[特集]
「生き地獄」と恐れられたフーロイ刑務所、凄惨な拷問と毒殺事件
2026/08/23 10:14 JST更新
) (C) VnExpress |
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かつてベトナム共和国(南ベトナム)のゴ・ディン・ジエム政権下で「生き地獄」と恐れられ、多くの愛国者や革命活動家が収容され、拷問を受けたフーロイ刑務所(Nhà tù Phú Lợi)が、現在はその凄惨な歴史を伝える国家級革命歴史遺跡として多くの観光客や見学客を集めている。
フーロイ刑務所は、ホーチミン市フーロイ街区(旧ビンズオン省トゥーザウモット市)の12月1日(モットタンムオイハイ=1 Tháng 12)通りに位置しており、ホーチミン市中心部からは約35kmの距離にある。
ゴ・ディン・ジエム大統領率いる南ベトナム政府は、ベトナム独立同盟会(ベトミン)や南部の反体制派グループと関係があるとされた人々を排除する目的で、1955年から1963年にかけて数多くの「政治犯」を弾圧した。
この施設は、もともと日本軍やフランス軍の基地として使用されていた場所を、1957年に政治犯らを収容・弾圧するための「フーロイ矯正センター」として改修したものだ。
厳重に管理された大規模な刑務所の構造
刑務所の敷地面積は約7万7000m2に及び、収容者を管理するための監房、懲罰房、柵などが設けられていた。全体は「バクダン」、「チーラン」、「ドンダー」の3つの収容区に分かれており、各収容区にはAからHとNの記号が振られた監房が配置されていた。
現在も一部の施設が修復・保存されており、中でもレンガ造りの強固な壁と何重もの有刺鉄線に囲まれた「C監房」は、当時の厳重かつ閉鎖的な環境を今に伝えている。
1つの監房には、通常300~500人、最も多い時には700人が収容されていた。全体では、子どもや高齢者を含めて6000人を超える人々が収容されたという。
凄惨な拷問と過酷な拘禁方法
監房から約150m離れた場所には、懲罰房エリアが設けられていた。このエリアには共同房のほか、わずか約2m2の広さしかなく、光も遮断された極めて狭く息苦しい独房が並んでいた。
さらに過酷な拘禁方法として、地下に掘られた「有刺鉄線の地下房」も存在した。これは、深さ0.8m、幅2.5m、長さ4mの穴で、天井部分が幾重もの有刺鉄線で覆われており、暑い時期には15~20人が同時に押し込められた。この地下房では、わずかに頭を動かすだけでも有刺鉄線が頭に突き刺さるため、収容者は身動きすら取れない状態が5~7日間も続いた。
また、有刺鉄線で編まれた三角形の「有刺鉄線の檻」も使用され、上半身裸の収容者が背を丸めた状態で、やはり5~7日間にわたり日光にさらされるという拷問が行われた。
歴史に刻まれた毒殺事件
当初、刑務所内の各房で収容者が寝る床面は木製だったが、1958年末に発生した「フーロイ刑務所囚人毒殺事件」の後にセメント製に改修された。現在は基礎部分のみが残されている。
この「フーロイ刑務所囚人毒殺事件」では、食事に毒が混入されたことにより、数千人もの収容者が中毒を起こし、多くの犠牲者が出た。
収容者の士気を下げ、抵抗を阻止する目的で南ベトナム政府が計画・実行したこの事件は、国内外の世論に大きな衝撃を与え、激しい非難を巻き起こした。
闘争の記憶を残す歴史教育の場
敷地内には、かつて厳重な監視と収容者の脱獄防止のために建設され、四隅に配置された小規模な監視塔や、中央にあり、全体を見渡せる巨大な監視塔が現在も完全な状態で残されている。
敷地内の記念館では、実際に使用された拷問具や鉄枷のほか、収容者の遺品や当時の様子を再現したジオラマ、資料、写真などが展示されている。これらの展示は、当時の過酷な収容環境と、不当な拘禁に屈することなく祖国のために戦い抜いた人々の強い愛国心と不屈の闘争心を伝えている。
1980年、この地は国家級革命歴史遺跡として認定され、平和を学ぶ重要な教育施設として位置付けられている。
フーロイ刑務所は、月曜日から金曜日の7時から17時まで一般公開されており、見学は無料となっている。土曜日と日曜日に見学を希望する場合は、事前連絡が必要となる。
[VnExpress 00:00 31/07/2026, A]
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