で知っている人もめったにいない。こうした状況を憂いたリエンさんは、ギターを片手にハノイ市の音楽カフェや喫茶店を訪ね歩き、無料で演奏させてほしいと頼んで回っている。リエンさんは自身の活動を「消えゆく炎を再び灯すこと」と呼んでいる。

 いつも慌ただしく過ごしている若者たちを見て、リエンさんはギターの音色を通じて、彼らの日常の歩みを少しでも緩めてあげたいと願っている。立ち止まって耳を傾けてくれる人が1人増えるたびに、リエンさんは嬉しくなる。

 リエンさんは手間をかけて何十セットもの弦を探し求め、予備としてピックも何箱も買い集めている。「もし5年後に生産が中止されてしまったら、代わりがなくなってしまいますからね!」というのがその理由だ。

 ハワイアンギターについて興味深げに尋ねる会社員や女子学生がいれば、リエンさんはすぐに自宅に招いて無償で教え、ギターを持っていない人には貸し出している。リエンさんは心の中で、このギターが音楽学校で再び教えられる日を待ち続けている。

 孫やひ孫の世代、あるいは若者たちと交流するため、リエンさんは自力でパソコンのキーボードを打つ練習をし、フェイスブック(Facebook)アカウントを作成し、片言の英語も手探りで学んだ。

 インターネット上のどこかでハワイアンギターが話題に上がっていれば、リエンさんは黙々とコメントを書き込み、移り変わる時代の中でもギターの音色を絶やさぬよう、辛抱強く守り続けている。

外の世界へ響くギターの音色

 リエンさんはこれまで、自宅の静かな片隅でギターを弾くだけで満足したことはない。長年にわたり、リエンさんが自らタクシーを拾い、重たいギターを抱えてカフェ「モーフォー」へと通う姿は、近所の人々の間でおなじみの光景となっている。「モーフォー」は、医療ボランティア活動を行うボランティア医師協会の活動拠点だ。

 「モーフォー」では、仕事に情熱を注ぐ医師や医療スタッフたちがチャリティー音楽会を主催するだけでなく、はるばる山間部まで足を運び、無料で診察や薬の配布を行ったり、貧しい子どもたちのための心臓手術を行ったりしている。こうした心優しい人々に囲まれるうち、いつの間にかリエンさんも協会の「家族」の一員になっていた。

 リエンさんは、視覚障がい者のバンドメンバーであるピアノのチャン・トゥオンさん、ギターを優しく弾くクオック・ホアンさん、哀愁を帯びた竹笛を吹くブー・リンさんと一緒に、1つ1つの音符を夢中になって丁寧に演奏する。ハワイアンギターの優雅で気品のある音色が彼らの素朴な音色と溶け合うとき、それは生命力に満ち、力強く響き渡る。

 2月に行われた7枚目のアルバムの発表会で、ボランティア医師協会の運営委員会代表である医師のゴ・トゥアン・アインさんは、感動を隠しきれずにこう語った。「我々は専門職としてメスや薬で人を救います。でも、リエンさんはギターの音色で我々や患者の魂を救うんです。障がいのある仲間たちと一緒に、汗で背中を濡らしながらもいつも笑顔を絶やさず一生懸命練習するリエンさんの姿を見ると、我々もまだまだ頑張らなければならないと思わされます!」

 単なる音楽作品の枠を越え、新しいアルバムにはボランティア医師協会の10年間の懸命な歩みがすべて詰まっている。これは、心臓手術や学校建設の資金を集めるため、リエンさんが少しずつ貯めたお金で作られた贈り物だ。

歩けるうちは、まだもうけもの

 85歳になっても、リエンさんの鉛のおもりを着けた両足は、あちこちを駆け巡る医師たちの後を静かについていく。その小柄な身体が、揺れの激しい車での長旅に耐え、東北部地方の各省や辺鄙な村々にまでたどり着けるとは、誰も予想しなかっただろう。

 東北部地方トゥエンクアン省(旧ハザン省)の山間部で、テト(旧正月)の時期に撮られた1枚の写真がある。岩だらけの高原の冷たい霧の中で、リエンさんの真っ赤なアオザイが鮮やかに浮かび上がっている。リエンさんは身をかがめてモン族の子どもの暖かい上着を直してやり、しわくちゃの両手をその子のひび割れた頬にぴったりと当て、不思議なほど穏やかで優しい笑顔を浮かべている。

 リエンさんはこう語る。「私はもう年老いて、このギターの音色と、わずかな体力しか残っていません。歩けるうちは、まだもうけもの。私がギターを弾くことで、医師たちが貧しい人々に薬を買うためのお金を少しでも増やす手助けになるのなら、私は息絶えるまで弾き続けますよ!」

 夜も更け、カフェ「モーフォー」の客足はまばらになった。リエンさんは黙々と道具を片付けている。足首に巻かれた鉛のおもりは、これだけの時間が経てば、きっと重くのしかかっているはずだ。それでも、リエンさんの後ろ姿と歩調は、不思議なほど軽やかだ。

 リエンさんが奏でるハワイアンギターの音色には、悲哀の影は微塵も感じられない。それは、リエンさんの人生そのもののように素朴かつ不屈で、ハノイ市の夜の片隅に静かに温もりを吹き込んでいる。 

[Thanh Nien 09:00 03/06/2026, A]
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