[特集]
デジタル時代の憩いの場、街角の新聞スタンドを守り続ける退役軍人
2026/06/21 10:31 JST更新
) (C) thanhnien |
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南部地方タイニン省チャンバン街区のチャンバン郵便局の門前に、40年近く前から営業している小さな新聞スタンドがある。地元の多くの人にとって、ここは毎朝新しい新聞を売っている場所というだけでなく、過ぎ去った青春の思い出が詰まった場所でもある。
新聞スタンドの主は、40年以上にわたりホーチミン市の新聞社とタイニン省の読者を繋ぐ架け橋となってきたブオン・バン・ヒエンさんだ。多くの人は親しみを込めて「ヒエンおじさん」と呼ぶ。これは、チャンバンの紙の新聞の歴史の一部となっている彼にこそふさわしい呼び方だ。
ただの普通の新聞売りではあるが、ヒエンさんは、「紙の新聞を読む」という地元の人々の習慣を粘り強く守り続けている数少ない人物の1人だ。年齢や時代に縛られることなく、読者に直接手渡される新聞は、情報、知識、そして互いの思い出が交わる接点となっている。
変わらぬ街角の小さな存在
ヒエンさんは、旧チャンバン町の旧市場エリアで生まれ育った。1976年、ヒエンさんは軍隊に入隊し、5か月近くの訓練を経た後、1977年に第7軍区第23通信連隊(E23)での任務に就いた。
その後の数年間、ヒエンさんは極めて過酷な状況の中で、南部メコンデルタ地方の国境地帯やカンボジアの戦場で戦闘に参加した。そして、1981年に除隊して地元に戻った。ヒエンさんは、軍隊での貢献により、当時の国防相だった故バン・ティエン・ズン大将から賞状を授与される栄誉に浴した。
戦場で銃を握った歳月を経て、ヒエンさんが全く別の「戦線」、つまり故郷の人々にニュースを届けることに深く関わるようになるとは、ほとんど誰も予想していなかった。
1985年頃、紙の新聞との縁が、ヒエンさんを旧チャンバン郡人民委員会の門前に設置された小さな新聞スタンドへと導いた。当時、紙の新聞は単なる紙の印刷物ではなく、時代の息吹や国の変化、社会生活を伝える貴重な情報源だった。
その小さな新聞スタンドから、ヒエンさんと中学校の教師である妻は、一見シンプルでありながらも意義深い仕事を、共に粘り強く築き上げてきた。40年近くにわたり、彼らはジャーナリズムと読者、そして伝統的な活字文化と絶えず進化するテクノロジーの流れを繋ぐ架け橋として、静かにその役割を果たしてきた。
インターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の発展に伴い、多くの新聞スタンドが徐々に姿を消していく中、ヒエンさんの新聞スタンドは、今もなじみのある街角に存在している。小さくとも粘り強く、デジタル時代の波に飲み込まれることなく、今日もその存在感を保ち続けている。
世紀をまたぐ渡し守
生計を立てるために長年苦労したが、ヒエンさんの新聞スタンドは1990年頃になると徐々に安定し、チャンバンの人々のなじみの場所となった。新聞スタンドは、最初の場所からチャンバン郵便局の前、現在のグエンチャイ高校の近くに移った。時が経つにつれ、「ヒエンさんの新聞スタンド」という名前は、この地の朝の生活リズムの一部となった。
インターネットがまだ普及していなかった頃、テレビやラジオと並んで、紙の新聞は多くの人が毎日待ち望む情報源だった。朝の6時ちょうど、ヒエンさん夫婦が素早く紐を解き、新聞の束をスタンドにきちんと並べる姿がよく見られた。常連客と店主は、ほとんどお互いの名前や顔を覚えており、古い友人のように毎日顔を合わせていた。
また、その小さな新聞スタンドから、何世代にもわたる学生たちが「ムックティム(Muc Tim=紫のインク)」や「ホアホックチョー(Hoa Hoc Tro=学生の花)」といった出版物や、日本の有名な漫画のシリーズを初めて知ることになった。週に1日しか発行されない漫画を買うためだけに、朝早くから自転車で立ち寄る学生も少なくなかった。
お年寄りにとっては、「タインニエン(Thanh Nien=青年新聞)」、「コンアン・タインフォーホーチミン(Cong An TP.HCM=ホーチミン市警察新聞)」、「タイニン(Tay Ninh=タイニン省新聞)」といったおなじみの新聞の時事欄やスポーツ欄が楽しみだった。新聞スタンドに到着するのが遅くなっていつもの新聞を買えなかった日には、お年寄りたちはその日の慣れ親しんだ習慣を1つ逃したように感じた。
新聞スタンドは家族を養うだけでなく、ヒエンさん夫婦が2人の子どもを学校に通わせる助けにもなった。長年の伴侶だった妻が脳卒中で突然亡くなった2018年、ヒエンさんは乗り越えがたいほどの喪失感に襲われた。しかし、こうした苦難を乗り越え、ヒエンさんはいつもの仕事に戻り、何十年も続けてきたように今も毎朝新聞スタンドを開けている。
ヒエンさんにとって、これは単なる生計の手段ではなく、チャンバンの歴史の一部を守る手段でもある。そして、この新聞スタンドは、この地の活字文化を語る際に多くの人が今もなお思い浮かべる場所なのだ。
デジタル時代の新鮮な体験
デジタル技術の急速な発展を前にして、ヒエンさんの新聞スタンドも影響を免れることはできなかった。スマートフォンでニュースが毎秒更新されるこの時代に、紙の新聞は印刷や輸送に時間がかかり、読者は店まで買いに行かなければならない。スマートフォンの画面からの光が、新しい新聞から漂う懐かしいインクの匂いを徐々に打ち消しているようだ。
それでも、ヒエンさんの小さな新聞スタンドは独自の方法で生き残っている。仕入れる新聞の数は以前に比べて大幅に減ったが、ヒエンさんは常連客のために定期的に新聞を取り置いている。
それぞれの新聞に注文者の名前を丁寧に書き、スタンドにきちんと並べて、立ち寄った人が手に取って行き、後で支払うことができるようにしている。40年近くこの仕事を続けてきたが、その献身的な姿勢は全く変わっていない。
だからこそ、多くの人はヒエンさんが単に新聞を売っているだけではないと考えている。ヒエンさんは、何世代にもわたって地元の人々が大切にしてきた「新聞を読む」という習慣を守り続けているのだ。
今日に至るまで、ヒエンさんの小さな新聞スタンドは、物語、知識、そしてインスピレーションを読者の元へと届ける場所になっている。お年寄りたちは毎朝の欠かせない習慣として、新聞をめくる時間を楽しむ。また、一部の若者にとって、紙の新聞や雑誌を手に取ることは、デジタル化された世界の中でかえって新鮮な体験となる。
なぜなら、紙のページに触れる感覚、新聞をめくる音を聞くこと、そして1つの記事をじっくりと読むことは、スマートフォンの画面では決して味わえないものだからだ。
日常生活に宿る兵士の気質
戦場で苦難に耐えた日々と同じように、ヒエンさんの心の中には決して消えることのない「炎」が燃え続けている。毎朝決まって6時20分に新聞スタンドを開け、新しい新聞を並べて、なじみの客が立ち寄るのを待っている。
今は1人になってしまったが、新聞スタンドには人生の浮き沈みを共に歩んだ妻の思い出が残っている。ヒエンさんは以前、「自分でスタンドを開けられなくなるまで、新聞を売るのをやめるつもりはない」と打ち明けたことがある。
ヒエンさんは小さな新聞スタンドに愛着を持っているだけでなく、地域の活動にも積極的に参加している。その献身的な姿勢により、仲間や人々の信頼を得て、2025~2030年任期のチャンバン街区退役軍人協会執行委員に選出された。現在、ヒエンさんはロックアン地区退役軍人協会の支部長も務めている。
デジタル時代は絶えず進化を続けているが、ヒエンさんの新聞スタンドはチャンバンの中心部で今もなお人々にとってなじみのある憩いの場のように存在している。人々は、新聞や雑誌を買うためだけでなく、かつて多くの世代に受け継がれてきた「新聞を読む」という文化の歴史の一部に再び出会うためにそこを訪れるのだ。
そして、ニュースの大半がスマートフォンの中に収まっている中で、この街角では毎朝紙の新聞がめくられている。それはまるで、ヒエンさんが生涯をかけて培ってきた粘り強さで、古き良き価値観を静かに守り続けているかのようだ。
[Thanh Nien 09:00 10/06/2026, A]
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